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'''陳 生'''(ちん せい、生没年不詳)は、[[中国]][[後漢]]末期の人物。『[[三国志 (歴史書)|三国志]]』魏書[[劉表]]伝の注に記述がある。
'''陳 生'''(ちん せい、生没年不詳)は、[[中国]][[後漢]]末期の人物。『[[三国志 (歴史書)|三国志]]』魏書[[劉表]]伝の注に記述がある。


[[荊州]][[江夏区|江夏]]において活動していた賊の一人で、[[張虎]]と共に[[襄陽市|襄陽]]に割拠していたが、劉表軍の[[カイ越|蒯越]]の説得により降伏した。
[[荊州]][[江夏]]において活動していた賊の一人で、[[張虎]]と共に[[襄陽市|襄陽]]に割拠していたが、劉表軍の[[カイ越|蒯越]]の説得により降伏した。


小説『[[三国志演義]]』においては、[[長沙]]の[[孫堅]]が侵攻してきた際、[[黄祖]]に従い張虎の副将として加勢に出る。しかし、初陣の[[孫策]]に矢で射られ戦死している。
小説『[[三国志演義]]』においては、[[長沙]]の[[孫堅]]が侵攻してきた際、[[黄祖]]に従い張虎の副将として加勢に出る。しかし、初陣の[[孫策]]に矢で射られ戦死している。

2018年1月29日 (月) 11:27時点における版

陳生
後漢
出生 不詳
死去 不詳
不詳
主君 賊→劉表
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陳 生(ちん せい、生没年不詳)は、中国後漢末期の人物。『三国志』魏書劉表伝の注に記述がある。

荊州江夏郡において活動していた賊の一人で、張虎と共に襄陽に割拠していたが、劉表軍の蒯越の説得により降伏した。

小説『三国志演義』においては、長沙孫堅が侵攻してきた際、黄祖に従い張虎の副将として加勢に出る。しかし、初陣の孫策に矢で射られ戦死している。

横山三国志』では、劉表が派遣した劉備軍の張飛と激闘するが、討ち取られている(『三国志演義』では名が陳孫[1]となっている)。

脚注

  1. ^ 嘉靖本・黄正甫本でも陳生。