石田保秀
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石田 保秀 | |
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生誕 |
1888年4月1日 日本 東京府 |
死没 | 1969年7月1日(81歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 |
1908年 - 1940年 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
石田 保秀(いしだ もりひで[1]、1888年(明治21年)4月1日[2] - 1969年(昭和44年)7月1日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]石田保謙陸軍少将の息子として東京府で生まれた[2][3]。陸軍士官学校第20期、陸軍大学校第29期卒業[2]。1918年(大正7年)7月、陸軍騎兵大尉に進級し[4]、1923年(大正12年)9月時点でドイツ駐在の任にあった[4]。1924年(大正13年)3月に陸軍騎兵少佐に進級し[5]、同年9月時点で陸軍騎兵学校附となり[5]、1925年(大正14年)9月時点で騎兵第14連隊附に転じた[6]。1926年(大正15年)3月、陸軍騎兵学校教官に移り[7]、1928年(昭和3年)3月に騎兵監部部員に就任し[8]、8月に陸軍騎兵中佐に進級した[8]。
1931年(昭和6年)8月に侍従武官に就任し[1]、1932年(昭和7年)4月には陸軍騎兵大佐に進級した[1]。1935年(昭和10年)8月に騎兵第24連隊長(第8師団・騎兵第3旅団[9][10])に転じ[1]、1936年(昭和11年)8月、陸軍少将進級と同時に騎兵第3旅団長(第8師団[9][10])に着任した[1][2]。1937年(昭和12年)8月に陸軍騎兵学校長に就任し[2]、1939年(昭和14年)3月に陸軍中将に進級[1]、9月に留守第7師団長(北部軍[11][12])に着任した[2]。1940年(昭和15年)10月4日に待命となり[2]、10月30日に予備役に編入されたが[2]、1945年(昭和20年)3月31日に召集され、北部軍管区兵務部長に発令された[13]。
栄典
[編集]- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[14]
親族
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f 外山 1981, 255頁.
- ^ a b c d e f g h i 福川 2001, 67頁.
- ^ a b c d e 秦 2005, 17頁.
- ^ a b 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正12年9月1日調809頁
- ^ a b 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正13年9月1日調797頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正14年9月1日調737頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正15年9月1日調711頁
- ^ a b 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和3年9月1日調717頁
- ^ a b 外山・森松 1987, 386頁.
- ^ a b 外山・森松 1987, 388頁.
- ^ 外山・森松 1987, 584頁.
- ^ 外山・森松 1987, 585頁.
- ^ 「第74号 昭和20年3月31日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120937900
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
[編集]- 秦郁彦 編『日本陸海軍総合事典 第2版』東京大学出版会、2005年。ISBN 4130301357。
- 外山操・森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。