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'''シャルマネセル5世'''('''Shalmaneser V'''、在位:[[紀元前727年]] - [[紀元前722年]])は、[[アッシリア|新アッシリア王国]]時代の[[アッシリア]]の王である。[[アッカド語]]ではシャルマヌ・アシャレド (Shulmanu asharid) と表記される。名前の意味は「シャルマヌ神は至高なり」である。
'''シャルマネセル5世'''('''Shalmaneser V'''<ref>[[アッカド語]]: ''{{lang|akk|Šulmanu-ašarid}}''; ''{{Lang-he+Latn|שַׁלְמַנְאֶסֶר‎|Šalman’eser}}}; {{lang-el|Σαλαμανασσαρ}} ''Salamanassar''; ''{{lang-la|Salmanasar}}''</ref>、在位:[[紀元前727年]] - [[紀元前722年]])は、[[アッシリア|新アッシリア王国]]時代の[[アッシリア]]及び[[バビロン]]の王である。[[アッカド語]]ではシャルマヌ・アシャレド (Shulmanu asharid) と表記される。名前の意味は「シャルマヌ神は至高なり」である。



== 来歴 ==
== 来歴 ==
[[ティグラト・ピレセル3世]]の子として生まれた。父王の治世にはジミッラ (zimirra) 州の長官を務めていた。[[紀元前727年]]に王位を継ぐが、彼の王碑文が残っていない上に他の史料にもほとんど登場せず、治世についての情報は少ない
[[ティグラト・ピレセル3世]]の子として生まれた。父王の治世にはジミッラ (zimirra) 州の長官を務めていた。

ティグラト・ピレセル3世の死に伴い、[[紀元前727年]]のテヴェトの月の25日に王位を継ぐ<ref>{{EB1911|noprescript=1|title=Shalmaneser | url = https://archive.org/stream/encyclopaediabri24chisrich#page/798 | first = Archibald Henry | last = Sayce | authorlink = Archibald Sayce | page = 798 | volume = 24}}</ref>。王位継承に伴い、それまで用いていた「ウルラユ」という名前を、アッカド語の名前に改名している。バビロン王としては依然ウルラユの名を使い続けたという説もあるが、公式な記録には残されていない<ref>{{Cite book|title=Babylonia 689-627 B.C.|year=2007|publisher=The Netherlands Institute for the Near East|last=Frame|first=Grant|issn=1571-5728|isbn=978-90-6258-069-9|date=|pages=303-304}}</ref>。


[[旧約聖書]]「[[列王記]]」において、シャルマネセル5世は、サマリア占領と後の[[アッシリア捕囚]]を引き起こした人物として記載されている。すなわち、列王記第17章及び第18章によれば、シャルマネセル5世は、[[イスラエル王国|イスラエル]]王[[ホセア (イスラエル王)|ホシェア]]に対し、エジプト王{{仮リンク|オソルコン4世|en|Osorkon IV}}に書状を送り、シャルマネセル5世に対する反乱を共謀したとの疑いをかけ、ホシェアを捕えた。エジプトは、当時アッシリアの[[付庸国]]に支配されていたイスラエルに拠点を設けたいと考え、付庸国の王たちがアッシリアに反乱を起こすようにそそのかし、軍事的支援を行った<ref>{{cite book|first=Georges|last=Roux|title=Ancient Iraq|edition=Third|year=1992|publisher=Penguin|ISBN=9780140125238|pages=310–312|date=}}</ref>。シャルマネセル5世はサマリアを3年間包囲したのちに、最終的にサマリアを占領した。シャルマネセル5世がアッシリアへと連れ去ったイスラエルの部族は、(ティグラト・ピレセル3世が連れ去った部族と合わせて)「[[失われた10部族]](Ten Lost Tribes)」と呼ばれる。
彼の治世中に[[イスラエル王国|イスラエル]]王[[ホセア (イスラエル王)|ホシェア]]がエジプトと結んで反乱を起こした。それに対して遠征を行った。ホシェアは抵抗を諦めて降伏したが、[[サマリア]]市は2年に渡って抵抗した。[[紀元前722年]]にサマリアを占領したことが[[旧約聖書]]「[[列王記]]」と[[バビロニア]]の年代記に記録されている。しかし同年遠征から帰還する前に死去し、兄弟の[[サルゴン2世]]が恐らく王位継承の争いの末に王座を継いだ。


[[紀元前722年]]にシャルマネセル5世は死去した。シャルマネセル5世については王碑文が残っていない上に他の史料にもほとんど登場せず、治世についての情報は少ない。
なお、彼は[[アラム語]]等で残された一部の史料では'''ウルラユ'''と言う名前で記載されている。これは「エルルの月に生まれた」という意味の名前であり、王位継承前の彼の名前であった可能性がある。


== Notes ==
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2019年10月27日 (日) 14:56時点における版

シャルマネセル5世
アッシリア
在位 紀元前727年 - 紀元前722年

死去 紀元前722年
王朝 バビロン第10王朝
父親 ティグラト・ピレセル3世
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シャルマネセル5世Shalmaneser V[1]、在位:紀元前727年 - 紀元前722年)は、新アッシリア王国時代のアッシリア及びバビロンの王である。アッカド語ではシャルマヌ・アシャレド (Shulmanu asharid) と表記される。名前の意味は「シャルマヌ神は至高なり」である。

来歴

ティグラト・ピレセル3世の子として生まれた。父王の治世にはジミッラ (zimirra) 州の長官を務めていた。

ティグラト・ピレセル3世の死に伴い、紀元前727年のテヴェトの月の25日に王位を継ぐ[2]。王位継承に伴い、それまで用いていた「ウルラユ」という名前を、アッカド語の名前に改名している。バビロン王としては依然ウルラユの名を使い続けたという説もあるが、公式な記録には残されていない[3]

旧約聖書列王記」において、シャルマネセル5世は、サマリア占領と後のアッシリア捕囚を引き起こした人物として記載されている。すなわち、列王記第17章及び第18章によれば、シャルマネセル5世は、イスラエルホシェアに対し、エジプト王オソルコン4世英語版に書状を送り、シャルマネセル5世に対する反乱を共謀したとの疑いをかけ、ホシェアを捕えた。エジプトは、当時アッシリアの付庸国に支配されていたイスラエルに拠点を設けたいと考え、付庸国の王たちがアッシリアに反乱を起こすようにそそのかし、軍事的支援を行った[4]。シャルマネセル5世はサマリアを3年間包囲したのちに、最終的にサマリアを占領した。シャルマネセル5世がアッシリアへと連れ去ったイスラエルの部族は、(ティグラト・ピレセル3世が連れ去った部族と合わせて)「失われた10部族(Ten Lost Tribes)」と呼ばれる。

紀元前722年にシャルマネセル5世は死去した。シャルマネセル5世については王碑文が残っていない上に他の史料にもほとんど登場せず、治世についての情報は少ない。

Notes

  1. ^ アッカド語: Šulmanu-ašarid; ヘブライ語: שַׁלְמַנְאֶסֶר‎‎;ラテン文字転写Šalman’eser}; ギリシア語: Σαλαμανασσαρ Salamanassar; ラテン語: Salmanasar
  2. ^ パブリックドメイン Sayce, Archibald Henry (1911). "Shalmaneser". In Chisholm, Hugh (ed.). Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 24 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 798.
  3. ^ Frame, Grant (2007). Babylonia 689-627 B.C.. The Netherlands Institute for the Near East. pp. 303-304. ISBN 978-90-6258-069-9. ISSN 1571-5728 
  4. ^ Roux, Georges (1992). Ancient Iraq (Third ed.). Penguin. pp. 310–312. ISBN 9780140125238 
先代
ティグラト・ピレセル3世
新アッシリア王
前727年 - 前722年
次代
サルゴン2世
先代
ティグラト・ピレセル3世
バビロニア王
98代
前727年 - 前722年
次代
メロダク・バルアダン2世