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王領プロイセン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
王領プロイセン
Prusy Królewskie (ポーランド語)
Königliches Preußen (ドイツ語)
ドイツ騎士団国 1466年 - 1772年 プロイセン王国
プロイセンの国旗 プロイセンの国章
(国旗) (国章)
プロイセンの位置
1575年のポーランド=リトアニア共和国のうちの当該領域
王領プロイセン(Royal Prussiaと記載)と
公領プロイセン(Ducal Prussiaと記載)
首都 不明
ポーランド王
1466年 - 1492年 カジミェシュ4世
1764年 - 1772年スタニスワフ2世
変遷
第二次トルンの和約により成立 1466年10月19日
ルブリン合同によりポーランド王国の一部となる1569年7月1日
第一次ポーランド分割によりプロイセン王国に併合される1772年8月5日

ブランデンブルクプロイセンの歴史
ノルトマルク
965年 - 983年
プルーセン
先史 - 13世紀
リューティチ族英語版
983年 - 12世紀
ブランデンブルク辺境伯領
1157年 - 1618年(1806年)
ドイツ騎士団国
1224年 - 1525年
プロイセン公国
1525年 - 1618年(1701年)
王領プロイセン
1454年 / 1466年 - 1772年
ブランデンブルク=プロイセン
1618年 - 1701年
プロイセン王国
1701年 - 1772年
プロイセン王国
1772年 - 1918年
プロイセン自由州
1918年 - 1947年
クライペダ地方
1920年 - 1939年 / 1945年 - 現在
回復領
1918年 / 1945年 - 現在
ブランデンブルク州
1947年 - 1952年 / 1990年 - 現在
カリーニングラード州
1945年 - 現在

王領プロイセン(おうりょうプロイセン、ポーランド語: Prusy Królewskieドイツ語: Königliches Preußen)は、近世ヨーロッパに存在した地域区分であり、ポーランドおよびドイツの歴史的な支配領域の一つである。

概要

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1466年第二次トルンの和約によって成立した、ポーランド王を君主としたプロイセン(プロシア)地方の領域である。1569年ルブリン合同によってポーランド・リトアニア共和国が成立するとポーランド王国側の領土となり、1772年第一次ポーランド分割によってプロイセン王国に併合されるまで存続した。

名称は似ているがプロイセン公国プロイセン王国とは異なることに注意が必要である。王領プロイセンはあくまでポーランド王国の領土であった。一方、プロイセン公国はポーランド王国を宗主国とする従属国として成立し、1660年にポーランド王国から独立した領域であり、プロイセン王国はその後身である。

第二次トルンの和約で成立した王領プロイセン(1466年 - 1772年、ポーランドの領土)の区分。青はポメレリア、赤はクルマーラント、緑はエルビングマリーエンブルク、黄色はヴァルミア司教領(エルムラント)

関連項目

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