ウラジーミル・ポルヒン

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ウラジーミル・フョードロヴィチ・ポルヒン
Владимир Фёдорович Полухин
生誕 (1886-07-02) 1886年7月2日
ロシア帝国の旗 ロシア帝国リフリャント県ロシア語版リガ郡ラトビア語版リガ
死没 (1918-09-20) 1918年9月20日(32歳没)
ロシア社会主義連邦ソビエト共和国の旗 ロシア社会主義連邦ソビエト共和国ザカスピ州クラスノヴォツク郡、カスピ海横断鉄道ペレヴァル駅=アフチャ・クイマ駅間[1]
所属組織ロシア帝国海軍→)
赤軍
軍歴 1907年 - 1918年
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ウラジーミル・フョードロヴィチ・ポルヒンロシア語: Владимир Фёдорович Полухин1886年7月2日 - 1918年9月20日)は、ロシア帝国の軍人・革命家であり、26人のバクー・コミッサールの1人である。

生涯[編集]

1886年7月2日ロシア帝国リフリャント県ロシア語版リガに生まれ、幼少期を孤児院で過ごした[2]。13歳から工場で電気技師として働き始め、若くしてロシア第一革命に参加[3]1907年から1913年まで、バルチック艦隊巡洋艦アドミラル・マカロフ英語版で電気設備を担当し[2]下士官へ昇任。第一次世界大戦時には戦艦ガングートに乗務するも、1915年秋の船員反乱に参加して水兵に降格され、再教育のためコラ半島の海軍基地へ送られた[3]

その後はムルマンスク要塞で電信交換手として勤務していたが、二月革命が発生すると最初のムルマンスク労兵ソビエトメンバー、ムルマンスク要塞地区中央委員会メンバーに選出され、レーニン主義の積極的擁護者となった[3]1917年5月に北極海艦隊 (ru) 中央委メンバーとなりアルハンゲリスクへ異動、翌1918年6月にはペトログラードへ移り、ウラジーミル・アントーノフ=オフセーエンコロシア語版パヴェル・ドゥイベンコロシア語版ニコライ・クルィレンコ英語版とともに活動した[2]。11月の第1回全ロシア艦隊会議にも北極海艦隊から出席している[3]

十月革命の際は冬宮襲撃ロシア語版に参加し、同時期には海軍人民委員部員[3]全ロシア中央執行委員会ロシア語版附属海軍立法会議メンバーも務める[2]。翌1918年7月にはバクーへ送られ、現地のカスピ海艦隊委員となった[2]。しかし、ボリシェヴィキによるバクー・コミューンが崩壊すると捕らえられ、9月20日に他のコミューン成員らとともに銃殺された[2]

影響[編集]

1960年2月、ムルマンスク市内の通りにポルヒンの名が付けられた[3]。そして1974年10月には、近郊にアレクサンドル・グルヒフ (ru) 制作の、青銅と花崗岩によるポルヒンの胸像が設置された[3]1999年4月に像は金属泥棒によって持ち去られたが、その後復元された[3]

ムルマンスクの記念碑

ポルヒンの名はカルーガ州ジズドラの通りにも付けられ[2]セヴァストーポリ艦隊の練習艦の名ともなっている[4]。また、ヴァレンチン・プークリロシア語版の小説『暗礁より』[5]と『モーンズンド』(ru) [6]にも登場する。

脚注[編集]

  1. ^ Бакинские комиссары / Л. С. Шаумян // Ангола — Барзас. — М. : Советская энциклопедия, 1970. — (Большая советская энциклопедия : [в 30 т.] / гл. ред. А. М. Прохоров ; 1969—1978, т. 2).
  2. ^ a b c d e f g ПОЛУХИН Владимир Федорович”. Кольский Север. 2016年4月4日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h Бюст матросу-большевику Владимиру Федоровичу Полухину”. MurmanCity.com. 2016年4月4日閲覧。
  4. ^ Мурманск: один день в истории. Расстрелянный Бакинский комиссар Полухин делал революцию в Мурманске”. b-port.com (2011年7月14日). 2016年4月4日閲覧。
  5. ^ “Мурманский календарь: 12 октября. Матрос Полухин у Пикуля стал Павлухиным”. Комсомольская Правда в Мурманске. (2015年10月12日). http://www.murmansk.kp.ru/daily/25769/2753638/ 2016年4月4日閲覧。 
  6. ^ Пикуль В. С. (1970). Моонзунд. М.: Советский писатель.