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* [[宇宙魔神ダイケンゴー]]([[1978年]])
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* [[機動戦士ガンダム]]([[1979年]])
* [[くじらのホセフィーナ]]([[1979年]])
* [[くじらのホセフィーナ]](1979年)
* [[機動戦士ガンダム]](1979年)
* [[宇宙空母ブルーノア]](1979年)
* [[ずっこけナイトドンデラマンチャ]]([[1980年]])
* [[ずっこけナイトドンデラマンチャ]]([[1980年]])
* [[太陽の使者 鉄人28号]](1980年)
* [[太陽の使者 鉄人28号]](1980年)

2011年3月14日 (月) 00:26時点における版

越智一裕(おち かずひろ、1962年2月19日 - )は、日本アニメーター漫画家岐阜県出身。男性

経歴

スタジオNo.1出身。16歳にしてアニメーターデビューを果たした。

金田伊功から直接の指導を受けた最後の弟子筋世代。原画マンとして頭角を現した『六神合体ゴッドマーズ』ではアニメージュでの同作の特集の際、所属していたスタジオNo.1が原画を担当した回のシャープな作画が同じくスタジオZ系の流れを汲むスタジオZ5の力強い作画と比較される形で「No.1アクション」と称され、鍋島修山下将仁と共にその作画を担う若手アニメーターとして紹介された。これを気に知名度が上昇し、メカ・アクション作画のみならず美形キャラや美少女キャラの描写でも人気を得る。演出家デビューは『魔境伝説アクロバンチ』の第11話で、《南波一》名義で作画監督も担当した。放送直後に特集を組んで紹介。越智の手による書き下ろしイラストも掲載するなど、かなり気合の入った記事となっていた。 ちなみに同誌は一時期、越智に次号予告ページのイラストも依頼していた。

以後アニメーター・演出家としての活動と平行して徳間書店のモーションコミックで『ひらきなおってマイヒーロー』を発表するなど、漫画家としても活躍。同作は、読み切り作品だった第1話は巨大ロボットを操縦するヒロインとその整備士である主人公の恋愛模様を描いたラブコメものだったが、当時越智がテレビ特撮『宇宙刑事シャリバン』に熱中していた事から、連載となった第2話より主人公が宇宙刑事の様なスーツを装着するヒーロー・宇宙戦士ギャリバンとなって、悪の組織と戦うというヒーローものに方向転換。ストーリーにはメタフィクション的要素も盛り込まれるなど、ただのパロディに終わらない工夫がなされていた。またこの当時、越智はギャリバンのスーツを自身でプロの造形師に発注して制作している。

『シャリバン』への傾倒はアニメの仕事にも現れており、演出と作監を担当した『プラレス3四郎』第16話のアクションシーンでのレイアウト設計には『シャリバン』にローテーション参加した演出家・小笠原猛監督の影響がある事を、放送当時のアニメ雑誌で越智自身が語っている。またヒーローものへの思い入れはOVA『学園特捜ヒカルオン』で結実。自身で脚本から作画まで担当し、音楽面でも『宇宙刑事』シリーズと同じく劇伴は渡辺宙明、主題歌は串田アキラとする事に強く拘った。また、アイキャッチに使われた実写に登場するのは先述のギャリバンで、スーツアクターは越智自身である。

1990年前後からアニメ業界を離れ、日本テレネットに入社してゲーム業界を活動のフィールドとする。代表作は、キャラクターデザインやビジュアルなどをPC版から家庭用ゲーム機への移植版に至る全作で担当したRPG『デスブリンガー』、企画から担当した『コズミックファンタジー』シリーズなど。

1995年頃にアニメ業界へ復帰。以降は演出家としての活躍が主となる。アニメ業界を離れる以前はアクションものやマニア向けの作品が多かったのに対し、復帰後は低年齢層向けの作品でもその実力を発揮している。その一方で、かつてアクションアニメーターとして培ったテイストやマインドを上手く作品に盛り込むという器用さを見せる。監督を務めた『ポポロクロイス』第6話では師匠の金田が《戸隠伊助》名義で絵コンテを担当し、越智が演出。加えてかつてのスタジオZ/No1系アニメーターと、金田をリスペクトするアニメーターの参加で往年のロボットアニメを髣髴とさせる作画となった。

主な作品

アニメーション

テレビアニメ

OVA

劇場アニメ

ゲーム

漫画・書籍

関連項目

外部リンク