「ノート:九州の役/過去ログ4」の版間の差分

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{{提案}}既に二ヶ月以上も提案が滞っています。「議論への注力>加筆への注力」であれば、プロジェクトに取ってマイナスであり、改名提案側から建設的な推進がないことから、議論を'''一旦クローズ'''、または'''一年ぐらい棚上げ'''して記事を発展させることに注力することを提案します。--[[利用者:Yasumi|Yasumi]] 2011年11月13日 (日) 09:32 (UTC)
{{提案}}既に二ヶ月以上も提案が滞っています。「議論への注力>加筆への注力」であれば、プロジェクトに取ってマイナスであり、改名提案側から建設的な推進がないことから、議論を'''一旦クローズ'''、または'''一年ぐらい棚上げ'''して記事を発展させることに注力することを提案します。--[[利用者:Yasumi|Yasumi]] 2011年11月13日 (日) 09:32 (UTC)
:{{賛成}} Yasumiさんの意見に賛成します。提案者らは議論を停滞させ加筆を妨げているといえます。--[[利用者:三階菱|三階菱]] 2011年11月15日 (火) 16:04 (UTC)

2011年11月15日 (火) 16:04時点における版

過去ログ1

/過去ログ1に保存してあります。内容: 2008年7月18日 (金) 14:54から2009年4月1日 (水) 20:11まで、「九州征伐」から「九州の役」への移動に関する議論。

過去ログ2

/過去ログ2に保存します。小判キング 2010年6月7日 (月) 05:07 (UTC) から プリズム112010年10月31日 (日) 06:38 (UTC) まで。 内容は以下の通り。

1 名称について
1.1 改名の是非
1.2 改名の提案根拠
1.3 今回の改名議論をこのまま進めるか(前回の改名投票の有効・無効を論じるか)
1.4 前回および今回の投票の有効性・無効性について
1.4.1 コメント欄
2 投票の締め切りと改名賛成確認
3 参考投票後の議論について
3.1 改名提案の論点整理
4 九州の役・九州平定・九州国分
4.1 「戦争」=「平定」なのか。それとも、「戦争」≠「平定」なのか
5 改名議論の整理依頼
6 議論の中心を記事内容に遷しては
7 今後の議事進行について。

ただし、2「名称について」は、本文中にもログを残します。--Chokorin 2011年2月11日 (金) 01:25 (UTC)

報告残しておいた重複分(2「名称について」)を削除します。--Chokorin 2011年4月5日 (火) 13:16 (UTC)

過去ログ3

/過去ログ3に保存します。秋田城之介 2010年10月30日 (土) 15:06 (UTC)からWatchdog daemon2011年3月30日 (水) 07:31 (UTC)まで。

  1. 1 「九州征伐」への再改名提案
  2. 2 Wikipedia:記事名の付け方に沿って下さい
  3. 3 調査投票による合意提案

以上です。新規議論参加者は上記の議論に一通り、目を通してください。--秋田城之介 2011年4月27日 (水) 00:49 (UTC)修正--秋田城之介 2011年5月20日 (金) 02:42 (UTC)

そろそろ決着を付けませんか

あらためて「九州征伐」への改名には反対します。理由は3点。

  1. 客観的に「征伐」といえるのか疑問である。
  2. 出典のうえで「九州征伐」に優位性がない。
  3. 記事「九州平定」があれば記事「九州征伐」は不要である。

1.について。これは私が個人的に疑問だというのではなく、たとえば、山川出版社県史シリーズ『宮崎県の歴史』(1999)で大賀郁夫は「豊臣秀吉の九州侵攻」の語を用い、「…このため秀吉は、同年7月島津氏を『逆徒』と決め、…羽柴秀長・秀次の指揮のもとに西国軍勢を派兵して、世にいう『島津征伐』が開始された。」(p.180)と叙述しています。つまり、島津が本当に「逆徒」であるかどうかについては疑義が付されているわけです。池上裕子も、講談社『日本の歴史15 織豊政権と江戸幕府』(2002)のなかで「九州出兵」の語を用い、「…このため秀吉は7月、停戦令に違反した『逆徒』島津の『征伐』令を発して中国勢・四国勢を派遣したが、島津はそれらと戦い、かえって豊後を占領した。」(p.154)とあり、ここでもわざわざカギ括弧が使用されています。

国語辞典によれば、「征伐」とは、以下のように、

  • 「罪のある者や反逆者などを攻め討つこと。征討」(『大辞泉』)
  • 「罪ある者や反逆する者を攻め討つこと。征討。討伐。退治」(『日本国語大辞典』)
  • 「反逆者や悪者を攻め討つこと。征討」(『明鏡国語辞典』)
  • 「攻めて行って反逆者や悪者などを討つこと」(『大辞林』)

という意味であり、したがって、「九州征伐」の語を使用することは、島津を「逆徒」とみなす立場に明瞭に立ってしまうということです。しかし、本当に島津のとった行動は「反逆」を意味するんでしょうか。天下統一の成った後ならば、確かに関ヶ原合戦前の上杉景勝の行動や禁門の変後の長州藩の行動は公儀権力や幕藩体制に対する「反逆」と見なすことは可能であり、「上杉征伐」の語も「長州征伐」の語も客観的に言って間違いではないでしょう。しかし、織豊政権が公儀権力となる以前のこの時点で「征伐」の述語を用いることは、明らかに公正さと正確さを欠くのではないかと考えます。少なくとも、専門家のあいだにそれを使用することに躊躇がある以上、何も無理をしてそのような異議・異論のある語を候補にすえる必要はないのではないかと考えます。それからまた、「両論併記されてさえいれば、記事名は中立的でなくてよいのだ」というふうな議論もありますが、それは議論のすり替えであり、何もわたしは「九州征伐」の語を使用禁止にしようとか、そういう言葉狩りを目的をしようというものではありません。島津側の立場や事情を無視して100パーセント秀吉側に立てば、そりゃ「征伐」ということになるでしょう。論点はむしろ、そういう立場に立って記事をつくっていいのかということであり、そういう立場に立って記事をつくるのであれば島津側の事情や立場も公平に説明できる記事がまた別に必要となるから、本記事の「九州征伐」への改名には反対だということです。「九州征伐令」という秀吉が出した命令に関する記事をつくることにも反対しません。当然のことながら、記事名もまた記事の一部なわけです。

2.については、ほかならぬ秋田城之介さんが調べてくださいました(6月20日)。それによれば、

  • 『戦国史事典』       秋田書店   1980 九州の陣
  • 『日本全史』        講談社    1991 九州平定
  • 『クロニック戦国全史』   講談社    1995 九州征服
  • 『角川新版日本史事典』   角川書店   1997 九州攻め
  • 『岩波日本史事典』     岩波書店   1999 九州平定
  • 『日本歴史大事典』     小学館    2000 九州平定
  • 『日本史事典』       旺文社    2000 九州征討
  • 『日本史小事典』      山川出版   2001 九州攻め
  • 『日本史事典』       平凡社    2001 九州攻め
  • 『詳解日本史用語事典』   三省堂    2003 九州平定
  • 『最新日本史教授資料』   明成社    2003 九州平定
  • 『朝日百科日本の歴史』   朝日新聞社  2005 島津攻め
  • 『豊臣秀吉事典』      新人物往来社 2007 九州平定
  • 『日本中世史事典』     朝倉書店   2008 九州出兵

ということですから、特に「九州征伐」に優位性はありません。

Babi Hijauさん、Tomzoさん、Yasumiさんが6月から7月にかけて掲げられたものを時系列で並べると、

  • 百雲道昭「島津征伐と本願寺光佐」    1974  島津征伐
  • 今井林太郎『国史大辞典』吉川弘文館   1983  九州征伐
  • 毛利亮太郎「九州役の陣立書」      1997  九州役
  • 松本寿三郎『熊本県の歴史』       1999 九州平定、九州仕置
  • 松本寿三郎・吉村豊雄『街道の日本史51 火の国と不知火海』 2005 九州平定
  • 田中仙堂「入門講座 安土・桃山の茶(39)九州平定」2006 九州平定

ということになります。「島津征伐」「九州征伐」は確かにありますが、今から20年以上も前の刊行物です。

10月30日の秋田城之介さんの改名提案では、

  • 図解戦国史     成美堂出版  2009
  • 豊臣秀吉と天下統一 双葉社    2008
  • 豊臣秀吉事典    新人物往来社 2007
  • 大辞林       小学館    2006 
  • 大辞泉       小学館    1998
  • 万有百科大辞典   小学館    1973
  • 豊臣時代史     明治書院   1925

において「九州征伐」が使われているということですが、少なくとも上2つは「信頼できる情報源なのか」という点で疑問があります。下2つは古すぎるでしょう。国語辞典は、「九州征伐」という語がわからない人のために語の意味を説明するものであり、歴史学的な名称として「九州征伐」が適切であるとか一般的であるということを立証するものではないでしょう。『太閤記』とか秀吉を主人公とした講談・芝居などでは「九州征伐」が圧倒的に多いのは当然のことではありますが、ここでは軍記物の説明をしたいのではなく、歴史的事象を説明したいわけです。

一応、わたしなりの文献調査を追加します。まずは県史シリーズ。

  • 梶原良則『福岡県の歴史』山川出版社 1997 「九州への遠征」「九州への侵攻」「秀吉による九州平定」(p.170)
  • 豊田寛三『大分県の歴史』山川出版社 1998 「秀吉の九州平定」(p.180)
  • 宮島敬一『佐賀県の歴史』山川出版社 1998 「豊臣秀吉の九州平定」(p.149)
  • 佐伯弘次『長崎県の歴史』山川出版社 1998 「大友氏救援のため九州に出陣」(p.139)
  • 日隈正守『鹿児島県の歴史』山川出版社 1999 「(秀吉の)九州遠征」(p.151)
  • 大賀郁夫『宮崎県の歴史』山川出版社 1998 「豊臣秀吉の九州侵攻」(p.180)

事典の見出しでは、

  • 『日本重要戦乱事件事典』教育社 1988 「九州征討」
  • 『日本史広辞典』山川出版社 1997 「九州攻め」

通史・学術書では、

  • 熱田公『天下一統』集英社<日本の歴史11>、1992「九州の役」(結果として)「九州平定」
  • 池上裕子『織豊政権と江戸幕府』講談社&lt日本の歴史15>、、2002 「九州出兵」
  • 小和田哲男『秀吉の天下統一戦争』吉川弘文館<戦争の日本史15>、、2006「九州攻め」

以上このなかで、「九州平定」はすでに既存の記事としてあるわけですからそれを除外し、四半世紀以前のものを除外すると、比較優位なのは「九州攻め」であり、他に「九州征討」「九州出兵」「九州の役」が散見される程度です。「九州征伐」はなくはないが、通俗的な読み物にほぼ限定されるというのが現状のようです。

3.について。そもそも「九州征伐」というのは「反逆者を討って九州を平定する」ということが大意としてあるわけですから、「九州平定」に包摂されるのではないかと考えます。「『反逆者』かどうかは別として」という部分を保留にして考えるなら、ほぼ同義でしょう。秋田城之介さんの言葉をお借りするなら、「戦争・事象の両方の意味を持つ」ということでも意味は重なるわけです。であるなら、同じ意味の見出しは2つは要らないわけです。

最後に、「九州の役」についてですが、Yasumiさんの御意見を敷衍させると、たとえば「九州征伐」でも「九州攻め」でもいいのですが、これらを出典にして大幅に加筆修正されたら「九州征伐」「九州攻め」への改名も可能になる、あるいは改名を余儀なくされるということになりますので、これは、はなはだ具合のわるい御意見、あるいは一般化できない極論ではないかと思います。おそらくはWatchdog daemonさんも、このことを懸念されているのではないかと拝察いたします。個人的には、記事名が「九州の役」であることは許容できますが、Yasumiさんの御見解はそれはそれで大いに問題だと考えます。なので、自分としては、総合的に判断して、戦役記事という性格を保持したまま「九州攻め」への改名を提案します。--Chokorin 2011年2月15日 (火) 13:36 (UTC)

自分の名が出ているので、上でコメント。--Watchdog daemon 2011年2月15日 (火) 17:57 (UTC)
まず、Chokorin氏の「客観的に「征伐」といえるのか疑問である」という意見ですが、それは客観ではなくChokorin氏の独自研究的判断ではないでしょうか?中立性を履き違えています。
「出典のうえで「九州征伐」に優位性がない」と言われますが、たしかにそれは「九州平定」に対しては優位性が無いと言えます。しかし、九州の役や九州攻めに比した場合はそういい切れません。
「記事「九州平定」があれば記事「九州征伐」は不要である」という意見に関しては、たしかに統合の余地はありますが、それは現時点(九州の役)でも同じことです。「九州攻め」に関しても、いろんな時代のものを扱う、列挙記事になりうるでしょう。ただし、「「反逆者を討って九州を平定する」ということが大意としてあるわけですから、「九州平定」に包摂される」という意見はChokorin氏の持論にすぎず、根拠足りえません。--秋田城之介 2011年2月16日 (水) 08:00 (UTC)
1点目についてのみコメント。別に独自研究などではなくて、専門家2人の叙述を出典つきで御紹介いたしましたが、読み取られなかったでしょうか。国語辞書にあるように「征伐」とは「反逆者を討つ」という意味なわけですよね。第三者からみて島津が「逆徒」「反逆者」といえるのかどうか。100%「逆徒」「反逆者」で疑問の余地がないのならば、それを討つ行為は、客観的にも「征伐」と言えるでしょうね。しかし、そう決めつけることはできないから、専門家もカギ括弧付きで示しているわけです。御理解いただけますでしょうか? --Chokorin 2011年2月16日 (水) 13:48 (UTC)
カギ括弧付きで示していることが、あえて視点を移した記述であることはわかりますが、そのChokorin氏の見解自体は筆者の意図だと言い切れるのでしょうか?むしろ見解の一つではないでしょうか?あなたがその記述と国語辞典を参照して考えた結果であって、資料の参照にはなっていないのでは?--秋田城之介 2011年2月22日 (火) 04:25 (UTC)
これは読解力の問題だと思うのですね。大賀氏も池上氏もカギ括弧付きで示しているのは「征伐」の部分だけではなくて、「逆徒」の部分もそうなわけです。つまり、「逆徒」と「征伐」はセットなのです。お二人は九州侵攻とか九州出兵という語を使っているとき、カギ括弧を使っていません。明らかに、この事象を「九州征伐」と呼ぶことは疑問であり、その理由も果たして島津は誰がみても「逆徒」なのかということですよね。まあ、実際に文献にあたられるのがよろしいでしょう。お二人のほかにも、同様のことをおっしゃっていた専門家はいたので、御希望とあらば、御紹介いたしましょう。--Chokorin 2011年2月22日 (火) 04:56 (UTC)
ですから、あなたの解釈を一般化されても困るし、征伐という用語が差別的だとする考えが主流化しているような事実もありません。--秋田城之介 2011年3月3日 (木) 03:14 (UTC)
当方は出典にもとづいて事実を紹介しています。それにまた、これは、解釈ではなくて読解力の問題だとも申し上げています。わたしは言葉自体が差別だとかいうようなことは何ら主張してないんですね。「征伐」ということばは「反逆者・逆徒を攻める」という意味なのですから、島津が史実に照らして真に「逆徒」なのか疑問ならば「征伐」ということばは安易には使えないことになります。それ以外の解釈が成り立つのならば、それを貴兄がお示しになればいいだけの話であり、貴兄がそれを具体的に示せない以上、誰が読んでもそう理解できるということじゃありませんか。--Chokorin 2011年3月3日 (木) 03:55 (UTC)
「九州征伐」よりは「九州攻め」の方がましだと思いますが、議論の延長上から私はやはり「九州の役」を推す意見に変わりはありません。
「九州攻め」については「九州平定」「九州征伐」と同じく、「秀吉POV」であり「被攻め側」からのリンクに難がある他、従来からの指摘されてきた問題点が内包されています。下記についてご意見を伺いたいと思います。
  1. 「九州攻め」ならば、より正確に「豊臣秀吉の九州攻め」とならない理由は何ですか?
  2. 「九州攻め」の意味について、原義は「豊臣秀吉が九州を攻めたこと」であり、記事の主題である「豊臣と島津の戦争」の用法は代名詞であると考えますが、いかがお考えでしょうか?
  3. 上記を踏まえて出典を見るに、後者の戦争名を意味した「九州攻め」使い方は稀であって、「九州攻め」の用例の殆どが原義の意味ではないでしょうか?この議論でも、記事名と異なる用例の方が多い候補名に、それを無視して「用例が多い」とは言えないと思います。「九州攻め」よりも「攻め」の用例の方が多いといっても、記事名を「攻め」にしようとは思わないでしょう。
  4. 「具合のわるい御意見・・・、Yasumiさんの御見解はそれはそれで大いに問題」について。私もこの点のみでなく総合的な判断をしているわけですが、その中の一要素として、(あくまでも質的量的な評価を加えた上で)出典の呼び名に習って記事名を付けることは普通のことだと思います。もし、この戦争を「九州征伐」と呼ぶ質量共に「九州の役」以上の出典『九州征伐』があり、それを基幹出典とした記事があるなら、その記事は「九州征伐」と呼ぶに相応しいでしょう。ただし、現状では『九州征伐』という本はないし、基幹出典ともなっていないわけですが。
--Yasumi 2011年2月19日 (土) 01:15 (UTC)
御意見ありがとうございます。Yasumiさんは「四国征伐」からの改名の際、どうして候補を「四国攻め」にされたんですか。「四国攻め」を推進して「九州攻め」に反対する理由についてきちんと説明してください。「秀吉POV」はけしからんという理由での「九州攻め」の否定ならば、「四国攻め」もいけないことになりますね。それ以外については後で御返答いたしましょう。--Chokorin 2011年2月19日 (土) 01:32 (UTC)

(インデント戻す)さて、お二人とも御返答ないようですが、いかがなされましたか。

秋田城之介さん。第一点について、独自研究ではなくて専門家2人の見解である点はお認めになりますか。一方的に「征伐」と断定することができないから、専門家もカギ括弧付きで示しているわけですが、そこのところは理解していただきましたか。理解できるか、理解できないか。答えは2つに1つのはずですので、早いところ、お答えください。

Yasumiさん。「四国征伐」からの改名の際、どうして候補を「四国攻め」にされたんですか。即答できない質問ではないはずです。

それから、お二人とも奇しくも同じことをおっしゃっていますが、「『九州攻め』には賛成できないが『豊臣秀吉の九州攻め』には賛成できる」という意味でしょうか。--Chokorin 2011年2月21日 (月) 11:00 (UTC)

そのほうがマシという程度です。「九州攻め」ではそれこそ列挙記事になります。それでも良いのであれば、「九州平定」を含め、どのように扱っていくかという問題になりますが。--秋田城之介 2011年2月22日 (火) 04:25 (UTC)
ありがとうございます。文献調査の結果からは「九州攻め (豊臣秀吉)」なり「豊臣秀吉の九州攻め」の方が「九州征伐」や「九州の役」よりは、よほど一般的に使用されていると思います。そこで合意がとれるのであれば、わたしもそのセンで検討したいと思います。。--Chokorin 2011年2月22日 (火) 04:56 (UTC) (署名忘れを補筆 --Chokorin 2011年2月22日 (火) 05:06 (UTC)
それでは取り敢えず即答させていただきます。双方の議論はそれぞれ異なった出典状況を背景に優劣が議論されています。
「四国攻め」を推した論旨は概ねノート:四国攻め/Log1#「四国攻め」支持(改名賛成)側の論旨にてまとめられている通りであり、「九州の役」を推す論旨もこちらで縷々述べてきました。
客観的に戦争史を描写した記事である点は一致しており、従ってPOVが減点材料となる点は共通だと思います(四国の議論でも「付言すると、Wikipedia:ウィキプロジェクト 軍事史#記事名のガイドラインにもある通り、比較的ましではありますが「四国攻め」にも同様の懸念があることは認識しています。・・・--Yasumi 2009年11月12日 (木) 12:05 (UTC)」とコメントさせていただいています)
また、Chokorinさんがどのような論理で優先度をつけているのか不明のため、「豊臣秀吉の九州攻め」より「九州攻め」が優先される論理を問い合わせているのです。
それでは、その他の代名詞の戦争の意味よりも原義の主体の者の行為の意味での用例が多いのではないかという疑問などの問い合わせについても回答下さい。
--Yasumi 2011年2月24日 (木) 21:34 (UTC)
コメント御返答ありがとうございます。懸念があるとはいっても、あなたは「四国征伐」から「四国攻め」への改名を推進した当人なわけです。その際のロジックとしては、Wikipedia:記事名の付け方の5つの指針、
  1. 認知度が高い
  2. 見つけやすい
  3. 曖昧でない
  4. 簡潔
  5. 首尾一貫している
のうちの、1.を理由とされたのですね? POVの話は二の次、三の次であったと思います。であるならば、本件についても1.を中心にすえて議論すべきではないですか。そのあたり一貫していないと思われるのですが、いかがでしょうか。認知度を基準にする場合、「九州の役」というのは残念ながらあまり認知度が高くはないです。『日本戦史』の用語法では「関ヶ原役」「小牧役」というふうに、すべて「役」で統一されていますが、今日ではそれが一般的用法でなくなったのも多い。九州に関しては、熱田公氏が「九州の役」の語を用いているくらいであり、ゼロではないにせよ、それだけでは決して一般的とはいえません。何度も改名提案が出されるのは、そのためではないでしょうか。また、5.からしても「九州攻め」が望ましいでしょう。今後、「九州の役」という用語法が普及したなら、「九州の役」も積極的に支持できるのですが、そうでない限りは、現代、一般的に使用されている語のなかから選ぶべきではないかと思います。いかがでしょうか。最後の一文は、誰が何をどう疑問なのかよくわからないので、もう一度書き直していただけるとありがたいです。Yasumiさんや秋田城之介さんが、<「九州攻め」には合意できないが、「九州攻め (豊臣秀吉)」や「豊臣秀吉の九州攻め」ならば合意できる>ということであれば、個人的にはいろいろ言いたいこともありますが、上に述べたとおり、わたしもそれに同意することは可能です。--Chokorin 2011年2月25日 (金) 22:11 (UTC)
文献調査の追加です。
  • 藤木久志「戦場の奴隷狩り・奴隷売買」『展望日本歴史12』東京堂出版、2001(『中世内乱史研究15』1994所収)「九州攻め」(p.232)
  • 山田邦明『日本の歴史八 戦国の活力』小学館、2008「九州攻め」(p.315)
  • 堀新『日本中世の歴史7 天下統一から鎖国へ』吉川弘文館、2010「九州攻め」(p.92)
折をみてさらに追加報告したいと思います。--Chokorin 2011年2月25日 (金) 22:31 (UTC)(体裁なおし、文献追加)--Chokorin 2011年2月25日 (金) 22:39 (UTC)
コメントもう一点申し上げておきます。これは、むしろ秋田城之介さんに対するものですが、「1.認知度」をもとに「九州の役」から「九州征伐」への改名を提案されるのなら、それに徹していただけませんか。「九州攻め」に関してのみPOVを持ち出して反対というのは、いかがなものかと思います。「九州平定」との絡みについて言えば、本記事の性格全体にかかわることであり、単なる改名提案を超えていると思います。それは、本来的には改名提案ではなく、別の話題として提案すべき議案と考えますが、いかがでしょうか。紀州、中国、四国ふくめ他の戦役記事のすべてにもかかわる問題である以上、プロジェクトやポータルなどで話し合うのが最も適切ではないかと思います。
それからもう一点。文献調査の追加。
  • 1983年・今井林太郎「九州征伐」(吉川弘文館『国史大辞典 第3巻)
ですが、
  • 2005年・今井林太郎「九州攻め」(吉川弘文館『戦国武将・合戦事典』)
というふうに、項目名の転換がみられることを指摘しておきます。--Chokorin 2011年2月25日 (金) 23:49 (UTC)
ノート:四国攻め/Log1#「四国攻め」支持(改名賛成)側の論旨は読まれた上でコメントされていると思いますが、一番優先されているのはArawodasさんの論旨と同じく「記事に使える史学的見地の出典で、なんと呼ばれているか?」であり、記事のことを呼ぶ名前(記事と呼び名の一致)であるのかが論旨では重視されていました。もっとも、投票では総合的な評価が下されたことになるのでしょうけど。
それと、四国の場合は「秀吉と長宗我部の戦争」を主題として研究した単著はなく、いくつかの出典から戦争部分の記述が出典となって記事が構成されていたことが、今回とはちょっと違うのではないかと思います。
それらを踏まえて、代名詞と原義の用例について何度も問いかけている質問に答えて欲しいのです。Chokorinさんは記事も書かれるし出典も読まれる方です、例えば根拠にされた、小和田哲男『秀吉の天下統一戦争』吉川弘文館2006年に於いて、「九州攻め」という呼び名が本当に「豊臣と島津の戦争」の呼称として使われているのでしょうか?それとも「豊臣秀吉が九州を攻めた事(or行為、or時)」を表しているのでしょうか?下記に抜き出してみました。
(戦争呼称の「豊臣島津戦争」へ置き換え可=A、 主体者側の行為である「(秀吉の)島津攻撃」へ置き換え可=B、 どちらへも置き換え可=C)
C p187-09節題「2 九州停戦令と九州攻め」
B p199-10「いよいよ、秀吉の九州攻めの年を迎えるわけであるが、」
B p200-14「秀吉は年賀祝儀の席で、九州攻めの部署を諸大名に伝え、
C p202-01図名「51-九州攻め関係略図」
C p206-04小題「豊臣政権にとっての九州攻め」
C p210-13「なお、秀吉が九州攻め後、」
C p215-01「また、九州攻めによって島津義久を屈服させたことによって、」
B p215-07「ところが、秀吉は、九州攻めの前に、」
B p216-09「つまり、秀吉は、九州攻めの前に、」
B p218-08「秀吉自身、九州攻めに出陣しなければならない状況が近づいているとき、」
C p221-05「ちょうど、天正十五年が九州攻めと重なったというのが最大の理由であるが、」
C p235-07「特に、九州攻め後の秀吉権力の強大化を」
B p237-01「秀吉による九州攻め後は、」
以上、多少は個人誤差で評価にブレは有り得るでしょうが、前後イベントのためのタイミング表記の場合はどちらとも言えず、主体者の行動を表現する場合には原義の用例となっています。
「九州攻め」より「攻め」の用例が多いでしょうけど、「豊臣と島津の戦争」を意味しない用例が多い訳ですから、頻度のみで「攻め」は優先されません。「豊臣と島津の戦争」を意味しない「四国攻め」の用例頻度も高いわけです。さて、今まで提出された「四国攻め」の用例は果たして「豊臣と島津の戦争」の用例なのでしょうか?
一方、「九州の役」の用例のおそらく100%は記事と一致する「豊臣と島津の戦争」の意味で使われています。
ご質問の趣旨は理解されたと思いますので、もう一度提示済みの「九州攻め」の用例が「豊臣と島津の戦争」の意味で使われているのか?ご確認願います。
追記、堀新『日本中世の歴史7 天下統一から鎖国へ』吉川弘文館2010年のp92の「九州攻め」も確認しましたが、「天皇の元を離れる事もあった」の例として提示されている個所であり、秀吉本人の京都不在のタイミング、つまり前年から始まっている「豊臣と島津の戦争」の意味ではなく「秀吉が九州へ攻め入った時」の意味で使われているようです。
この記事は何であるのか?なんと呼ばれているのか?我々は繰り返される程に評価される流行語を選んでいるわけではありません。もう一度、議論は対象を正しく捉えているものか、考えてみるべきではないでしょうか?
--Yasumi 2011年2月27日 (日) 19:53 (UTC)
要するに「四国攻め」には妥協できるが、Yasumiさんの史学的見地からすれば「九州攻め」には妥協できないということでしょうか。--Chokorin 2011年2月27日 (日) 22:32 (UTC)

(インデント戻す)若干、文献調査の結果を追加しておきます。

  • 池亨『日本の時代史13 天下統一と朝鮮侵略』吉川弘文館 2003 「九州征服」(p.62-63)
  • 谷口克広『検証本能寺の変』吉川弘文館 2007 「九州攻め」(p.236)--Chokorin 2011年3月6日 (日) 02:23 (UTC)
ここで「要するに」と結論部分だけ見て欲しくありませんが、記事を構成する史学的出典状況と優先論理によって候補の中から「四国征伐」よりは「四国攻め」の方が優先され、更に「四国攻め」より「九州の役」が優先されると判断しております。
当方は答えたので、そろそろ回答願いたいのですが、Chokorinさんの出された「四国攻め」の用例のうち、実際に記事と同じ戦争呼称として使われているのはどれですか?評価方法は色々あると思いますが、例えば私が検証したように用例をそれぞれ「豊臣島津戦争」と「(秀吉の)島津攻撃」に置き換えて読み直して見た結果、戦争呼称として使われている率がどれほどか考えていただきたいです。「九州攻め」の代名詞ゆえの劣点がここにあるのです。--Yasumi 2011年3月6日 (日) 21:38 (UTC)
「四国の場合は『秀吉と長宗我部の戦争』を主題として研究した単著はなく、いくつかの出典から戦争部分の記述が出典となって記事が構成されていたことが、今回とはちょっと違うのではないかと思います」とおっしゃいましたが、本記事の場合も、後半部分「いくつかの出典から戦争部分の記述が出典となって記事が構成されている」という点はまったく同じではないでしょうか。何も「史学的見地」というような大層なものを持ち出さなくても、「攻撃」と「戦争」はほぼ同じ意味であり、史実に即せば「豊臣島津戦争」と「(秀吉の)島津攻撃」は同じことです。Yasumiさん御自身が「どちらへも置き換え可=C」なるものを示している、示すことができるということは、とりもなおさず、「豊臣島津戦争」と「(秀吉の)島津攻撃」が同義で使われていることの証しです。Yasumiさんのおっしゃっる「『九州攻め』の代名詞ゆえの劣点」ですが、「豊臣島津戦争」=「(秀吉の)島津攻撃」ととらえれば、何ら「劣点」と呼べるほどの欠点が存在するわけではありません。「豊臣島津戦争」を歴史的に説明すれば「(秀吉の)島津攻撃」ということですから、その意味からはむしろたいへん「わかりやすい」わけです。そしてまた、仮に「九州攻め」の語に「劣点」なるものがあって「九州の役」に何らかの優位性があるとしても、実際の日本史学者は必ずしもそこを重視していないのが現状です。現に、現代の日本史学者で「九州の役」という言葉を用いているのは熱田公氏くらいのもので、藤木久志氏、小和田哲男氏、堀新氏、山田邦明氏、2005年以降は(「九州征伐」の見出しを採用していた)今井林太郎氏も「九州攻め」の語を用いています。「『九州攻め』より『攻め』の用例が多いでしょう」ということですが、わたしは別に「攻め」への改名を提案したつもりはないので「攻め」と「九州攻め」を比較するのはナンセンスというものです。比較するのならば、「九州の役」と「九州攻め」のどちらが現代の日本史学者にとって一般的に使用されているかということでなくては意味がありません。そこのところは残念ながら、問題のすり替え、屁理屈になってしまっていると思います。「『九州の役』がおそらく100%『豊臣と島津の戦争』の意味だろう」というのは、もしかしたらそうなのかもしれませんが、そもそも「九州の役」は用例そのもののの分母が小さいわけです。一般的な認知度の高さ、用例の多さは一切無視してYasumiさんの掲げるロジックを推し進めれば、たとえば、「豊臣・島津戦争」というふうに書いている書籍1冊あれば、それをもとに記事名を「豊臣・島津戦争」にすればいいわけです。それならば、分母1に対して分子1、すなわち「1分の1」ですから完全に100%、名称もそのものズバリで「九州の役」などよりも遙かに良いということになります。
さて、それぞれ自分がベストと思うところがおありなのでしょうが、この件については他者を圧するほどに定まった用法はないということが、そもそもの前提になるのではないかと思います。この場合、求められるのは、自分にとって次善の策であっても許容できるものについては妥協するという姿勢ではないでしょうか。それぞれ一長一短あるからこそ表記揺れがあるのだというふうに割り切った方がよいと思います。現状は、「九州平定」への改名提案が閉じられないうちに「九州征伐」への改名提案が出されているわけで、おたがい譲らず平行線をたどっています。ここにおいてわたしは、何が何でも自説にこだわろうというつもりはありません。一応は、双方の合意が得られるかもしれないと考えて「九州攻め」を提案したつもりです。秋田城之介さんが、「九州の役」と「九州攻め」とをくらべて「九州の役」の方がまだましである、「九州の役」に対しては妥協できるということであれば、わたしもそれにしたがいます。秋田城之介さんが逆に「九州攻め」ならギリギリ妥協できるというのであればYasumiさんも「九州攻め」に妥協していただきたいと思います。もはや自説にこだわる時期はとうに過ぎていると思うのです。今後は、Yasumiさんも秋田城之介さんも合意形成最優先でいきませんか。言い換えれば、自分にとってのベストを追求するんじゃなく、他者の意向も勘案してのモア・ベターをさぐっていきませんか。いかがでしょうか。他のみなさんの御意見もうかがいたいと思います。--Chokorin 2011年3月9日 (水) 21:20 (UTC)(微修正)--Chokorin 2011年3月10日 (木) 02:40 (UTC)
ですから、私は記事を取り巻く環境からベターな名称として「九州の役」>「九州攻め」>「九州征伐」と考えています。現状より改悪する事を妥協と呼べましょうか?
それと、まだお返事がいただけませんが、「九州攻め」の用例の半分以上は代名詞として戦争名称を意味しておらず、原義の秀吉の行為の意味で使われていることは御同意いただけたのでしょうか?これはWikipedia:ウィキプロジェクト 軍事史#記事名のガイドラインの精神に通じる問題点と思われます。--Yasumi 2011年3月13日 (日) 21:03 (UTC)
コメント 簡潔にコメントします。まず、「九州攻め」では妥協できませんね。どの「九州攻め」なのかわからない。私が容認できるのは「九州征伐」「豊臣秀吉の九州攻め」「九州平定への統合」といったあたりです。--秋田城之介 2011年3月14日 (月) 04:33 (UTC)
コメントおふたりともコメントありがとうございます。まず、Yasumiさんに対してですが、「豊臣島津戦争」と「秀吉の島津攻撃」は同じことじゃありませんか。「日本と元の戦争」を「元寇」というのと同じだと思うんですが、どうでしょう。「攻め」は相手があってできることであり、その相手が島津であれば「豊臣島津戦争」でしょう。これが「九州征伐」ないし「九州平定」だったら、確かに意味として重複しない部分もあります。「平定」は「戦争」とは必ずしもイコールで結ばれませんし、「征伐」だったら「反逆者」ないし「悪者」を攻めるという、より限定的な意味が加わります。しかし、歴史事象において「攻め」といった場合、少なくともスポーツやゲームでの攻撃ではなくて軍事的な攻撃であることは明らかなんじゃないでしょうか。「攻め」に対して応戦したり防戦したり(降伏したり)すれば「戦争」なわけです。この記事は、小和田哲男「九州停戦令と九州攻め」『戦争の日本史15 秀吉の天下統一戦争』(2006)および小和田哲男「秀吉の九州攻めと北九州の城」『名城と合戦の日本史』(2007)によって加筆されていますが、特にそのことによって問題は生じていません。つまりは双方置き換え可能な範囲での話です。Yasumiさんが主張されている「戦役記事」「戦争記事」としての性格も、何ら損なわれるわけではありません。そして、「九州攻め」の用語が単に「豊臣島津戦争」ではないこと、すなわち、島津が大坂に攻めのぼったのではなく、秀吉による九州侵攻戦であることを説明していることを勘案すれば、Yasumiさんが「劣点」と決めつけて断罪した点は、必ずしも100パーセント「劣点」なのではなく、見方をかえれば、そのことによるメリット(たとえば、「わかりやすさ」)があるとも言えるでしょう。そのことが理由かどうかはわかりませんが、結果としては、少なからざる日本史研究者がこんにちYasumiさんのおっしゃる「豊臣島津戦争」の意味で「九州攻め」を用いているわけです。さらに申せば、Yasumiさんのこの御見解にしたがえば、この記事は分量の過半が「九州攻め」を出典にして書かれていますので、Yasumiさんの御見解によれば、むしろ名称は「九州攻め」でなくてはならないということになります。
秋田城之介さんに対しては、まずは柔軟な姿勢をお示しくださったことに感謝します。念のためうかがいたいのですが、「九州攻め」に妥協できない理由として掲げられるのは「どの『九州攻め』なのかわからない」という点だけなのでしょうか。もし、それだけならば「九州征伐」の場合も「どの『九州征伐』なのかわからない」という点では同じではないかと思います。秋田城之介さんは、かつて源範頼と足利尊氏の例を掲げられましたが、足利尊氏の九州下向は京都の確保に失敗したから九州にわたったのであって、決して「九州攻め」と呼べるようなものではありません。少なくとも私は多々良浜の戦いなどの一連の戦いを「九州攻め」と称するケースを知りません。もし、そういう例があったとしたら出典つきでお示しください。範頼の場合も「九州攻め」と呼ぶ例を私は知りません。私が知らないだけかもしれませんが、仮にそうだとしても、節を設けて源範頼#九州征伐にリダイレクトするか、「曖昧さ回避」のテンプレートを貼ればいいだけのことで、単純な工夫で秋田城之介さんの御懸念は解消できると思います。これは、5条件中の「3.簡潔」と「4.曖昧でない」のどちらをとるかという話でもあるので、「簡潔」さを犠牲にしても「曖昧でない」ことを重視するという意見が多数を占めるなら、あるいは、「九州攻め」には同意できないが「九州攻め (豊臣秀吉)」には同意できるということであれば、自分としても、それにしたがう用意はあります。
さて、おふたりのコメントをお伺いしたわけですが、今後、おふたりだけで話し合って合意に達することができそうでしょうか。秋田城之介さんは「九州の役」に対して合意できますか。Yasumiさんは「九州征伐」「豊臣秀吉の九州攻め」「九州平定への統合」のなかで歩み寄れるとしたら、どの候補でしょうか。--Chokorin 2011年3月15日 (火) 14:57 (UTC)(微修正)--Chokorin 2011年3月15日 (火) 15:17 (UTC)
議論の拡散につながりかねない部分があったので、そこの部分はコメントアウトしておきます。--Chokorin 2011年3月17日 (木) 21:27 (UTC)
私は単に記事中の引用回数が多い出典における呼び名を優先するとは言っていません。それでは、編集の過程次第でくるくる改名してしまうでしょう。「九州攻め」を使っている出典は『九州の役』以上に本テーマを扱ったボリュームのある本なのですか?
また「島津攻撃」=「九州の役(豊臣と島津の戦争」ですか?私は違うと思いますが、次の例文が成立するかお答え下さい。「島津攻撃に於いて、島津軍は戸次川で豊臣軍を大破し、大友領の奥深くまで侵攻した」
意見の対立は仕方がありませんが、建設的に提案した解決方法の投票が合意に至っていないのは残念です。この議論をどのように解決するのか?提案者には解決に向けた、建設的な整理をお願いしたいです。--Yasumi 2011年3月27日 (日) 10:58 (UTC)
ボリューム?質は?ボリュームがあればそれでいいの?どっちにしても「最大」の出典はどこにいったの?--Watchdog daemon 2011年3月30日 (水) 08:38 (UTC)
「『九州攻め』を使っている出典は『九州の役』以上に本テーマを扱ったボリュームのある本か」という点についてですが、それは正直よくわかりません。ただ、「軍事機関が軍事目的で編んだ戦史」よりも「日本史学者が学術目的ないし教育目的で著した著作物」を優先すべきと考えます。ウィキペディアのめざすところは百科事典であり、この記事に求められているのは学術的な正確さであり、豊かさなのではないかと考えます。軍事機関の編んだ戦史は、そもそも厳密な史料批判を経ていないことが充分に考えられますし、内容の正確さがそれほど求められているわけではありません。Yasumiさんは「ボリュームのある本の存在」をあたかも決定的なことのようにお考えのようですが、私自身はそれほど重視しませんし、重視する理由がそれほどあるようには思えません。また、「記事のつけ方」の5基準にそれが含まれているわけでもありません。仮に重視するにしても、Yasumiさんが以前おっしゃった「史学的出典状況」のなかの「史学」に含めてよいかどうかについては、たいへん疑問を感じます。
もっとも、現代の日本史学者の多くが「九州の役」の名称を幅広く継承し、一般的にも使用されて「認知度が高い」というのであれば、これは話が別ですが、現状はそうなっていません。Yasumiさんの理想とするところが理解できないわけではありませんが、Yasumiさんがいくら頑張って「九州攻め」の「劣点」なるものを指摘したところで、山川出版社や吉川弘文館の歴史事典の戦役記事の見出しとして多く使われているのは「九州攻め」であり、当代一流と目される日本史学者の多くも九州戦役の意味で「九州攻め」「九州出兵」その他を用いています。それに対し、「九州の役」の使用は皆無でないにしてもきわめて限定的で、全体からすればきわめてマイナーな状態にとどまっています。現状がこうなのですから、仕方ないのではないでしょうか。メジャーになるまで待つよりほかないと思うのですが、どうでしょうか。個人的には、「九州の役」は決して不適切な用語だとは思いませんし、今まで何度も申し上げてきたように、みなさんがそれで納得しているのならば、わたしもそれにしたがいます。しかし、残念ながら「九州の役」の認知度は低く、その名称で納得できない人が次々にあらわれているわけです。いいかげん改名議論にとりあえずの決着をつけ、記事の充実に力を注ぐべき時期なのではないでしょうか。--Chokorin 2011年3月29日 (火) 00:21 (UTC)
報告改名提案を取り下げることにしました。改名提案をしておきながら「いいかげん改名議論にとりあえずの決着をつけよう」というのも筋の通らない話ですので。--Chokorin 2011年3月29日 (火) 22:13 (UTC)

報告本件とも関連するものですが、Wikipedia:投稿ブロック依頼/Yasumiが提出されました。--Watchdog daemon 2011年3月30日 (水) 09:49 (UTC)

記事名称について

Yasumiさんと秋田城之介さんのお二人で結論を出すのはなかなか困難のようです。わたしも、わたしを含めて3人のなかで合意が形成されないか働きかけたつもりですが、その調整も不調に終わりました。現状では、小判キングさんの「九州平定」への改名提案が閉じられないまま「九州征伐」への改名提案が出されている状況です。

そこで、3人も含めそれ以外の多くの皆様のコメントを広く求めたいと思います。まず、今まで出てきた案としては、

  • 「九州の役」(現状通り)
  • 「九州征伐」
  • 「九州攻め」
  • 「豊臣秀吉の九州攻め」
  • 九州平定」への統合

の5通りあります。

一方、織豊政権の天下統一戦争の名称としては、現状では「中国攻め」「紀州征伐」「四国攻め」「九州の役」「小田原の役」となっていてバラバラの状態です。これについて、バラバラでも構わないという意見もあります。たとえば、この指摘などは、それを支えるものでしょう。いっぽう、この意見では、「見込みは薄いですが」と前置きされながらも用語不統一の解消が提案されており、わたしは、たいへん傾聴すべき御意見だと思っています。これについては、バラバラでいいし、それぞれ個別に論じてよいという意見もありうるでしょうが、「~征伐」「~の役」「~攻め」「~平定」、極端な話とにかく何でもよいから統一性を図るべきだという意見もあろうかと思います。

これに関連しては、「用語の不統一」以上に「用語選びの基準の不統一」の方がむしろ問題かもしれません。記事名が仮にバラバラであったとしても、記事名の採用基準、採用する際の視点がそれなりに一貫しているのならば納得できます。しかし、実際はそうなっていません。

Wikipedia:記事名の付け方では、

  • 認知度が高い
  • 見つけやすい
  • 曖昧でない
  • 簡潔
  • 首尾一貫している

の5つの視点が掲げられています。5視点のなかのどれを優先させるのか。たとえば、「豊臣秀吉の九州攻め」と「九州攻め」を比べるなら、前者は「曖昧でない」という点では後者より優位性がありますが、「簡潔」という点では劣ります。他の候補もそれぞれ一長一短あると思いますが、このあたりをどう考えるか。また、5視点以外の別の要素も考慮するのか。5視点以外の要素としては、今まで「中立性」の問題、「用語の原義と実際の用法」の問題などが指摘され、議論されてきました。あるいは「出典」との関係も論じられてきました。それぞれ、どれをどの程度重んじるのか。これは、人により大きく異なる部分だと思いますし、多くの意見を伺い、そのなかで合意形成できないか考えたいところです。

以上について、改名議論からすれば少し回り道になるかもしれませんが、コメントをお願いします。まとめると、

  1. 中国、紀州、四国、九州、小田原における用語不統一(「~の役」、「~征伐」、「~攻め」)は解消すべきかどうか。
  2. (不統一を解消すべきという御意見の場合)統一していく際の基準をどこに置くべきか。あるいは(統一・不統一にかかわらず)、記事名の付け方として、重視されるべき視点は何か。
  3. 冒頭に掲げた「九州の役」以下5候補のうち、どれを最も推すか、許容できるのはどれで許容できないのはどれか。あるいは、2~3候補にしぼるとしたら何をのこすべきか。

の3点です。--Chokorin 2011年3月30日 (水) 20:49 (UTC)

報告本件についてWikipedia:コメント依頼を提出しました。分類は「合意形成のためのコメント」です。コメントは以下の「コメント欄」にお寄せください。--Chokorin 2011年3月30日 (水) 22:07 (UTC)

コメント欄

コメント1.については、基本的には用語不統一を解消すべきと考えます。自分としては、やはり、この御意見を重くとらえたいです。「バラバラでよい」という前提に立つ限り、この議論は果てしなく続くのではないかと思います。辞書・事典の類も、どの用語を採用するかはともかくとして、そのなかでは統一が図られています。それにまた、表記の揺れはリダイレクトでカバーできます。ただ、それに先だってこれら一連の記事の性格を統一していくべきと考えます。現状ではいずれも戦役記事で統一されていますが、個人的には現状通りでよいと思います。

2.については、基本的に5視点を重視すべきであり、「首尾一貫している」の視点からも用語は統一されるべきです。5視点のなかでは「認知度が高い」を優先すべきと考えますが、日本史学者のかかわるもので、しかも最近のものを重視すべきと考えます。その方が読者にとって違和感がないですし、また、執筆者にとっても不便さがないと思います。個人的には、この御意見が至極妥当と考えます。

3.については、2.を踏まえれば「平定」で統一するか「攻め」で統一するのが穏当だと思います。ただ、「平定」とした場合は、戦役記事としての性格は損なわれてしまいますので、別の議論が必要になってくると思います。--Chokorin 2011年3月31日 (木) 21:39 (UTC)

(追記)さて、いかがでしょうか。3.はともかくとして、1.と2.については大まかであれコンセンサス形成にむけて前進したいところです。コメントがないということは、わたしの申し上げたことに異論はないということなのでしょうか? --Chokorin 2011年4月4日 (月) 21:32 (UTC)(微修正)--Chokorin 2011年4月4日 (月) 22:05 (UTC)

コメント おじゃまいたします。私は、無理に用語の統一を図る必要はないと思います。また、紀州征伐のノートでも出ていましたが、古い資料だからといって無条件で軽視するわけにはいかないと思うので、そういった意味ではChokorinさんの意見には反対せざるをえません。無理が無い程度に用語が統一されるのが理想ですが、難しい匙加減といえるでしょう。もしかしたら既に出ている意見かもしれませんが、このページの定義通りに「豊臣秀吉による九州平定戦」という項目名では合意が取れないでしょうか?『この項目では、豊臣秀吉による九州平定戦について説明しています。』という冒頭の書き出しに異論が出ていないのであれば、それほど悪くないと思います。--貫鉄 2011年4月5日 (火) 05:57 (UTC)

コメントコメントありがとうございます。「豊臣秀吉の九州平定」については以前私がそれで合意がとれないか、Yasumiさんと薔薇騎士団さんにはたらきかけたことがありますが、その提案は双方から拒絶されました。詳細はノート:九州の役/過去ログ2を御覧ください。--Chokorin 2011年4月5日 (火) 13:26 (UTC)
(追記)貫鉄さんの「古い資料だからといって無条件で軽視するわけにはいかない」というのは、確かに古い資料しかない場合には正論ですので、「用語転換が認められる場合には転換する以前の用語ではなく新しい用語を採用する」ということに変更してもよいかもしれません。「無理が無い程度に用語が統一される」ということについては、異論ありません。--Chokorin 2011年4月9日 (土) 06:22 (UTC)
統一記事名や命名の統一ルールを作ろうという話題は過去に何度か浮かんでいるようですが、いずれにしろこの御提案は適用範囲や内容からいって一記事のノートで決める話ではなく、例えばPortal‐ノート:歴史プロジェクト‐ノート:歴史プロジェクト‐ノート:日本史プロジェクト‐ノート:日本の戦国時代プロジェクト‐ノート:軍事史などの上位のポータル・プロジェクトへ持ち込むべき範疇の問題提起だと思います。
なお、「織豊政権の天下統一戦争の名称として」抽出されてたのが「「中国攻め」「紀州征伐」「四国攻め」「九州の役」「小田原の役」に限られているのが良く分かりません。豊臣政権であれば対明智戦で「山崎の戦い」、対柴田戦で「賤ヶ岳の戦い」、対織田・徳川戦で「小牧・長久手の戦い」、対佐々戦で「富山の役」がありますし、政権単位であれば対明・朝鮮戦で「文禄・慶長の役」、徳川派対毛利戦で「関ヶ原の戦い」、対徳川戦で「大坂の陣」あたりまでが豊臣政権の戦争といえましょう。それと政権が鎮圧に動員を掛けた葛西大崎一揆九戸政実#九戸政実の乱肥後国人一揆梅北一揆などもあります。
また、織田政権については現状では戦争単位での概念が確立していないせいか、取り扱いが難しいですが、対浅井・朝倉戦では「金ヶ崎の戦い志賀の陣姉川の戦い」、対本願寺戦で「石山合戦・長島一向一揆」、伊賀平定戦では「伊賀流#天正伊賀の乱」、対上杉戦では「手取川の戦い」、対武田戦で「三方ヶ原の戦い長篠の戦い武田征伐」などがあります。--Yasumi 2011年4月9日 (土) 07:32 (UTC)
ポータルやプロジェクトへ持ち込むべきという意見はおそらくその通りなんでしょうが、そこで活発な議論がかわされるというふうにはあまり思えないんですね。正直申し上げて、日本語版のポータルやプロジェクトがまともに機能しているとも思えません。もしそこで空振りしたら次がないわけです。次がなければ、また同じことの繰り返しになります。それだけは避けたいという思いがあります。持ち込むとしても、もっと煮詰めてから持ち込んだ方が、持ち込まれた方としても困らないのではないかという思いもあります。「織豊政権の天下統一戦争」を列挙なさいましたが、確かに、天下統一戦争そのものは5記事に限定されませんし、Yasumiさんの列挙した戦闘や戦争を全部統一すべきとは思っていません。ただ、Yasumiさんが「全部を統一する必要はないのだから5記事を統一する必要もないのだ」あるいは「全部を統一するのは不可能だから5記事を統一するのも不可能だ」というロジックをもし今後展開しようというおつもりならば、それは少し違うんじゃないかと思います。5記事に関しては、統一が可能であり、実際に事典類の見出しにおいては採用する語は異なっていても、そのなかでは極力統一が図られています。たとえば、『日本戦史』では「九州の役」「小田原の役」、『国史大辞典』では「九州征伐」「小田原征伐」、吉川弘文館『戦国武将・合戦事典』や山川出版社『日本史広辞典』では「九州攻め」「小田原攻め」、新人物往来社『豊臣秀吉事典』では「九州平定」「関東平定」というふうに。ここでは、九州と小田原(関東)のみを例示しましたが、紀州、四国、中国についても同様に統一が図られています(なお、小田原のみは狭域地名ということもあるんでしょうが「小田原合戦」「小田原の陣」の使用例も確認しています)。5記事の記事名が「統一しなくてもいいんじゃないか」「違っていいんじゃないか」という意見ももちろんあってよいとは思いますが、その場合、「なぜ違うのか」「なぜ統一しないのか」の説明責任があるようにも思うのです。たとえば「ウィキペディアでは『~の役』で統一した」というのであれば、少なくとも不統一にかかわる説明責任は不要です。「ウィキペディアでは…と考えるから、『~の役』で統一した」とさえ言えればいいわけです。ここにおける「…」だけが説明できればいいし、そこだけが指針から外れていなくて、なおかつ、大方の合意が得られればそれでよいわけです。頑固であることと終始一貫していることとは異なるのであり、1つ1つの議論であんまり頑張る必要はないのではないか、全体において何らかの一貫性があればいいのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。--Chokorin 2011年4月9日 (土) 13:34 (UTC)
>「ウィキペディアでは『~の役』で統一した」というのであれば、少なくとも不統一にかかわる説明責任は不要です
これはどういう意味でしょうか?統一する理由、統一名を選定する基準など、説明すべきことは山ほどあると思うのですが。--秋田城之介 2011年4月10日 (日) 08:28 (UTC)
「少なくとも不統一にかかわる説明責任は不要」と書きましたので「不統一にかかわる説明」は不要という意味です。「統一にかかわること」は説明不要と書いていません。必要だと書いていますので、よくお読みください。--Chokorin 2011年4月10日 (日) 11:28 (UTC)
すいません、読み違えていました。しかし、歴史学的に必ずしも一本化されていないことをWikipediaの中で一本化するのは危険だと考えられます。--秋田城之介 2011年4月22日 (金) 03:16 (UTC)

(インデント戻します)用語を一本化することが至難の業であることは、よく承知しています。それに対して一人でも異論があれば実現不可能なわけであり、一本化の実現には参加者全員の協力が前提になります。これは見込みが薄いでしょう。ただ、「無理だからやめるべき(断念すべき)」ということと「危険だからやめるべき(回避すべき)」では意味合いが違うのではないでしょうか。よろしければ、どこがどのように「危険」なのか、お考えを詳しくお示しください。--Chokorin 2011年4月28日 (木) 22:40 (UTC)

歴史学的に必ずしも一本化されていないことをWikipediaの中で一本化するということは、いわゆる「発表済みの情報の合成」に当たる可能性が極めて高いということです。--秋田城之介 2011年5月1日 (日) 07:49 (UTC)
「歴史学的に一本化されていない」というのは確かにその通りであり、改名議論が生じているのもそのためなわけですけれども、そうしたなかで、記事名を決めるということは揺れのある表記を一本化する行為なわけです。「Wikipediaの中で一本化する」というのは、「一本化するなら揃えよう」ということであり、同じ「一本化」でも意味するところは全然違いますよね。後者の一本化について、あえて「揃えない」ということであれば、「揃えない」ことについての説明が必要なのではないかということです。Wikipedia:記事名の付け方の指針では「5.首尾一貫している」ことは推奨されているわけですから、あえて「首尾一貫させない」ことを選択するならば、それなりの理由が必要でしょう。ウィキペディアが「質においても量においても史上最高の百科事典を目指している」のならば、リファレンスの面でも最高を目指すべきではないでしょうか。「そりゃ無理だ」と言われればそうかもしれませんが。--Chokorin 2011年5月1日 (日) 08:22 (UTC)
一本化すべき対象の範囲も違うし、それぞれ事情が違う以上、現時点では無理だと言えます。ただし、今後歴史学の中で統一的な見解が出された場合にはWikipediaでも統一的な項目名を使用できるかもしれませんが、現段階では個々の議論として扱うべきだと考えます。--秋田城之介 2011年5月6日 (金) 02:47 (UTC)
要するに秋田城之介さんの御意見は「無理だから断念すべき」というふうに理解してよいのでしょうか。--Chokorin 2011年5月8日 (日) 10:59 (UTC)
(コメント)Chokorinさんのおっしゃっている、一本化されていない理由というのは、出典によってバラバラであるためだと思いますが、専門家の間で意見が統一されていないことですので、これを揃えるとなると結果的に(参考元が)偏ることになってしまうと思います。--貫鉄 2011年5月13日 (金) 04:56 (UTC)
「これを揃えるとなると結果的に参考元が偏る」というのが、どういう意味なのかわからないので、よろしければ御教示ください。「揃えない方がよい」のであれば、それなりに積極的な理由が必要だと思うのですが。「揃えるのは無理だ」ということであれば、そりゃそうかもしれません。しかし、その場合でも統一的な基準で決めていくよう努めるべきではないかとは思います。--Chokorin 2011年5月13日 (金) 10:18 (UTC)

過去ログ化の提案

提案 ページが重くなってきたので、「記事名称について」より前の議論の過去ログ化を提案します。--秋田城之介 2011年4月22日 (金) 03:16 (UTC)

報告過去ログ化を行いました。--秋田城之介 2011年4月27日 (水) 00:49 (UTC)

改名提案が取り下げられたわけではありませんよね? 過去ログ化には反対します。--Chokorin 2011年4月27日 (水) 04:31 (UTC)
もちろん、改名提案が取り下げられたわけではありませんが、ノートページの容量が大きくなりすぎています。現に小判キング氏の提案が続いていても、過去ログ化は行われています。Chokorin氏はどのタイミングで過去ログ化されるおつもりでしょうか?ずっとこのままというわけにもいかないでしょうし、現にこうやって容量は増えていっております。--秋田城之介 2011年4月27日 (水) 14:59 (UTC)
前回の過去ログ化に際しては、「小判キングさんの提案が続いているけれどもよいのか」というふうに参加者に同意を求めながら行っています。議論を継続するのであれば、それまでの議論が見渡せることが望ましいと思いますので、今しばらく猶予が必要でしょう。その間、どの程度の範囲ならばこれまでの議論が見渡せるのかも含めて提案し、参加者各位の合意も得ながら作業を進めるべきでしょう。そして、今までの議論をまとめ、それを踏まえたうえで、次の議論では何を話し合うのかという見通しを示すべきではないでしょうか。--Chokorin 2011年4月27日 (水) 20:56 (UTC)
私は「記事名称について」以前で一区切り置くのが適切だと感じますが、Chokorin氏はどこで区切ったほうが適切だと感じますか?具体的な意見が無ければ踏まえることもできません。今のページ容量が多すぎるという点では理解いただけてると思いますが。--秋田城之介 2011年5月1日 (日) 07:42 (UTC)
秋田城之介さんは「九州攻め (豊臣秀吉)」にならば同意できるとおっしゃいました。わたしもそれには合意できるので、さしあたってこのまま議論を続けてもよいと思いますが、いかがですか。--Chokorin 2011年5月8日 (日) 11:08 (UTC)
たしかに「九州の役」よりは数段適切だと思いますが、「九州攻め」が存在しない状態で「九州攻め (豊臣秀吉)」を作るというのは適切ではないと思います。かといって単に「九州攻め」だと秀吉以外の時代のことも記事内に入れないといけません。また、貫鉄さんから「豊臣秀吉による九州平定戦」という案も出ています。Chokorinさんが作成した「九州平定」に対応する形で「九州平定 (豊臣秀吉)」という項目名にすれば問題はなさそうに見えますが、議論をまとめるというのであれば、貫徹さんや他の方の意見をもう少し聞いたうえで調整すべきかと思います。早期にまとまる見込みが無い場合、コメント依頼や投票に発展する可能性もあることから、過去ログ化は検討すべきだと思います。--秋田城之介 2011年5月16日 (月) 03:35 (UTC)
改名提案をされた秋田城之介さん御本人がそれでよろしいとおっしゃるのであれば、「#そろそろ決着を付けませんか」以前の節以前に関しては、過去ログ化に賛成です。「そろそろ~」の節まで過去ログ化してしまうと、「#記事名称について」の節が改名提案とはまた別の話題になってしまっているので、その節から始まったのでは、話が見えにくい気がするからです。記事名に関しては、いったん「九州攻め」に改名し、秀吉以外の記事がつくられたとき、「九州攻め (豊臣秀吉)」に改名するかどうか(平等な曖昧さ回避にするかどうか)を話し合ってもよいと思います(もちろん、合意が得られたらの話です)。「九州平定 (豊臣秀吉)」は、屋上屋を架すような気がしないでもありませんが、第三者の意見を聞いて要検討という秋田城之介さんの御意見に同意いたします。--Chokorin 2011年5月16日 (月) 15:12 (UTC)
コメント 私は今のところ、「豊臣秀吉による九州平定戦」または「九州平定 (豊臣秀吉)」という案を押します。秋田城之介さんの言われるように既存の九州平定に対応する形ですし、九州平定(戦)は事典などでも多用されています。--貫鉄 2011年5月19日 (木) 07:06 (UTC)
コメント事典で多用されているということに限れば「九州攻め」でも同じです(山川出版社・吉川弘文館)。「豊臣秀吉による九州平定戦」は、「簡潔」「見つけやすい」という基準に反するので、適さないでしょう。「九州平定 (豊臣秀吉)」は、「九州攻め (豊臣秀吉)」にくらべ若干「曖昧さ」がのこります。記事「九州国分」との統合をどうするかという問題が当然生じますし、統合するとすれば、誰が責任をもって2記事を1つの記事にまとめ上げるのか、また、「中国国分」や「四国国分」の扱いはどうするのかという問題も生じるわけなので、これは単に名前だけ変えておしまいという話ではありません。--Chokorin 2011年5月19日 (木) 10:03 (UTC)
貫鉄さんは「九州平定 (豊臣秀吉)」なら同意できるということでしょうか?--秋田城之介 2011年5月20日 (金) 02:42 (UTC)

コメント 過去ログ3については、合意がとれたので正式に過去ログ化しました。>Chokorinさん 「九州平定 (豊臣秀吉)」が「九州攻め (豊臣秀吉)」にくらべ若干「曖昧さ」がのこるというのはどういった理由でしょうか?--秋田城之介 2011年5月20日 (金) 02:42 (UTC)

上に書いてある通りです。秀吉の九州平定事業といった場合、単に九州戦役(九州攻め)だけで終わるのではなくて九州における知行割すなわち「九州国分」のことも含めるわけですね。「九州平定 (豊臣秀吉)」だと、「九州国分」と同義に受け取られるか、あるいは「九州戦役+九州国分」の意と受け取られるかのどちらかであり、九州戦役を指すものとしては曖昧なわけです。統合するとすれば、四国国分中国国分も含めた大きな話題になるわけであり、ここにおいてもバラバラに個別的に話し合うべきだということになると「改名提案」としては大きく逸脱することになります。--Chokorin 2011年5月20日 (金) 04:57 (UTC)
九州国分を九州平定の中に含めると言う考え方もあるのはわかりますが、そうでない位置づけで使用されている場合のほうが多いのではないでしょうか?日本歴史大事典(小学館)では九州平定を「豊臣秀吉が九州統一を主目的に自ら行った戦役」と定義づけています。したがってこの改名提案は、自動的に九州国分との統合の意味があるというわけではないと考えます。--秋田城之介 2011年5月21日 (土) 11:16 (UTC)
「多い、少ない」の問題じゃなくて可能性の問題じゃないでしょうか。たとえば「秀吉の奥羽平定」といった場合、奥州仕置を指すと考える人もいれば、九戸政実の乱を指すと考える人もいるでしょう。同様に、「九州平定」はいわゆる「九州攻め(九州戦役)」を指す「と考える人もいれば九州国分を考える人もいるでしょう、可能性としては。Wikipedeiaで検索する人が、前もって日本歴史大事典を読んでいて、九州平定=九州戦役と認識しているわけではありません。見出しは、そういう意味で曖昧さのない方がいいでしょう。曖昧さがある分だけ、見つけにくい」ということになって、記事名の基準からは離れることになると思います。--Chokorin 2011年5月21日 (土) 13:21 (UTC)
可能性の問題も無視できませんが、「多い、少ない」も問題でしょう。曖昧さの問題でも、例えば「室町時代」といった場合、南北朝時代を指すと考える人もいれば、戦国時代を指すと考える人もいるでしょう。それでも「室町時代」は曖昧でしょうか?可能性の問題を言ったらキリがありません。--秋田城之介 2011年5月27日 (金) 02:50 (UTC)
コメント 秋田城之介さんは「九州攻め (豊臣秀吉)」には賛同できるとおっしゃったわけですが、その案ならば、確かに曖昧さは回避できると思います。記事をいじらず、統合を視野に入れないというのであれば、「九州攻め」がよいと思います。以前も議論になりましたが、そもそも「平定」と「戦争」では意味が違いますし、日本歴史大事典(小学館)の一例だけをもって「多い、少ない」を論じることはできません。「単に「九州攻め」だと秀吉以外の時代のことも記事内に入れないといけません」ということであれば、秀吉以外の時代のことは私が責任もって加筆なり調整なりすることをお約束しましょう。--Chokorin 2011年5月27日 (金) 07:38 (UTC)
日本の歴史学上では平定などの統一事業そのものと、それにまつわる戦役自体の区別がハッキリされておらず、それはあまり改名反対の理由にはならないと思いますが、Chokorinさんが本項目を現行の「九州平定」に対する戦役的定義で「九州攻め」(九州平定と同じく全時代のものを列挙する形)とするで意図であれば「九州攻め」で妥協します。--秋田城之介 2011年6月6日 (月) 01:20 (UTC)
ありがとうございます。ようやく改名議論に決着がつきそうでうれしいです。--Chokorin 2011年6月6日 (月) 01:45 (UTC)
  • それらの曖昧かどうかの問題は「九州平定戦」という名称であれば解決できると思います。また、島津側から見ても秀吉軍を追い出せば一応使える(島津が九州攻めというのはおかしい)と思いますし、本文中の定義でもそうなっています。選択肢としては検討する価値があるのではないでしょうか?--貫鉄 2011年5月24日 (火) 07:51 (UTC)
「九州平定戦」という見出しを採用している事典もありませんし、その用語を用いている書籍もほとんどないようですから、「認知度」の面からみてどうかなと思います。それよりだったら「九州の役」のままがよいでしょう。また、「島津側からみた九州平定」ならば、記事「九州平定」に記してありますから重複させる必要もないと思われます。--Chokorin 2011年5月24日 (火) 19:50 (UTC)
秋田城之介さんは「九州攻め」で妥協してくださるとのことですが貫鉄さんはいかがでしょうか。--Chokorin 2011年6月6日 (月) 01:45 (UTC)
お二人の間で九州攻めとして合意形成できるのであれば反対はしませんが、本項に関して分割・移動を伴う加筆がある場合は新規に議論の開始をお願いします。「移動のための加筆」による編集合戦を防ぐためです。--貫鉄 2011年6月7日 (火) 08:03 (UTC)
御同意、心より感謝いたします。合意が形成されて嬉しく思います。このまま1週間経過して特に異論なき場合は「九州攻め」への移動をおこないたいと思います。--Chokorin 2011年6月7日 (火) 22:06 (UTC)
改名議論のはずが、一転して現状の「豊臣と島津の戦争」記事を「九州攻めと呼ばれる一連の記事」へ定義と範囲を変更する提案にすり替わっており、当惑しています。
(定義変更の新議論)1.本記事と同じ豊臣と島津の戦争を主題とした出典が多数あり、研究の成果が一冊の本にまでなっています。従って本記事は独立記事として相当の特筆性を保有するため、他の九州攻めと混在した記事にすることに反対です。2.また「九州攻め」の定義が不明なまま定義変更をすることにも疑問を持ちます。秋田城之介さんは記事「九州の役」について「本州勢力による九州平定戦」と合意前に書き換えてしまいましたが、差し戻させていただきました。独自研究のようですが、この編集[1]の根拠は何ですか?
(従来の改名議論)そもそも前段の改名議論に適用しても、「九州攻め」の名称が混同されるということは、ガイドラインの「曖昧でない」に反しているため、優先されない名称です。それぞれ概念の異なる「九州攻め」を集めても、記事は長政のようにしかならないでしょうし、それはWikipedia:曖昧さ回避Wikipedia:カテゴリの方針「Category:九州攻め」の様な形で解決すべき問題だと思います。前述の通り「九州攻め」自体も、使用例の多くは戦争概念ではなく攻撃行為を表現していることが多数であるため、改名としても依然として反対です。--Yasumi 2011年6月12日 (日) 21:08 (UTC)
Yasumiさんにうかがいますが、Yasumiさんのロジックにしたがえば、攻撃行為を表現する「九州攻め」と戦争概念である「九州の役」を別記事にして立項することは可能であるように思うのですが、それについては、いかがお考えでしょうか。--Chokorin 2011年6月13日 (月) 20:00 (UTC)
2011年5月27日 (金) 07:38 (UTC) のChokorin氏の案には賛成しますが、九州攻めの単独立項には反対です。「本州勢力による九州平定戦」というのは合意に基づくもので、独自研究ではないです。--秋田城之介 2011年6月15日 (水) 03:59 (UTC)
(Chokorinさんへ)その「攻撃行為を表現する九州攻め」記事の定義が不明のため、回答できません。もし、秋田城之介さんが未合意で行った注意書き編集「本州勢力の九州平定戦については「九州の役」をご覧ください。」のうち、「の役」を「攻め」に変更したような定義であるとすれば疑問です。
また、記事の定義を変更されるそうですが、どんな勢力の何処への攻撃が、言われるような「九州攻め」成立の要件となるのでしょうか?
そして事例群を包括した出典はあるのでしょうか?
例えば九州の役でも大友や竜造寺を秀吉は攻撃していませんが「九州」を冠して良いのですか?また、元寇や九州爆撃も九州「攻め」になるのでしようか?(なお九州平定の主筆者はChokorinさんのためこちら[2]の編集は差し戻していません。必要であればご対処願います)
(秋田城之介さんへ)言われる合意とはどれですか?「九州の役とは本州勢力の九州平定戦である」という編集の根拠となる合意形成を差分でお示しください。--Yasumi 2011年6月19日 (日) 21:23 (UTC)
正確には合意形成寸前でYasumiさんによる反論が入ったので形成されていません。私の勇み足でもあるので差し戻しもしていません。--秋田城之介 2011年6月28日 (火) 02:25 (UTC)

改名提案の各論比較

議論がまとめられていないまま過去ログ化を処理したようですが、以下に議論で出た優劣の比較表を作ってみました。各論の主張点について纏めて記入願います。--Yasumi 2011年6月19日 (日) 21:23 (UTC)

改名候補比較表  (p=:肯定的意見、n=批判的意見)
番号 評価要素 A.九州の役 B.九州攻め C.九州征伐
11 日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの[1] (→他項へ統合)
12 その記事へのリンクを作成しやすいもの[2] (→下22項へ統合)
21 認知度が高い[3]
(出典で最も一般的、主題表現で最も著名)
  • (p)1.書名、論文名に使われている。
  • (n)1.書籍・事典類での使用例が少ない。
  • (p)1.書籍・事典類で多用されている。
  • (n)1.
  • (p)1.書籍・事典類で多用されている。
  • (n)1.
22 見つけやすい[4]
(リンクしやすい)
  • (p)1.各勢力からのリンクに制約なし。
  • (n)1.
  • (p)1.各勢力からのリンクに制約なし。
  • (n)1.被征伐側行動からのリンクに不適。
  • (p)1.各勢力からのリンクに制約なし。
  • (n)1.被征伐側行動からのリンクに不適。
23 曖昧でない[5]
(的確である)
  • (p)1.戦争名称である。
  • (n)1.
  • (p)1.
  • (n)1.異なる九州攻めがある。2.戦争名称として代名詞。
  • (p)1.戦争名称・政治事象双方の意味を持っている。
  • (n)1.異なる九州攻めがある。2.戦争名称として代名詞。
24 簡潔[6]
(短く要点を突いている)
  • (p)1.固有名詞である。
  • (n)1.
  • (p)1.
  • (n)1.主語が省略されている。
  • (p)1.固有名詞である。
  • (n)1.主語が省略されている。
25 首尾一貫している[7]
(類似記事の傾向)
31 信頼できる情報源における慣例[8] (→他項へ統合)
32 正式な名称を使うこと[9]
  • (p)1.公刊戦史で命名。
  • (n)1.書籍・事典類での使用例が少ない。
  • (p)1.書籍・事典類で多用されている。
  • (n)1.
  • (p)1.書籍・事典類で多用されている。
  • (n)1.
41 出来る限り一般的に知られており通用しやすい(歴史的事件の慣例)[10] (→他項へ統合)
51 中立的な用語[11]
  • (p)1.中立的な用語。
  • (n)1.
  • (p)1.
  • (n)1.一方視点の用語。
  • (p)1.政権側視点であり、歴史学上異質ではない(例:長州征伐)。
  • (n)1.一方視点の用語。
番号 出典、その他 A.九州の役 B.九州攻め C.九州征伐
61 主題の専門書名
  • 1.『日本戦史 九州役』参謀本部編[12]
  • 2.『日本の戦史4 小牧・九州・小田原の役』(現代語訳)旧参謀本部編 [13]
  • 3.『日本戦史13 九州役』(復刻)参謀本部編[14]
  • 1.
  • 2.
  • 1. 「豊臣島津九州征伐」 松林伯知[15]
  • 2. 「九州征伐薩摩攻」 神田伯竜[16]
  • 3. 「九州征伐」 神田伯竜[17]
62 主題の論文・専門書小題
  • 1.「九州役の陣立書」毛利亮太郎[18]
  • 2.「九州の役」桑田忠親[19]
  • 3.「九州の役」熱田公[20]
  • (↓戦争名称としての用法か?)
  • 1.「九州停戦令と九州攻め」小和田哲男(戦争名称としての用法か?)[21]
  • 2.「秀吉の九州攻めと北九州の城」小和田哲男[22]
  • 1. 第二編第十二章 「九州征伐」 渡辺世祐[23]
  • 2. 第十五章「九州征伐」 田中義成 [24]
63 主題の辞典類項目
71 その他1
  • (p)1.
  • (n)1.
  • (p)1.
  • (n)1.
  • (p)1.
  • (n)1.
72 その他2
  • (p)1.
  • (n)1.
  • (p)1.
  • (n)1.
  • (p)1.
  • (n)1.

脚注

  1. ^ Wikipedia:記事名の付け方
  2. ^ Wikipedia:記事名の付け方
  3. ^ Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるには
  4. ^ Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるには
  5. ^ Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるには
  6. ^ Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるには
  7. ^ Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるには
  8. ^ Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるには
  9. ^ Wikipedia:記事名の付け方#一般的な指針
  10. ^ Wikipedia:記事名の付け方#歴史的事件
  11. ^ Wikipedia:ウィキプロジェクト 軍事史#記事名
  12. ^ 元真社、1911年
  13. ^ 徳間書店、1965年
  14. ^ 村田書店、1980年
  15. ^ 今古堂、1899年
  16. ^ 柏原圭文堂、1902年
  17. ^ 柏原圭文堂、1909年
  18. ^ 『歴史研究(通号434)』、1997年7月
  19. ^ 『大日本戦史 第4巻』高柳光寿編、三教書院、1942年
  20. ^ 『日本の歴史11 天下一統』集英社、1992年
  21. ^ 『戦争の日本史15 秀吉の天下統一戦争』吉川弘文館、2006年9月
  22. ^ 『名城と合戦の日本史』新潮社<新潮選書>、2007年5月
  23. ^ 『安土桃山時代史』早稲田大学大版部、1916年
  24. ^ 『豊臣時代史』明治書院、1925年
  25. ^ 『』、年月
  26. ^ 『』、年月
  27. ^ 『』、年月

評価基準を受けて

コメント 「公刊戦史の優越性」、「非征伐側行動からのリンクの可否」、「中立的」など、あまり意味をなさない項目があります。主題の専門書名も3つ挙げていますが、要は全て参謀本部のものです。中立性については、軍事史PJに一定の根拠が有りますが、その事称を指す一般的な語であれば問題無いとされています。--秋田城之介 2011年6月28日 (火) 02:34 (UTC)

コメント (Chokorinさんへ) 九州攻め への改名は断念したのかそうでないのか、方針をはっきりしてください。それから、Yasumiさんの作った表の評価基準についても妥当かどうか、他の利用者の方にも意見を頂きたいです。--秋田城之介 2011年7月14日 (木) 13:10 (UTC)

「九州攻め」は「九州戦役の意味ではない」という意見が仮に採用されるならば(合意されるならば)、「九州攻め」の単独立項も可ではないでしょうか。その場合、たとえ、「単独立項には反対」という意見があったとしても、異なる対象について異なる記事が立てられることを妨げることはできません。そういう前提に立つならば、本記事は分量の過半はすでに「九州攻め」をもとにして書かれていますので、本記事を「九州攻め」に改名してこの版を「九州の役」として立てるのが妥当だと思います。「3候補のうち1候補だけを選ぶ」という議論は、要するに「2候補を捨てる」と同じことです。それで納得できないという人のいるうちは、別々の記事をつくることを許容するしかないのではないかと思います。用語の統一なり、記事内容の統合なりは、それぞれの記事が充実したあとで再び検討するということで、とりあえずの合意が形成されれば、それでよしとしてもよいのではないでしょうか。--Chokorin 2011年7月16日 (土) 03:47 (UTC)
本記事を「九州攻め」に改名することに関しては反対しません。本項の「九州の役」としての維持には反対しますが、たしかにChokorinさんがおっしゃるように、異なる対象について異なる記事が立てられることを妨げる理由は、今のところ無いので、それについても妨げるようなことはしません。ただし、このようなことが繰り返し起こった場合はそれらを制限すべきかどうか、議論の必要があるので今はわかりません。Chokorinさんのコメントが、「九州の役」の単独立項を妨げないという条件付きで「九州の役」への改名という提案を意味するのであれば、それには賛同します。しかし「九州の役」の単独立項は、誰かの義務でも権利でもないという点は留意してください。--秋田城之介 2011年7月20日 (水) 16:30 (UTC) 追記--秋田城之介 2011年7月20日 (水) 17:22 (UTC)
残念ながら秋田城之介さんの優劣評価の解釈とは見解が異なるようであり、依然として「九州征伐」改名案には賛成しかね、反対をします。秋田城之介さんが改名提案者として真に議論を推進するのであれば、同じ主張を繰り返すのではなく、具体的に議論における対論や主張をまとめて比較する努力をしていただきたいと思います。
「九州征伐」が議論対象の現記事「豊臣と島津の戦争」の意味で使われる使用例は少数であり、出典における「九州征伐」の一般的な使用事例は「(戦争の一角を形成する敵方や第三極の行為を含まない)秀吉の政治目的や行為」を指す場合に使われている言葉です。「歴史的にも被平定側(島津・秋月等)の行動は平定とは言い難い[3]」とおっしゃられた秋田城之介さんの論理を同型に当てはめれば「歴史的にも被征伐側(島津・秋月等)の行動は征伐とは言い難い」となり、「九州征伐」には現記事「豊臣と島津の戦争」に含まれるべき「敵方や第三極の行為」を排除した言葉です。
なお、Chokorinさんの「本記事は分量の過半はすでに「九州攻め」をもとにして書かれています」の根拠が分かりませんので、同意できません。少し検証しただけで出典における「九州攻め」の大半は「秀吉が九州で島津を攻めた行為」を指した事例でした。また今回のご主張は改名提案を破棄して新たに分離提案を提出されるということでしょうか?戦争単位で描写された現記事は歴史を知るうえで有用であり、ざっくり言って「豊臣と島津の戦争」記事を分類して「豊臣の対島津戦」記事と「島津の対豊臣戦」記事と「戦争のその他の事項」記事から一部を分離するかのような提案であれば、私には読者の利得を考えて統合された現状の戦争単位の記事を維持する方が良いように思えます。--Yasumi 2011年7月20日 (水) 21:31 (UTC)
効用があるかはわかりませんが、一応表の記入はしました。しかし、のちのち評価基準の追加をするかもしれません。被征伐側の行動を征伐とは言えないのはあたりまえですが、「敵方や第三極の行為」を排除しているわけではありません。ノート:小田原の役でも同じようなことを言っていましたが、いいかげん誤りに気づいてください。--秋田城之介 2011年8月2日 (火) 03:39 (UTC)
「敵方や第三極の行為」も戦争行為の一部ですが、「被征伐側の行動を征伐とは言えないのはあたりまえ」と言いつつ「「敵方や第三極の行為」を排除しているわけではありません」と主観だけで整合性を取ろうとする秋田城之介さんご自身の言葉は矛盾している様に思えます。実際の「九州征伐」の用例の大多数は記事と同じ「戦争」とは異なる「征伐行為」を指したものであり、「敵方や第三極の行為」を排除した使い方です。現状を変更するための説明責任がある秋田城之介さんの主張には首肯しかねます。
それと、論点整理で「B.九州攻め」と「C.九州征伐」の両項目に「書籍・事典類で多用されている。」とありますが、具体的に比較できていないからどちらが優位か書けないのでしょうか?評価は3者を平等に比較して優位性をお示し下さい。--Yasumi 2011年8月3日 (水) 10:35 (UTC)
ですから、征伐される側の「対応」を征伐の記事の中に書いて何が悪いのでしょうか?あなたが言っていることは長州征討の記事の中で長州側の行動を記述するな、と言っているのと同じことです。「B.九州攻め」と「C.九州征伐」の書籍・事典類での多用は同程度(過去ログ3などを参照)であり、優劣を断定するには至っていないと考えたからです。どういった書籍を優先するか決められれば判断が付くかもしれませんが、こういったことも含めて評価基準が一定しないため、表の有効性に当初疑問を持ったわけです。--秋田城之介 2011年8月8日 (月) 05:59 (UTC)
ピンとのずれた批判です。私が言っているのは、記述上で「豊臣・島津戦争」の意味で表現したい記述に「九州征伐」を使用した場合、
  1. 戦争の意味でなく征伐という一方のプロパガンダや行為の意味で表現されてしまう。
  2. 被征伐側が「征伐」をしたかのような表現になってしまう。
  3. 「九州の役」は戦争名なので、「九州征伐」のような代名詞を使うデメリットがない。
と言っているのです。戦争を表現したいのに征伐の意味で表現されてしまうのは問題でしょう。
比較表に「優劣を断定するには至っていないと考えた」要素を書き込むというのはどういう考えでの書き込みでしょうか?議論を混乱させるためでないのであれば、客観的な評価軸と優劣に書き改めるか、さもなくば削除してください。また、議論を主導するのであれば、同じ事を繰り返して疲弊をもたらすのではなく、この議論をどのように建設的に解決するのか?提案者としてビジョンを提示下さい。--Yasumi 2011年8月12日 (金) 19:59 (UTC)
1.プロパガンダではありません。当時の中央政権たる秀吉軍主観のタイトルでも問題ないはずです。
2.『被征伐側が「征伐」をしたかのような表現になってしまう』という意見については何度も解説したのでもう反論はしません。もしこの主張を続けられるようでしたら、「承久の乱」などの項目を同じような理由で改名なさったらどうでしょうか?私はもちろん反対しますが。
3.事典や書籍などの使用頻度では「九州の役」は「九州攻め」や「九州征伐」に対して劣っており、単著も参謀本部の本のみ(しかもかなり古い)です。このことは十分改名理由になります。「優劣を断定するには至っていないと考えた」のは「九州征伐」「九州平定」間の話であって、「九州の役」に対する差は明らかです(根拠は既出)。--秋田城之介 2011年8月15日 (月) 15:03 (UTC)
全体.それは以前からのご意見の繰り返しであり、改名提案には同意できません。
2.「承久の乱」を、どういう理由で「何」に改名するのか?それが議論と何の関係があるのか?反対前提の提案をなぜ私に勧めるのか?理解できません、ご説明をお願いします。--Yasumi 2011年8月20日 (土) 00:49 (UTC)
「承久の乱」や「長州征討」にも当てはまるケースですし、本気で提案しているわけではありません。あなたの「工夫しなければ使えないから不適」という意見がそれほど滑稽だということです。--秋田城之介 2011年8月29日 (月) 03:25 (UTC)

          秋田城之介さんにおたずねします。貴殿は歴史学をきちんと学んだことはありますか??--以上の署名のないコメントは、114.172.102.74会話/Whois)さんが 2011年8月20日 (土) 18:34 に投稿したものです(ジャムリン 2011年8月29日 (月) 06:17 (UTC)による付記)。

感想だけ言われましても、何が「承久の乱」と「長州征討」に当てはまるのか理解できません。滑稽であるか否かも、同様。 秋田城之介さんがどれだけ記事と出典を読んでいるのか存じませんが、各記事には様々な背景があり、個人の結論のみで、共通性を説明しないのであれば、ただ話題を拡散させるだけです。本件の説明がないのであれば、議論に無関係な発言であったと判断してよろしいでしょうか?--Yasumi 2011年8月29日 (月) 11:54 (UTC)
コメント コメント依頼から来ました。実は英語版の記事名の付け方には本件に関係しそうなルールとして "Non-neutral but common names"(中立的ではないが一般的な名称)というものがあります(en:WP:POVTITLE)。そこには長々書かれていますが要点だけ説明させていただきますと、基本的には中立性より知名度のほうを重視してください、ということになっていまして、その例としてボストン虐殺事件が挙げられています。なぜそのように定められたかについては経緯は把握していませんが、私が思いますに、たとえばベトナム戦争という呼称をアメリカ側の見方であって中立的でないからといって仮に「第一次米越戦争」などとすると、これでは予備知識のない読者にとって(普通は「ベトナム戦争」という呼び名しか知らないので)見つけだしたり読みこなしたりするのが難しいので、百科事典としてふさわしくないからなのでしょう(なお特に英語圏ではポリティカル・コレクトネスにともなう言葉狩りで一部に混乱をきたした経緯がありますので、こういった問題については知見が蓄積されているものと推測されます)。したがいまして、記事名の中立性については考慮に入れる必要はないものと思います。--Kurz 2011年8月25日 (木) 12:10 (UTC)
コメントありがとうございます。私はもとより「当事者間の中立性」については考慮する必要は無いと考えておりました。--秋田城之介 2011年8月29日 (月) 03:25 (UTC)

報告 複数のノートにまたがる問題として井戸端で提起しました。--秋田城之介 2011年8月29日 (月) 03:25 (UTC)

こんにちはKurzさん。現在の論点は名が体を表しているか否か(九州征伐の用例の殆どは、戦争でなく征伐の意味で使われている)であり、中立性については改名優劣を比較する状況による副次的要素である思っています。
さて、機械翻訳で英語版を拝見しましたが、前提の「記事の主題は主として英語信頼性の高い情報源の大多数の利用を通じて明らか単一の共通の名前で呼ばれている場合、ウィキペディアは、一般的に(他の命名基準に従う情報源をたどり、その記事のタイトルとしてその名を使用しています)。」が重要なポイントになると思います。件のen:Boston Massacreも、出典に「Boston Massacre(ボストン虐殺事件)」という文献が多数引用されており、おそらく「記事の主題である事件の呼び名」としては圧倒的なのでしよう。日本語版で言えば真珠湾攻撃のような位置付けが思い浮かびます。しかし本記事を示す戦争呼称として圧倒的・支配的なものがない中では適用できない状況です。
そして、この記事を考える場合に「記事の主題である戦争の呼び名」として信頼される日本語の出典(特に戦争を主題とした出典)状況を見るに、九州の役には記事主題を支える研究書籍や論文のタイトルがありますが、九州征伐にはどちらもありません。それどころか史学研究では括弧付きで”九州「征伐」にいたる経過”(藤木久志『豊臣平和令と戦国社会』)のような間接表現で避けられている例もあります。
更に「九州の役」が使われている関係出典では特に分かりやすいですが、『近世日本国民史』『九州の役』『大日本戦史』などでも「九州征伐」という言葉を見つけることができます。その用法は記事主題の戦争名とは異なる「豊臣秀吉が島津を攻撃した、行為/事/時/政治的正当性」の意味で使い分けられています。これは最近の本でも同様であり、記事主題の戦争名称の意味で使われている例は少ないです。「九州征伐」が戦争名称に代名詞として使用されていることを否定するものではありませんが、実態は本義征伐の用例が圧倒的・支配的です。このような殆どの出典で名が体を表していない「九州征伐」を記事名候補として考えた場合、Wikipedia:ウィキプロジェクト 軍事史#記事名や史学的動向から中立性は尊重しえるし、比較では減点評価されるべきではないかと思います。--Yasumi 2011年8月29日 (月) 11:54 (UTC)
私はen:WP:POVTITLEを前述のとおり解したのですが、Wikipedia:ウィキプロジェクト 軍事史#記事名のようなルールがあるのであればYasumiさんの解釈の方が妥当かもしれませんね。よってとりあえず結論部分についてだけ撤回しておきます。ただいずれにしても記事名の中立性は本件について重要な争点とはいえないと思うことには変わりないです。「戦争の意味でなく征伐という一方のプロパガンダや行為の意味で表現されてしまう」「被征伐側が「征伐」をしたかのような表現になってしまう。」ということを気にする必要はあまりありませんし、WP:NPOVが必要なら記事の内容を充実させれば足りるでしょう。--Kurz 2011年8月29日 (月) 14:40 (UTC)

報告 Wikipedia:井戸端/subj/政権側が起こした戦役・事象の改名について を含めた今までの議論を元にWikipedia:コメント依頼/九州の役・小田原の役の改名についてを作成しました。--秋田城之介 2011年10月28日 (金) 16:35 (UTC)

提案 既に二ヶ月以上も提案が滞っています。「議論への注力>加筆への注力」であれば、プロジェクトに取ってマイナスであり、改名提案側から建設的な推進がないことから、議論を一旦クローズ、または一年ぐらい棚上げして記事を発展させることに注力することを提案します。--Yasumi 2011年11月13日 (日) 09:32 (UTC)

賛成 Yasumiさんの意見に賛成します。提案者らは議論を停滞させ加筆を妨げているといえます。--三階菱 2011年11月15日 (火) 16:04 (UTC)