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* [[1940年]](昭和15年) 大日本書道院展の参事となる。
* [[1940年]](昭和15年) 大日本書道院展の参事となる。
* [[1945年]](昭和20年) 古文を基礎とし、はじめて抽象的な書表現の実験を行い、試作に対し「心線作品」と名付ける。
* [[1945年]](昭和20年) 古文を基礎とし、はじめて抽象的な書表現の実験を行い、試作に対し「心線作品」と名付ける。
* [[1946年]](昭和21年) 現代美術協会展に『電のヴァリエーション』([[前衛書道|前衛書]]ほか2展を出品。
* [[1946年]](昭和21年) 現代美術協会展に『電のヴァリエーション』([[前衛書道|前衛書]]ほか2展を出品。
* [[1948年]](昭和23年) [[山枡康子]](のちの比田井小葩)と[[結婚]]。
* [[1948年]](昭和23年) [[山枡康子]](のちの比田井小葩)と[[結婚]]。
* [[1951年]](昭和26年) 「個展」(養清堂画廊)。以後、東京のほかニューヨーク、サンフランシスコ、ワシントン、メルボルン等で「個展」14回。
* [[1951年]](昭和26年) 「個展」(養清堂画廊)。以後、東京のほかニューヨーク、サンフランシスコ、ワシントン、メルボルン等で「個展」14回。

2012年12月13日 (木) 23:51時点における版

比田井 南谷(ひだい なんこく、明治45年(1912年2月1日 - 平成11年(1999年10月15日)は書家本名(すすむ)。神奈川県出身。

略歴

比田井天来小琴の次男として生まれ、天来没後は書道研究機関「書学院」を継承し、碑帖の管理や出版部の再開に努める。書学院長・毎日書道展名誉会員・書宗院顧問・独立書入団客員などを歴任し、プリンストン大学オックスフォード大学など、約20の大学で書道史を講演する。

略年譜

  • 1912年(明治45年) 神奈川県鎌倉市に生まれる。
  • 1922年(大正11年) - 1939年(昭和14年) 天来について書法を学ぶ。
  • 1934年(昭和9年) 東京高等工芸学校印刷工芸科卒業
  • 1935年(昭和10年) 天来から南谷のを受ける。
  • 1939年(昭和14年) 父、天来沒。「書学院」を継承し、書道の資料・図書の管理運営の任につく。
  • 1940年(昭和15年) 大日本書道院展の参事となる。
  • 1945年(昭和20年) 古文を基礎とし、はじめて抽象的な書表現の実験を行い、試作に対し「心線作品」と名付ける。
  • 1946年(昭和21年) 現代美術協会展に『電のヴァリエーション』(前衛書)ほか2展を出品。
  • 1948年(昭和23年) 山枡康子(のちの比田井小葩)と結婚
  • 1951年(昭和26年) 「個展」(養清堂画廊)。以後、東京のほかニューヨーク、サンフランシスコ、ワシントン、メルボルン等で「個展」14回。
  • 1959年(昭和34年) - 1961年(昭和36年) サンフランシスコの「ルドルフ・シェーファー図案学校」に招かれ渡米。同校および自己のアトリエに教場を設け、書法および書道史を教える。
  • 1972年(昭和47年) 「比田井天来生誕100年展」開催。
  • 1974年 (昭和49年) - 1975年 (昭和50年) 長野県、天来生誕地に建設の「天来記念館」の設立に協力。
  • 1987年(昭和62年) 『中国書道史事典』(雄山閣)を上梓。
  • 1999年(平成11年) 10月15日永眠、享年87歳。

著書

  • 顔勤礼碑』(書道技法講座)
  • 『臨平復帖・他』等4冊(古碑帖臨書精選)
  • 『現代書』全3巻(共編)
  • 『書道基本名品集』全20巻(編)
  • 『中国書道史事典』

参考文献

  • 比田井南谷 『中国書道史事典』普及版(天来書院、発行者・比田井和子、2008年8月)ISBN 978-4-88715-207-6
  • 飯島春敬ほか 『書道辞典』(東京堂出版、1975年4月)
  • 『書に遊ぶ』4号(クリエイティブアートとまと、2001年1月)
  • 『比田井南谷』(東京画廊+BTAP)

関連項目