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'''ジョージ・ガブリエル・ストークス'''({{lang|en|Sir George Gabriel Stokes}}, [[1819年]][[8月13日]] - [[1903年]][[2月1日]])は、[[アイルランド]]の[[数学者]]、[[物理学者]]である。 [[流体力学]]、[[光学]]、[[数学]]などの分野で重要な貢献をした。1885年から1890年まで[[王立協会]]会長を務めた。1849年から死去する1903年まで、[[ルーカス教授職]]も務めている。 |
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2011年5月12日 (木) 03:20時点における版
ジョージ・ガブリエル・ストークス | |
---|---|
生誕 | 1819年8月13日 |
死没 | 1903年2月1日(83歳没) |
国籍 | アイルランド |
研究分野 |
数学 流体力学 光学 |
プロジェクト:人物伝 |
ジョージ・ガブリエル・ストークス(Sir George Gabriel Stokes, 1819年8月13日 - 1903年2月1日)は、アイルランドの数学者、物理学者である。 流体力学、光学、数学などの分野で重要な貢献をした。1885年から1890年まで王立協会会長を務めた。1849年から死去する1903年まで、ルーカス教授職も務めている。
業績
ストークスの名前を冠した事柄にはつぎのようなものがある。
- 流体力学の分野
- 粘性流体の式:ナビエ=ストークスの式
- 流体の中で落下する粒子の速度:ストークスの式
- 水面波の「ストークス波」
- 粘度の単位ストークス
- 光学の分野
- 数学の分野
- ストークスの定理 - ストークスの定理の初出は、ケンブリッジ大学の数学の優等試験(トライポス)であり、ストークスは、旅行中の友人の物理学者ウィリアム・トムソンが書き送った手紙を受け定理を知り試験に出題したものとされる[1]。またこのときの数学優等試験では、電磁気学で有名なジェームズ・クラーク・マクスウェルが(力学で有名なラウスと共に)首席で合格している。
- 鉱物の分野
ストークス石Stokesiteという錫とカルシウムを含むケイ酸塩鉱物は彼の名前に由来するものである。
脚注
- ^
この定理はウィリアム・トムソンが最初と言われており、次の事などからそれが判る。
- ストークスの定理、京都大学数理解析研究所
- 英語版en:Stokes' theorem
- William Thomson: king of Victorian physics, 節Bound for Scotlandの650通の手紙のやり取りやStokes' theoremやGeorge Gabriel Stokesと記される部分。