「橘家圓蔵」の版間の差分
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[[画像:3tachibana 001.svg|thumb|200px|三ツ組橘は、橘家圓蔵の定紋である。]] |
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'''橘家 圓蔵'''(たちばなや えんぞう)は、[[落語家]]の[[名跡]] |
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かつての屋号は「立花屋」であった。初代圓蔵が後に[[三遊亭圓生 (2代目)|2代目三遊亭圓生]]を襲名したため、以後しばらくの間「橘家」は三遊亭の分家的な家号になる。 |
かつての屋号は「立花屋」であった。初代圓蔵が後に[[三遊亭圓生 (2代目)|2代目三遊亭圓生]]を襲名したため、以後しばらくの間「橘家」は三遊亭の分家的な家号になる。 |
2015年10月16日 (金) 04:05時点における版
かつての屋号は「立花屋」であった。初代圓蔵が後に2代目三遊亭圓生を襲名したため、以後しばらくの間「橘家」は三遊亭の分家的な家号になる。
圓蔵の名は「橘家」の止め名にあたり、三遊亭圓生を襲名する落語家が名乗ることも少なくなく、上記の経緯もあって6代目圓蔵までは三遊派の落語家によって受け継がれてきたが、6代目圓蔵が6代目三遊亭圓生襲名後しばらく空席だった時に、8代目桂文楽と圓生の相談により、文楽の弟子である4代目月の家圓鏡が7代目圓蔵を襲名することになり、名跡の系統が三遊派から離れた。
- 初代立花屋圓蔵 - 元は花生。初代三遊亭圓生門下。後の2代目三遊亭圓生。本名、尾形清治郎。
- 2代目立花屋圓蔵 - (生没年不詳)江戸の生まれ、元は2代目圓生門下で南生。後に三遊亭圓朝門下で2代目狂言亭圓玉、明治に入り三遊亭圓志を経て、1876年頃に三遊亭圓坊を名乗る。本名は八百屋熊蔵と言われるがはっきりしない。生没年、享年は不明。
- 3代目橘家圓蔵 - 元は勢朝。後の三遊一朝。初代三遊亭圓朝門下。本名、倉片省吾。
- 4代目橘家圓蔵 - 通称「品川の圓蔵」。元はさん生。本名、松本栄吉。
- 5代目橘家圓蔵 - 元は3代目三遊亭圓窓。後の5代目三遊亭圓生。4代圓蔵門下。本名、村田源治。
- 6代目橘家圓蔵 - 元は4代目三遊亭圓窓。後の6代目三遊亭圓生。4代圓蔵門下。本名、山崎松尾。
- 7代目橘家圓蔵 - 元は桂文雀改め4代目月の家圓鏡。本名、市原虎之助。
- 8代目橘家圓蔵 - 元は橘家升蔵改め5代目月の家圓鏡。7代圓蔵門下。本名、大山武雄。