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社会民主党 (ブラジル、1987年結成)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
社会民主党
Partido Social Democrático
党首 セザール・カルス(1987年–1991年)
ナビ・アビ・チェディド(1991年–2003年)
創立 1987年
解散 2003年
合併先 ブラジル労働党
政治的思想 社会民主主義
政治的立場 中道右派
公式カラー    
TSE政党登録番号 41
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社会民主党(しゃかいみんしゅとう、ポルトガル語: Partido Social Democrático)は、1987年に設立されたブラジルの政党[1]1945年に設立された同名の社会民主党 (PSD)の後継党となることを目指していたが、それに匹敵するほどの議席を得ることはなかった。

この政党は、ジョアン・フィゲイレード大統領の政権で鉱業・エネルギー大臣を務めたセザール・カルスポルトガル語版が創設し、2003年まで存続したものの、最後にはブラジル労働党 (PTB) に統合された。

選挙

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新しい社会民主党 (PSD) として戦った1988年ブラジル地方選挙ポルトガル語版では、56人の地方議会議員と、サンパウロ州内の2つの自治体、パウリニアテオドロ・サンパイオ (サンパウロ州)ポルトガル語版の市長を出すにとどまった。1989年ブラジル大統領選挙ポルトガル語版では、党首フィゲイレードを候補者することができず、5月に党に合流した元大統領ジャニオ・クアドロスを候補に担ぐ動きが出たが、出には至らなかった。代わって、当時39歳で、選挙期間中に40歳となる、地方民主同盟 (União Democrática Ruralista) 代表のロナルド・カイアードポルトガル語版を選挙に初出馬させることとなった。

副大統領候補にカミーロ・カラザンス (Camillo Calazans) を立ててはいたものの目だってはいなかった国民民主党 (PDN)ポルトガル語版と連携したカイアードは、他の候補者たちに厳しい批判の矢を向けたが、特に労働者党ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァに対しては、サンパウロにおける開発プロジェクト承認の見返りとして、ルベカ社 (Lubeca) から金銭を受け取っていたと非難した。また、自分が当選すれば、ファゼンダ「Europa」に侵入した土地なし農民運動 (MST) のメンバーを投獄すると公約したが、これは農場を管理していた彼の親族の求めに応じたものであった。第1回投票で、カイアードは488,872票を取って10位となり、第2回投票ではフェルナンド・コロールの支持に回ると表明した。

1990年の時点で、党には、連邦議会下院議員ひとり、州議会議員2人しかいなかった。2年後、党はすでに101人の首長、6人の連邦議会下院議員、20人の州議会議員を擁していた、さらに1992年のうちに議員の数は党籍の移動により20人に膨れ上がったが、それは金銭と引き換えだったとする告発を受けることになった。この動きを主導したのはパラナ州選出のオナイレヴェス・モウラ (Onaireves Moura)、ロンドニア州選出のノーベル・モウラ (Nobel Moura)、マットグロッソ州選出のイツオ・タカヤマ (マトグロッソ) で、彼らは1993年に入党した。

1994年ブラジル大統領選挙ポルトガル語版では、PSDはブラジル民主運動党 (PMDB) と連携してオレステス・ケルシアポルトガル語版を推し、ケルシアは4位となった。連邦議会下院は3議席のみ、州議会議員は22人となった。州知事選挙で善戦したのは、リオデジャネイロ州知事選挙ポルトガル語版に出馬したニュートン・クルーズポルトガル語版将軍で、873,925票を取り、3位になった。クルーズは、その後1996年リオデジャネイロ市長選挙に立候補しようとしたが、党は将軍の立候補への支持を撤回し、当時ブラジル社会民主党 (PSDB) に所属していたセルジオ・カブラル・フィーリョポルトガル語版の支持に回った。これに憤ったクルーズは、PSDを離れ、自由戦線党 (PFL)ポルトガル語版ルイス・パウロ・コンデポルトガル語版の支持に回った。また、首長選挙ではひとりも当選できなかった。

末期の選挙とブラジル労働党との合併

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その後、PSDはナビ・アビ・チェディドポルトガル語版が党首となり、1998年、2000年、2002年の選挙にも候補を送ってそれなりの票を得た。2003年に至り、PSDはブラジル労働党に合併された[2]

脚注

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  1. ^ FGV. “Partido Social Democrático (PSD- 1987)”. Fundação Getulio Vargas. 2019年5月13日閲覧。
  2. ^ Folha Online. “PTB incorpora PSD para ter verba e tempo de TV”. Folha de S.Paulo. 2019年5月13日閲覧。