「フリードリヒ・マックス・ミュラー」の版間の差分
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2012年7月25日 (水) 12:25時点における版
フリードリヒ・マックス・ミュラー(Friedrich Max Müller、1823年12月6日 - 1900年10月28日)は、ドイツ・デッサウに生まれ、イギリスに帰化したドイツのインド学者(サンスクリット文献学者)、東洋学者、比較言語学者、比較神話学者。
父は詩人として知られるヴィルヘルム・ミュラー(シューベルトが曲をつけた『冬の旅』が有名)。イギリス首相を4度務めたウィリアム・グラッドストンとは親友であり、ヴィクトリア女王とも親交があった。息子のヴィルヘルム・マックス・ミュラー(1862年 – 1919年)はドイツで学んだ後アメリカへ渡り、エジプト学の研究者になった。
経歴
フリードリヒ・マックス・ミュラーは1823年12月、デッサウに生まれた。詩人であった父ヴィルヘルムはミュラーが4歳の時に死去する。ミュラーは父の影響で詩や音楽に関心があったが、知人であったフェリックス・メンデルスゾーンは別の進路を勧めた。
ミュラーはライプツィヒ大学に入学し、1843年、20歳の時に哲学博士号を取得。さらにベルリン大学でサンスクリット学者フランツ・ボップ、哲学者フリードリヒ・シェリングに学び、フランクフルトではアルトゥル・ショーペンハウアーに会っている。しかしミュラーに最も影響を与えたのはユージン・ビュルヌフ(甥は、アーリア至上主義の創始者として知られるエミール・ビュルヌフ)であった。
1845年、ミュラーはパリでユージン・ビュルヌフに師事し、サンスクリットを学ぶ。ミュラーはビュルヌフの勧めで『リグ・ヴェーダ』の校訂に取り組み、以後文献学者としてサンスクリット文献の校訂と翻訳につとめる。
1848年、ミュラーは駐英大使クリスティアン・C・J・フォン・ブンゼンによってイギリスに招かれる。ブンゼンはイギリス東インド会社の援助によって『リグ・ヴェーダ』の校訂・翻訳を行う人物として、ミュラーに白羽の矢を立てたのである。翌1849年『リグ・ヴェーダ・サンヒター』全6巻の刊行が始まり(1873年に完結)、1850年にオックスフォード大学教授。1854年には現代諸語のタイラー講座教授、1858年、オール・ソールズ・カッレジのフェロー(研究員)となる。1860年、サンスクリットのボーデン講座教授の地位をモニァー・ウィリアムズと争って敗れるが、1868年にはミュラーのために比較文献学の講座が開設された。
ミュラーは1875年に退官するが、1879年には『東方聖書』全50巻の刊行がスタートし、1894年に完結する。その6年後の1900年、イギリスに渡って以来オックスフォードに住み続けたミュラーは同地で死去した。
ミュラーはまた、ルドヴィコ・ザメンホフやレフ・トルストイと親交があったウラジーミル・マイノフ(1871年–1942年?)の影響を受けたエスペランティストの一人だった。
彼のサンスクリットおよび仏教学資料の二万冊にも及ぶコレクションは東京大学へ寄贈され、「マックス・ミュラー文庫」として重宝されていたが、1923年の関東大震災により焼失した。
神話研究
ミュラーが師事したビュルヌの甥が人種差別主義者で悪名高かったようにミュラーもまたそういった思想に影響された。ミュラーの研究は比較神話学に影響を与え、さらに、共通起源をもつとされたインド人とヨーロッパ人には「アーリア人」の名称が与えられ、その実在と拡散というモチーフをもつ歴史観もまた拡大した。これは、ヨーロッパの卓越性を証明づけるものとしての人種主義的な要素を含む「アーリア神話」となって後代に学問的のみならず、社会的、政治的にも大きな影響を与えることとなった。
ミュラーは神話を言語の病によって生じたと主張し、またインド神話とギリシア神話の固有名の間に対応関係が見出せるとした。さらに印欧語族神話を太陽神話として読み解くことを提唱、同様に神話を暴風神話として読み解いたアダルベルト・クーンらとともに自然神話論的な解釈を展開した。こうした学説はその後台頭した人類学的な解釈などによって明確に否定され、現在では省みられないもの、一時は1学派を形成し、現在にいたる神話学の隆盛に火をつけた。
参考文献
- 松原孝俊・松村一男編『比較神話学の展望』青土社(1995年)
- ハンス・G・キッペンベルグ(月本昭男・渡辺学・久保田浩訳)「第3章・諸言語が語るヨーロッパの初期宗教史」『宗教史の発見:宗教学と近代』、岩波書店、2005年、55~79ページ。