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2021年9月20日 (月) 09:20時点における版
アウグスト・ヴィルヘルム・フォン・ホフマン August Wilhelm von Hofmann | |
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アウグスト・ヴィルヘルム・フォン・ホフマン | |
生誕 |
1818年4月8日 ヘッセン大公国 ギーセン |
死没 |
1892年5月5日 (74歳) プロイセン王国 ブランデンブルク州 ベルリン |
居住 |
ドイツ イギリス |
研究分野 | 有機化学 |
研究機関 |
ボン大学 王立化学大学 ベルリン大学 |
出身校 | ギーセン大学 |
博士課程 指導教員 | ユストゥス・フォン・リービッヒ |
博士課程 指導学生 |
リヒャルト・アベッグ アドルフ・ピンナー フリッツ・ハーバー カール・フォン・アウヴェルス Rudolf Nietzki フェルディナント・ティーマン ユーゲン・バンバーガー |
主な業績 |
ホフマン転位 ホフマン脱離 |
影響を 与えた人物 |
ウィリアム・パーキン 長井長義 柴田承桂 中濱東一郎 |
主な受賞歴 |
ロイヤル・メダル (1854年) コプリ・メダル (1875年) |
配偶者 |
Helene Moldenhauer(1846年8月12日) Rosamond Wilson(1856年12月13日) Elise Moldenhauer(1866年5月19日) Bertha Tiemann(1873年8月11日)[1] |
プロジェクト:人物伝 |
アウグスト・ヴィルヘルム・フォン・ホフマン(August Wilhelm von Hofmann、1818年4月8日 - 1892年5月5日)は、ドイツの化学者。
生涯
ギーセン生まれ。初めゲッティンゲンで法学などを学び、のちにユストゥス・フォン・リービッヒのもとで化学を学んだ。1845年にロンドンに新設された王立化学大学(Royal College of Chemistry)教授となった。1864年にドイツに帰ってボン大学に移り、1865年からベルリン大学の教授を務めた。
ホフマンの業績は有機化学の非常に広い範囲に及ぶ。最初リービッヒの元でコールタールの研究を行い、これをもとにアニリン関連の研究を生涯にわたり続けた。さらにアミンやアンモニウム塩などの研究も行い、またローズアニリンなどの色素を創製した。
ホフマン則、ホフマン脱離(アミンからのオレフィンの生成;ホフマン則に従う)、ホフマン分解(アンモニウム塩からの三級アミンの生成)、ホフマン反応(ホフマン転位、酸アミドからのアミンの生成;これをホフマン分解と呼ぶこともある)、ホフマンバイオレット(色素)など彼の名を冠した反応や法則、物質名は数多い。1854年ロイヤル・メダル、1875年コプリ・メダル受賞。
出典
- ^ Volhard, Jacob; Fischer, Emil (1902). August Wilhelm von Hofmann: Ein Lebensbild. Berlin