「秋田県立秋田きらり支援学校」の版間の差分

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[[File:Akita Special support area Kagayaki-no-oka 006.jpg|thumb|あきた総合支援エリア かがやきの丘]]
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秋田市[[上北手百崎]]に造成された、「南ヶ丘ニュータウン」([[秋田県住宅供給公社]]が[[デベロッパ]]として造成)の一部を、秋田県住宅供給公社の破綻などの理由から住宅地としての販売を取りやめ、総合福祉エリアとして造成しなおし、当該部分を「あきた総合支援エリア かがやきの丘<ref>当初は、「秋田県こども総合支援エリア(仮称)」の名称であった。</ref>」として整備し、その施設の一つとして、肢体不自由者・病弱者(身体虚弱者を含む)を対象とした特別支援学校の新設が計画され、設置されたのが、本校である(これに伴い、[[秋田県立秋田養護学校]]と[[秋田県立勝平養護学校]]が閉校となり、元は2つに分割された[[肢体不自由]]の学校が、事実上合流される形になった)。
秋田市[[上北手百崎]]に造成された、「南ヶ丘ニュータウン」([[秋田県住宅供給公社]]が[[デベロッパ]]として造成)の一部を、秋田県住宅供給公社の破綻などの理由から住宅地としての販売を取りやめ、総合福祉エリアとして造成しなおし、当該部分を「あきた総合支援エリア かがやきの丘<ref>当初は、「秋田県こども総合支援エリア(仮称)」の名称であった。</ref>」として整備し、その施設の一つとして、肢体不自由者・病弱者(身体虚弱者を含む)を対象とした特別支援学校の新設が計画され、設置されたのが、本校である(これに伴い、[[秋田県立秋田養護学校]]と[[秋田県立勝平養護学校]]が閉校となり、元は2つに分割された[[肢体不自由]]の学校が、事実上合流される形になった)。病弱については、[[秋田県立ゆり養護学校道川分教室]]<ref>同分教室は、併設元の[[国立病院機構あきた病院]]に入院する児童生徒に対する訪問教育制をとっているため、通学可能な児童生徒は受け入れておらず、同分教室の本校である[[秋田県立ゆり養護学校]]も知的障害が対応する教育領域であるため、厳密な意味では通学可能な児童生徒の受け皿にはなっていない。</ref>では対応できない、通学可能な児童生徒を一部受け持つ形となる([[重症心身障害]]の児童生徒の場合は、肢体不自由のケアに重点を置く場合は本校<ref>その場合は、[[秋田県立医療療育センター]]に入院する形で、渡り廊下を通して通う形となる。</ref>、病弱のケアに重点を置く場合は同道川分教室という棲み分けになる)。


本校開学に合わせて、秋田市[[土崎港北]]二丁目17番70号に所在した[[秋田県立聾学校]]と同市[[土崎港南]]三丁目2番72号に所在した[[秋田県立盲学校]]を本校と同一地に移転し、[[重複障害]]にも対応した体制を構築し、[[知的障害]]を除く4教育領域([[重症心身障害]]を含む)の「[[センター的機能]]」を果たすことも目的にしている(ただし、教育領域ごとの独立性・専門性の観点から、盲学校・聾学校までも統合の対象とはしなかった経緯がある)。校舎も、エントランスや体育館、食堂といったスペースは共用し、教室部分などは各学校ごとに別々に設置されている形をとっている。
本校開学に合わせて、秋田市[[土崎港北]]二丁目17番70号に所在した[[秋田県立聾学校]]と同市[[土崎港南]]三丁目2番72号に所在した[[秋田県立盲学校]]を本校と同一地に移転し、[[重複障害]]にも対応した体制を構築し、[[知的障害]]を除く4教育領域([[重症心身障害]]を含む)の「[[センター的機能]]」を果たすことも目的にしている(ただし、教育領域ごとの独立性・専門性の観点から、盲学校・聾学校までも統合の対象とはしなかった経緯がある)。校舎も、エントランスや体育館、食堂といったスペースは共用し、教室部分などは各学校ごとに別々に設置されている形をとっている。

2012年11月28日 (水) 17:00時点における版

秋田県立秋田きらり支援学校
秋田県立盲学校・秋田県立聾学校・秋田県立秋田きらり支援学校共用玄関
国公私立の別 公立学校
設置者 秋田県
併合学校 秋田県立秋田養護学校秋田県立勝平養護学校
校訓 自ら学ぶ
豊かに表す
健やかに生きる
手をつなぐ
設立年月日 2010年4月1日
共学・別学 男女共学
設置学部 小学部
中学部
高等部
学期 3学期制
所在地 010-1407
秋田市上北手百崎字諏訪ノ沢3番地127
北緯39度41分25.7秒 東経140度9分29.7秒 / 北緯39.690472度 東経140.158250度 / 39.690472; 140.158250座標: 北緯39度41分25.7秒 東経140度9分29.7秒 / 北緯39.690472度 東経140.158250度 / 39.690472; 140.158250
外部リンク 公式サイト
Portal:教育
プロジェクト:学校/特別支援学校テンプレート
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秋田県立秋田きらり支援学校(あきたけんりつ あきたきらりしえんがっこう)は、秋田県秋田市上北手百崎南ヶ丘ニュータウン)にある公立特別支援学校肢体不自由者を主たる教育対象としているが、病弱者(身体虚弱者を含む。)も一部対象としている。

概要

あきた総合支援エリア かがやきの丘

秋田市上北手百崎に造成された、「南ヶ丘ニュータウン」(秋田県住宅供給公社デベロッパとして造成)の一部を、秋田県住宅供給公社の破綻などの理由から住宅地としての販売を取りやめ、総合福祉エリアとして造成しなおし、当該部分を「あきた総合支援エリア かがやきの丘[1]」として整備し、その施設の一つとして、肢体不自由者・病弱者(身体虚弱者を含む)を対象とした特別支援学校の新設が計画され、設置されたのが、本校である(これに伴い、秋田県立秋田養護学校秋田県立勝平養護学校が閉校となり、元は2つに分割された肢体不自由の学校が、事実上合流される形になった)。病弱については、秋田県立ゆり養護学校道川分教室[2]では対応できない、通学可能な児童生徒を一部受け持つ形となる(重症心身障害の児童生徒の場合は、肢体不自由のケアに重点を置く場合は本校[3]、病弱のケアに重点を置く場合は同道川分教室という棲み分けになる)。

本校開学に合わせて、秋田市土崎港北二丁目17番70号に所在した秋田県立聾学校と同市土崎港南三丁目2番72号に所在した秋田県立盲学校を本校と同一地に移転し、重複障害にも対応した体制を構築し、知的障害を除く4教育領域(重症心身障害を含む)の「センター的機能」を果たすことも目的にしている(ただし、教育領域ごとの独立性・専門性の観点から、盲学校・聾学校までも統合の対象とはしなかった経緯がある)。校舎も、エントランスや体育館、食堂といったスペースは共用し、教室部分などは各学校ごとに別々に設置されている形をとっている。

また、旧秋田県立勝平養護学校が所在した、いわゆる「福祉団地」に所在した「秋田県太平療育園」や秋田市川尻町八橋境に所在した「秋田県小児療育センター」を機能統合した秋田県立医療療育センターを棟続きの隣接地に併設し、かがやきの丘が所在するエリアから歩いて20分圏内には秋田赤十字病院も所在し、医療機関との連携体制も整えるよう整備している。

ただし、敷地内の寄宿舎は、同一地にある秋田県立盲学校・秋田県立聾学校の児童生徒を対象としており、本校は対象とされていない。その一方で、隣接する秋田県立医療療育センターの入院児童・生徒は、渡り廊下で通学できるようにしている。

なお、知的障害者については(秋田市近隣の場合は)秋田県立栗田養護学校(および、秋田大学教育文化学部附属特別支援学校)、病弱者(身体虚弱者を含む)および重度重複障害については秋田県立ゆり養護学校道川分教室由利本荘市に所在。国立病院機構あきた病院に併設)にそれぞれ役割が分けられており、こちらの重複障害がある場合は、それぞれが連携して教育体制を整えるとしている。

沿革

  • 2010年(平成22年)4月1日 - 秋田県立秋田きらり支援学校として開学。

学部

  • 小学部
  • 中学部
  • 高等部

原則、各学部および各学年ともに、「準じた指導」・「領域・教科を合わせた指導」(生活単元学習など)・「自立活動中心の指導」の3つのクラスを設置して対応しており、訪問指導も行っている。

行事

関連項目

注釈

  1. ^ 当初は、「秋田県こども総合支援エリア(仮称)」の名称であった。
  2. ^ 同分教室は、併設元の国立病院機構あきた病院に入院する児童生徒に対する訪問教育制をとっているため、通学可能な児童生徒は受け入れておらず、同分教室の本校である秋田県立ゆり養護学校も知的障害が対応する教育領域であるため、厳密な意味では通学可能な児童生徒の受け皿にはなっていない。
  3. ^ その場合は、秋田県立医療療育センターに入院する形で、渡り廊下を通して通う形となる。

外部リンク