「鳥飼大橋」の版間の差分
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'''鳥飼大橋'''(とりかいおおはし)は、[[大阪府]][[守口市]]大日町と[[摂津市]]鳥飼西の間の[[淀川]]に架かる[[橋]]。道路橋2本([[大阪府道2号大阪中央環状線]])とモノレール橋([[大阪高速鉄道大阪モノレール線]])、高速道路橋([[近畿自動車道]])の計4本が架かる。 |
'''鳥飼大橋'''(とりかいおおはし)は、[[大阪府]][[守口市]]大日町と[[摂津市]]鳥飼西の間の[[淀川]]に架かる[[橋]]。道路橋2本([[大阪府道2号大阪中央環状線]])とモノレール橋([[大阪高速鉄道大阪モノレール線]])、高速道路橋([[近畿自動車道]])の計4本が架かる。鳥飼和道(とりかいわどう)とも呼ばれる。 |
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== 概要 == |
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[[ファイル:Torikaioohasi.JPG|thumb|right|鳥飼大橋 上流側から]] |
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[[ファイル:Torikaiohhasi-reverse.JPG|thumb|right|鳥飼大橋 下流側から]] |
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近畿道[[摂津南インターチェンジ|摂津南IC]]や[[国道1号]]、さらには[[阪神高速12号守口線]]が接続し交通の集中地点である。 |
近畿道[[摂津南インターチェンジ|摂津南IC]]や[[国道1号]]、さらには[[阪神高速12号守口線]]が接続し交通の集中地点である。そのためにかねてから交通渋滞が発生しやすく、道路交通情報で「摂津の鳥飼和道で○km」という言葉はよく聞かれた(淀川を自動車が渡ることができる橋は、東隣に[[鳥飼仁和寺大橋有料道路]]、西隣に[[豊里大橋]]があるが、どちらも鳥飼大橋からは2~3kmほど離れているために迂回には不便)。しかし後述する新橋が供用を開始してからは車線が増加したため、この渋滞は幾分緩和されている。 |
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西側(下流側)から、北行道路橋(新橋)、北行道路橋(旧橋)、高速道路橋、南行道路橋(新鳥飼大橋)、モノレール橋と並んでいる。 |
西側(下流側)から、北行道路橋(新橋)、北行道路橋(旧橋)、高速道路橋、南行道路橋(新鳥飼大橋)、モノレール橋と並んでいる。 |
2013年4月28日 (日) 05:40時点における版
鳥飼大橋(とりかいおおはし)は、大阪府守口市大日町と摂津市鳥飼西の間の淀川に架かる橋。道路橋2本(大阪府道2号大阪中央環状線)とモノレール橋(大阪高速鉄道大阪モノレール線)、高速道路橋(近畿自動車道)の計4本が架かる。鳥飼和道(とりかいわどう)とも呼ばれる。
概要
近畿道摂津南ICや国道1号、さらには阪神高速12号守口線が接続し交通の集中地点である。そのためにかねてから交通渋滞が発生しやすく、道路交通情報で「摂津の鳥飼和道で○km」という言葉はよく聞かれた(淀川を自動車が渡ることができる橋は、東隣に鳥飼仁和寺大橋有料道路、西隣に豊里大橋があるが、どちらも鳥飼大橋からは2~3kmほど離れているために迂回には不便)。しかし後述する新橋が供用を開始してからは車線が増加したため、この渋滞は幾分緩和されている。
西側(下流側)から、北行道路橋(新橋)、北行道路橋(旧橋)、高速道路橋、南行道路橋(新鳥飼大橋)、モノレール橋と並んでいる。
1954年(昭和29年)に竣工した、橋長550mの北行道路橋(旧橋)(ゲルバートラス橋)については老朽化が著しく、2010年(平成22年)2月27日(土)早朝に新橋の車道部分3車線が暫定供用開始された。旧橋の撤去後、新橋の拡幅が行われ、2013年(平成25年)末に車道3車線+歩道での全面供用開始が予定されている。
ゲルバートラス橋
2010年(平成22年)2月26日まで大阪府道2号大阪中央環状線の一部(北行き一方通行2車線)として使用されていたこの橋は、1954年(昭和29年)11月1日に全国初の有料橋として開通したものである。
当初、大阪中央環状線建設の一環として、1942年(昭和17年)に木造の仮橋の建設が着工された。戦時中のため、建設資材不足にも見舞われたが、1948年(昭和23年)3月に開通した。しかし、木造ゆえに水害などによる破損を繰り返し、また車両の通行による振動も激しく、荷重・速度制限が設定されることになった。
永久橋の設置が待ち望まれていたが、1952年(昭和27年)に道路特別整備法が施行されたのを受け、同年9月に有料橋として起工され、建設期間2年2ヶ月、工費3億3千万円(当時)をかけ、全長540m、全幅7.5m、ゲルバートラス型、8基の橋脚と2基の橋台を擁する橋梁が竣工した。
管理は日本道路公団によってなされ(同公団にとって初の有料橋であった)、淀川左岸に料金所が設けられた。建設した大阪府は、国より借り受けた事業費3億3千万円および維持管理費の全額を1970年(昭和45年)までに償還する計画を立てたが、償還前に買い取り、1964年(昭和39年)3月16日に無料開放した。
開通当初は往復2車線の対面通行であったが、無料開放後の1965年(昭和40年)に上流側に新たな道路橋(南行き一方通行2車線)が完成したため、北行き一方通行となった。
その後の交通量の増大による著しい老朽化の影響から、架け替えの数年前からは荷重(20トン)・速度制限(40キロ)が設定されていた。
位置情報
北緯34度45分30.00秒 東経135度34分22.75秒 / 北緯34.7583333度 東経135.5729861度
関連項目
外部リンク
- 大阪府枚方土木事務所
- あの道この道(昭和33年4月2日) - 日本映画新社・朝日ニュース昭和映像ブログ(開通当時の鳥飼大橋を取り上げている)