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2012年3月19日 (月) 07:23時点における版
山海関 | |
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山海関 | |
各種表記 | |
繁体字: | 山海關 |
簡体字: | 山海关 |
拼音: | Shānhăiguān |
山海関(さんかいかん)は中華人民共和国河北省と遼寧省の省境に位置する万里の長城の東部に位置する要塞。かつて永らく「長城の東端」とされてきたが、2009年4月18日、中華人民共和国国家文物局により遼寧省虎山が東端と訂正された。明代は北方民族である女真の侵入に対する防衛の要とされた。「天下第一関」と称されるが、これは山海関の著名性を表したものではなく、東から数えて最初の関所であったことを示す。
山海関を越えて中原に向かうことを「入関」あるいは「関内に入る」と称し、満洲を「関外」もしくは「関東」という。かつて日本の租借地であった関東州や、そこに駐留した関東軍の名称もこれに由来する。
歴史
漢代は臨楡関と称され、明代に山海衛が設置された後に山海関と称されるようになった。明末はヌルハチ、ホンタイジによる満洲族の侵入を阻止し、守将であった呉三桂が清朝に帰順するまで不落の要塞だった。清代以降は行政区画名は臨楡県と改称されたが、山海関の名称がそれ以降も使用され現在に至っている。
1931年の柳条湖事件(満洲事変勃発)、1932年の満洲国建国と満洲地区の政治情勢が変化する中、1933年(昭和8)1月に関東軍は山海関を占領、これにより日本軍による北京攻略の東部回廊が確保され、2月に熱河作戦が遂行され、制圧後の熱河省は満洲国に併合された。