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平成23年度春の叙勲の延期について
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近代日本の叙勲制度は[[1875年]]の「勲章従軍記章制定ノ件」([[太政官布告]]第54号)公布によって開始され、その際に勲位は勲等と改められた。当初は勲八等までで[[賞牌]]が授けられることとなっていたが、翌年に二等分増やされて十等となり賞牌も勲章に変更された。また、当初は武官のみを対象としていたが、1883年には文官、1892年には教育・社会分野と拡大され、広く国家に功績ある人物に対して贈られるようになった。[[第二次世界大戦]]後の1946年に生存者に対する叙勲は中止されたが、1963年に生存者叙勲が復活して翌年より春と秋に叙勲が行われるようになった。2003年には勲等の数字表記が廃止されて、勲章の格付概念としてのみ残されるようになった。
近代日本の叙勲制度は[[1875年]]の「勲章従軍記章制定ノ件」([[太政官布告]]第54号)公布によって開始され、その際に勲位は勲等と改められた。当初は勲八等までで[[賞牌]]が授けられることとなっていたが、翌年に二等分増やされて十等となり賞牌も勲章に変更された。また、当初は武官のみを対象としていたが、1883年には文官、1892年には教育・社会分野と拡大され、広く国家に功績ある人物に対して贈られるようになった。[[第二次世界大戦]]後の1946年に生存者に対する叙勲は中止されたが、1963年に生存者叙勲が復活して翌年より春と秋に叙勲が行われるようになった。2003年には勲等の数字表記が廃止されて、勲章の格付概念としてのみ残されるようになった。


しかし2011年3月24日、政府は同月11日に発生した[[2011年東北地方太平洋沖地震]]の被害状況を考慮し、平成23年度春の叙勲の発令を延期することを発表した。制度制定以来初のこととなる<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866918/news/20110325-OYT1T00015.htm 春の叙勲、発令を延期](読売online、2011年3月28日閲覧)</ref>。
しかし2011年3月24日、政府は同月11日に発生した[[2011年東北地方太平洋沖地震]]の被害状況に鑑み、平成23年度春の叙勲及び外国人叙勲、同褒章、第16回危険業務従事者叙勲の発令を延期することを発表した。制度制定以来初のこととなる<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866918/news/20110325-OYT1T00015.htm 春の叙勲、発令を延期](読売online、2011年3月28日閲覧)</ref>。


== 脚注 ==
== 脚注 ==

2011年3月31日 (木) 10:57時点における版

叙勲(じょくん)とは、勲位勲等)・勲章を授けること。

概要

勲位は本来は武人など勲功を挙げた者に対して授与された。日本の律令法(官位令)では、一等から十二等まで区分され、勲一等は位階正三位、勲十二等は従八位下に相当するとされた。大宝律令制定とともに始まったこの制度は、恵美押勝の乱孝謙上皇側が自派の将兵に勲位を濫授したことで知られている。藤原純友の乱以後ほとんど行われなくなり、神社が帯びる程度となった。

近代日本の叙勲制度は1875年の「勲章従軍記章制定ノ件」(太政官布告第54号)公布によって開始され、その際に勲位は勲等と改められた。当初は勲八等までで賞牌が授けられることとなっていたが、翌年に二等分増やされて十等となり賞牌も勲章に変更された。また、当初は武官のみを対象としていたが、1883年には文官、1892年には教育・社会分野と拡大され、広く国家に功績ある人物に対して贈られるようになった。第二次世界大戦後の1946年に生存者に対する叙勲は中止されたが、1963年に生存者叙勲が復活して翌年より春と秋に叙勲が行われるようになった。2003年には勲等の数字表記が廃止されて、勲章の格付概念としてのみ残されるようになった。

しかし2011年3月24日、政府は同月11日に発生した2011年東北地方太平洋沖地震の被害状況に鑑み、平成23年度春の叙勲及び外国人叙勲、同褒章、第16回危険業務従事者叙勲の発令を延期することを発表した。制度制定以来初のこととなる[1]

脚注

  1. ^ 春の叙勲、発令を延期(読売online、2011年3月28日閲覧)

参考文献

  • 神谷正昌「叙位・叙勲」(『歴史学事典 12 王と国家』(弘文堂、2005年) ISBN 978-4-335-21043-3