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2018年4月8日 (日) 09:28時点における版
大森 兵蔵(おおもり ひょうぞう、1876年3月14日 - 1913年1月13日)は元YMCA体育教授。岡山県出身。バスケットボールとバレーボールを日本に初めて紹介した人物である。
妻・安仁子(旧名・Annie Shepley、兵蔵と結婚後来日し日本に帰化)は社会福祉施設・有隣園を設立した[1]。姪・澄江は後に衆議院議長を務めた松田竹千代に嫁いだ[2]。
経歴
- 1907年 アメリカ合衆国でアニー・シェプレー(日本に帰化した後大森安仁子と改名)と結婚[1]。
- 1908年 マサチューセッツ州スプリングフィールドにある国際YMCAトレーニングスクール(現スプリングフィールド大学)を卒業し帰国[3]、東京YMCAでバスケットボール、バレーボールを日本に初めて紹介する。
- 1911年 大日本体育協会(現日本体育協会)を設立してその理事となる。
- 1912年 スウェーデンストックホルムオリンピックの日本オリンピック初参加に於いて監督として参加する。
- 1913年 オリンピックからの帰国途上、肺結核によりカリフォルニア州パサデナで36歳にて死去。