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'''リンダラハ'''(Lindaraja)は、[[クロード・ドビュッシー]]が作曲した[[ピアノ二重奏|2台のピアノ]]のための作品である。同時期にピアノ独奏曲集[[ピアノのために]]などが作曲されている。
'''リンダラハ'''(Lindaraja)は、[[クロード・ドビュッシー]]が作曲した[[ピアノ二重奏|2台のピアノ]]のための作品である。同時期にピアノ独奏曲集[[ピアノのために]]などが作曲されている。


==概要==
==概要==
ドビュッシーは2台のピアノのための作品として、リンダラハ[[白と黒で]]の2曲を残しているが、後者は作曲家の晩年に作曲されたものである。
ドビュッシーは2台のピアノのための作品として、リンダラハ[[白と黒で]]の2曲を残しているが、後者は作曲家の晩年に作曲されたものである。


リンダラハは[[1901年]]の[[4月]]頃に作曲された。作曲の動機については不明な点がある。リンダラハという曲名は、[[スペイン語]]で「美しい人」を意味し、[[グラナダ]]の[[アルハンブラ宮殿]]に住んでいた[[ムーア人]]の女性の名前([[ワシントン・アーヴィング]]『[[アルハンブラ物語]]』)<ref>松橋 p80</ref>、または前述の女性にちなんだ同宮殿の中庭の名前<ref>ルシュール p201</ref>に由来するとされている。
リンダラハは[[1901年]]の[[4月]]頃に作曲された。作曲の動機については不明な点がある。リンダラハという曲名は、[[スペイン語]]で「美しい人」を意味し、[[グラナダ]]の[[アルハンブラ宮殿]]に住んでいた[[ムーア人]]の女性の名前([[ワシントン・アーヴィング]]『[[アルハンブラ物語]]』)<ref>松橋 p80</ref>、または前述の女性にちなんだ同宮殿の中庭の名前<ref>ルシュール p201</ref>に由来するとされている。


リンダラハの楽譜は他の楽譜に紛れたまましまい込まれ、ドビュッシーの生前に公表されることはなかった。作曲者の死後の[[1926年]]に出版され、同年の[[10月]]に[[マルグリット・ロン]]と[[ジャン・ロジェ=デュカス|ロジェ=デュカス]]によって初演された。なお自筆譜はかつて紛失していたが、[[1995年]]になって再発見された。
リンダラハの楽譜は他の楽譜に紛れたまましまい込まれ、ドビュッシーの生前に公表されることはなかった。作曲者の死後の[[1926年]]に出版され、同年の[[10月]]に[[マルグリット・ロン]]と[[ジャン・ロジェ=デュカス|ロジェ=デュカス]]によって初演された。なお自筆譜はかつて紛失していたが、[[1995年]]になって再発見された。


==特徴==
==特徴==
作品の中間部以降の嬰ハ音による[[ハバネラ]]のリズムや、2台のピアノの使用という点から、[[モーリス・ラヴェル|ラヴェル]]の[[耳で聞く風景]]1曲「ハバネラ」(後に管弦楽に編曲され、[[スペイン狂詩曲 (ラヴェル)|スペイン狂詩曲]]第3曲に編入)との類似が指摘される<ref>松橋 p81</ref>。
作品の中間部以降の嬰ハ音による[[ハバネラ]]のリズムや、2台のピアノの使用という点から、[[モーリス・ラヴェル|ラヴェル]]の[[耳で聞く風景]]》中の1曲「ハバネラ」(後に管弦楽に編曲され、[[スペイン狂詩曲 (ラヴェル)|スペイン狂詩曲]]第3曲に編入)との類似が指摘される<ref>松橋 p81</ref>。


== 脚注 ==
== 脚注 ==

2017年11月24日 (金) 09:28時点における版

リンダラハ》(Lindaraja)は、クロード・ドビュッシーが作曲した2台のピアノのための作品である。同時期にピアノ独奏曲集《ピアノのために》などが作曲されている。

概要

ドビュッシーは2台のピアノのための作品として、《リンダラハ》と《白と黒で》の2曲を残しているが、後者は作曲家の晩年に作曲されたものである。

《リンダラハ》は1901年4月頃に作曲された。作曲の動機については不明な点がある。《リンダラハ》という曲名は、スペイン語で「美しい人」を意味し、グラナダアルハンブラ宮殿に住んでいたムーア人の女性の名前(ワシントン・アーヴィングアルハンブラ物語』)[1]、または前述の女性にちなんだ同宮殿の中庭の名前[2]に由来するとされている。

《リンダラハ》の楽譜は他の楽譜に紛れたまましまい込まれ、ドビュッシーの生前に公表されることはなかった。作曲者の死後の1926年に出版され、同年の10月マルグリット・ロンロジェ=デュカスによって初演された。なお自筆譜はかつて紛失していたが、1995年になって再発見された。

特徴

作品の中間部以降の嬰ハ音によるハバネラのリズムや、2台のピアノの使用という点から、ラヴェルの《耳で聞く風景》中の1曲「ハバネラ」(後に管弦楽に編曲され、《スペイン狂詩曲》第3曲に編入)との類似が指摘される[3]

脚注

  1. ^ 松橋 p80
  2. ^ ルシュール p201
  3. ^ 松橋 p81

参考文献

  • フランソワ・ルシュール、笠羽映子訳 『伝記 クロード・ドビュッシー』 音楽之友社、2003年
  • 松橋麻利 『ドビュッシー 作曲家・人と作品』 音楽之友社、2007年

関連作品