「ダニエル・ピンク」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
6行目: 6行目:
'''ダニエル・ピンク'''({{lang-en-short|Daniel H. Pink}}、[[1964年]])は、[[アメリカ合衆国]]の[[作家]]で、[[ビル・クリントン]]政権下の[[ロバート・ライシュ]]の補佐官を経て、[[1995年]]から[[1997年]]まで[[アル・ゴア]]副大統領の首席スピーチライターを務めた。その後、[[フリーエージェント (労働)|フリーエージェント]]を宣言して、[[ニューヨーク・タイムズ]]や[[ワシントン・ポスト]]などの記事や論文を執筆している。
'''ダニエル・ピンク'''({{lang-en-short|Daniel H. Pink}}、[[1964年]])は、[[アメリカ合衆国]]の[[作家]]で、[[ビル・クリントン]]政権下の[[ロバート・ライシュ]]の補佐官を経て、[[1995年]]から[[1997年]]まで[[アル・ゴア]]副大統領の首席スピーチライターを務めた。その後、[[フリーエージェント (労働)|フリーエージェント]]を宣言して、[[ニューヨーク・タイムズ]]や[[ワシントン・ポスト]]などの記事や論文を執筆している。


『[[マンガ学]]』を高く評価し、2007年、日本の[[漫画]]を研究するためジャパン・ソサエティ(全米最大の日米交流団体)のメディア・フェローとして日本に滞在していた。『デキるやつに生まれかわる6つのレッスン』は全編をマンガで書き上げた(原作部のみ。作画者は別にいる)。過去刊行物の焼き直しや[[アンソロジー]]でなく、オリジナル刊行物を、漫画のみで刊行するという、思想書として類を見ない挑戦である。
『[[マンガ学]]』を高く評価し、2007年、日本の[[漫画]]を研究するため[[ジャパン・ソサエティー]](全米最大の日米交流団体)のメディア・フェローとして日本に滞在していた。『デキるやつに生まれかわる6つのレッスン』は全編をマンガで書き上げた(原作部のみ。作画者は別にいる)。過去刊行物の焼き直しや[[アンソロジー]]でなく、オリジナル刊行物を、漫画のみで刊行するという、思想書として類を見ない挑戦である。
==主な著書==
==主な著書==
*『フリーエージェント社会の到来』解説: [[玄田有史]]
*『フリーエージェント社会の到来』解説: [[玄田有史]]

2016年3月3日 (木) 09:50時点における版

ダニエル・ピンク: Daniel H. Pink1964年)は、アメリカ合衆国作家で、ビル・クリントン政権下のロバート・ライシュの補佐官を経て、1995年から1997年までアル・ゴア副大統領の首席スピーチライターを務めた。その後、フリーエージェントを宣言して、ニューヨーク・タイムズワシントン・ポストなどの記事や論文を執筆している。

マンガ学』を高く評価し、2007年、日本の漫画を研究するためジャパン・ソサエティー(全米最大の日米交流団体)のメディア・フェローとして日本に滞在していた。『デキるやつに生まれかわる6つのレッスン』は全編をマンガで書き上げた(原作部のみ。作画者は別にいる)。過去刊行物の焼き直しやアンソロジーでなく、オリジナル刊行物を、漫画のみで刊行するという、思想書として類を見ない挑戦である。

主な著書

  • 『フリーエージェント社会の到来』解説: 玄田有史
  • 『ハイ・コンセプト』日本語訳:大前研一
  • 『モチベーション3.0』日本語訳:大前研一
  • 『人を動かす、新たな3原則』日本語訳:神田昌典
  • 『ジョニー・ブンコの冒険 デキるやつに生まれかわる6つのレッスン』解説:吉本佳生

外部リンク