「オリバー・ウェンデル・ホームズ・ジュニア」の版間の差分
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生涯にわたって哲学書は一冊も書かなかったが、形而上学クラブのメンバーの一人で[[プラグマティズム]]で著名な[[ウィリアム・ジェームズ]]らと親交があった<ref>鶴見、2008、pp105-118</ref>。チョンシー・ライトから影響を受ける。 |
生涯にわたって哲学書は一冊も書かなかったが、形而上学クラブのメンバーの一人で[[プラグマティズム]]で著名な[[ウィリアム・ジェームズ]]らと親交があった<ref>鶴見、2008、pp105-118</ref>。チョンシー・ライトから影響を受ける。 |
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『コモン・ロー』における「法の生命は論理ではなく、経験であった。」({{Lang|en|"The life of the law has not been logic; it has been experience."}})との一言は有名。 |
『コモン・ロー』における「法の生命は論理ではなく、経験であった。」({{Lang|en|"The life of the law has not been logic; it has been experience."}})との一言は有名。彼にとって法は、現在及び将来の人々を支配するものではなく、その時々の人々によく仕えるための道具である。裁判官は、論理によって法原則を適用して機械的に結論を出しているのではなく、まず結論を出し、その後に適用すべき法原則を見つけ出しているのである。法の生命である経験とは、個人的なものでなく、集団的な一般人のもの、つまり、陪審員のものであって、命題の形をもたない。『法の小道』において、個々の裁判の結果を決めるのは、法ではなく、裁判官たちが法と呼んでいるものである。現に法廷において裁判官たちがなそうとしていことの予測こそ私が法の名において理解しているものであり、それ以上のものではないとの法予測理論を発表した。{{仮リンク|グラント・ギルモア|en|Grant Gilmore}}によれば、[[クリストファー・コロンブス・ラングデル]]と共に{{仮リンク|法形式主義|en|Legal formalism}}を代表する一人ともされるが、経験や行為を重視し、法学を裁判の結果を予測する学問であるととられる見方はまさにプラグマティズムに基づくものであるとされ、[[法社会学|社会学的法学]]の祖ともされる。自らの哲学がプラグマティズムであることを認めたことはなく、自身の哲学を「ベタビリタリアニズムの哲学」(賭けが可能だという信念の哲学)と後年称した。 |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
2015年11月12日 (木) 04:20時点における版
オリバー・ウェンデル・ホームズ・ジュニア Oliver Wendell Holmes Jr. | |
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オリバー・ウェンデル・ホームズ・ジュニア(1924年) | |
生年月日 | 1841年3月8日 |
出生地 | アメリカ合衆国、マサチューセッツ州ボストン |
没年月日 | 1935年3月6日(93歳没) |
死没地 | アメリカ合衆国、ワシントンD.C. |
配偶者 | ファニー・バウディッチ・ディクスウェル |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身校 |
ハーバード大学 ハーバード・ロー・スクール |
署名 | |
宗教 | ユニテリアン主義 |
合衆国最高裁判所陪席裁判官 | |
任期 | 1902年12月4日 - 1932年1月12日 |
任命者 | セオドア・ルーズベルト |
前任者 | ホレース・グレイ |
後任者 | ベンジャミン・カードーゾ |
マサチューセッツ最高裁判所首席裁判官 | |
任期 | 1899年8月2日 - 1902年12月4日 |
任命者 | ウィンスロップ・クレーン |
前任者 | ワルブリッジ・フィールド |
後任者 | マーカス・ペリン・ノールトン |
マサチューセッツ最高裁判所陪席裁判官 | |
任期 | 1882年12月15日 - 1899年8月2日 |
任命者 | ジョン・デイヴィス・ロング |
前任者 | オーティス・ロード |
後任者 | ウィリアム・ローリング |
オリバー・ウェンデル・ホームズ・ジュニア(英語: Oliver Wendell Holmes, Jr.、1841年3月8日 - 1935年3月6日)は、アメリカ合衆国の法律家。連邦最高裁判所陪席裁判官。
生涯
1841年、作家、詩人として著名な医師オリバー・ウェンデル・ホームズ・シニアの長男としてボストンに生まれる。
1858年、ハーバード大学入学。『ハーバード・マガジン』誌の編集者になる。同誌にエッセー「書物」を発表し、「人は神の法に従って別の人間を所有しているのか?」と奴隷制反対論に立ち、論争になる。
1861年同大卒業後に南北戦争では自ら志願してマサチューセッツ軍に入隊し、ボールズブラフの戦い、荒野の戦いなどで3度も重傷を負う。除隊後はハーバード・ロー・スクールに入学し、優秀な成績で卒業する。その頃ウィリアム・ジェイムスと知り合う。
1866年、ボストンで弁護士として勤務。1882年にハーバード・ロー・スクール教授に就任、母校で講義を行う。金子堅太郎の家庭教師も勤めた。
1881年、『コモン・ロー』(The Common Law)を出版。1882年、ハーバードロースクール教授就任、同年、マサチューセッツ最高裁判所判事に任命される。1897年『法の小道』発表。1899年、マサッチューセッツ州最高裁判所首席裁判官に任命される
1902年、セオドア・ルーズベルト大統領から連邦最高裁判所陪席裁判官に任命される。以後、ロックナー対ニューヨーク州事件(1905年)、コペジ事件(1915年)、シェンク対アメリカ合衆国事件(1919年)、エイブラムス対アメリカ合衆国事件(1919年)等数々の著名な判決に関わる。「ジョン・マーシャルに次ぐ偉大な判事」と呼ばれた。ロックナー対ニューヨーク州事件での反対意見が彼を著名にした。同事件は、製パン業の労働者の勤務時間を1日10時間、週60時間に制限する州法について、アメリカ合衆国憲法修正第14条が定める契約の自由を侵害するものとした多数意見に対し、彼は、多数派の意見は、憲法の一般命題を適用して結論を導き出したというものではなく、ある特殊な経済的理論を小前提としてこっそりと導入することによって導き出したものであり、その理論は憲法に規定はなく、また、必ずしも合衆国国民の多数派が信じていない理論であるから、これを指示しないとした。コペジ事件では、憲法の定める自由は、広く漠然とした意味をもつものであり、経営者は労働者より経済的に強い立場にあり、その分労働者の自由は制限されているといえるから、両者を対等の立場に立たせ自由な対話ができるようにするためには、労働組合をつくる自由があり、これが憲法によって保障されていると考えることができるとした。シェンク対合衆国事件では、徴兵制に反対するビラを配布したシェンクが1917年のスパイ活動法に問われた刑事事件において、明白かつ現在の危険が認められるときは、表現の自由を制限できるとして合憲としたが、エイブラムス対アメリカ合衆国事件では、ブランダイスと共に明白かつ現在の危険が認められないとして反対意見を書いた。1932年退官。
1935年3月6日、94歳の誕生日の2日前に死去した。
思想
生涯にわたって哲学書は一冊も書かなかったが、形而上学クラブのメンバーの一人でプラグマティズムで著名なウィリアム・ジェームズらと親交があった[1]。チョンシー・ライトから影響を受ける。
『コモン・ロー』における「法の生命は論理ではなく、経験であった。」("The life of the law has not been logic; it has been experience.")との一言は有名。彼にとって法は、現在及び将来の人々を支配するものではなく、その時々の人々によく仕えるための道具である。裁判官は、論理によって法原則を適用して機械的に結論を出しているのではなく、まず結論を出し、その後に適用すべき法原則を見つけ出しているのである。法の生命である経験とは、個人的なものでなく、集団的な一般人のもの、つまり、陪審員のものであって、命題の形をもたない。『法の小道』において、個々の裁判の結果を決めるのは、法ではなく、裁判官たちが法と呼んでいるものである。現に法廷において裁判官たちがなそうとしていことの予測こそ私が法の名において理解しているものであり、それ以上のものではないとの法予測理論を発表した。グラント・ギルモアによれば、クリストファー・コロンブス・ラングデルと共に法形式主義を代表する一人ともされるが、経験や行為を重視し、法学を裁判の結果を予測する学問であるととられる見方はまさにプラグマティズムに基づくものであるとされ、社会学的法学の祖ともされる。自らの哲学がプラグマティズムであることを認めたことはなく、自身の哲学を「ベタビリタリアニズムの哲学」(賭けが可能だという信念の哲学)と後年称した。
脚注
- ^ 鶴見、2008、pp105-118
参考文献
- 伊藤正己・木下毅『アメリカ法入門(4版)』(日本評論社)
- 八木鉄男/深田三徳 編著『法をめぐる人と思想』(株式会社ミネルヴァ書房,1991年)(95頁~110頁「7 ホームズ裁判官の「コモン・ロー」理論」藤倉皓一郎)
- 阿川尚之『憲法で読むアメリカ史』(上・下)(PHP研究所, 2005) ISBN 4-569-63361-7
- 鶴見俊輔『アメリカ哲学(戦後日本思想の原点)』(こぶし書房、2008)