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'''マーク・ノップラー [[大英帝国勲章|OBE]]''' (Mark Freuder Knopfler OBE, [[1949年]][[8月12日]] - )は、[[イギリス]][[スコットランド]]地方の[[グラスゴー]]に生まれた[[ミュージシャン]]、[[ギタリスト]]、[[ソングライター]]、[[音楽プロデューサー]]。
'''マーク・ノップラー [[大英帝国勲章|OBE]]'''(Mark Freuder Knopfler OBE, [[1949年]][[8月12日]] - は、[[イギリス]][[スコットランド]]の[[グラスゴー]]に生まれた[[ミュージシャン]]、[[ギタリスト]]、[[ソングライター]]、[[音楽プロデューサー]]。


== 概要 ==
== 概要 ==
父は、[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス]]を避けて1939年[[ハンガリー]]から[[オランダ]]を経てスコットランドに移住した[[ユダヤ系]][[ハンガリー人]]の建築家エルヴィーン・クノップフラー Erwin Knopfler、母は[[アイルランド]]人。日本では聞き慣れないノップラー(クノップ<small>フ</small>ラー) ''Knopfler'' という[[姓]]は、父親の[[ドイツ語]]の姓に由来する。姉一人と弟一人(デヴィッド)の3兄妹の真ん中で長男。
父は、[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス]]を避けて1939年[[ハンガリー]]から[[オランダ]]を経てスコットランドに移住した[[ユダヤ系]][[ハンガリー人]]の建築家エルヴィーン・クノップフラー(Erwin Knopfler)、母は[[アイルランド]]人。日本では聞き慣れないノップラー(クノップ<small>フ</small>ラー) ''Knopfler'' という[[姓]]は、父親の[[ドイツ語]]の姓に由来する。姉一人と弟一人(デヴィッド)の3兄妹の真ん中で長男。


イギリスの[[ニューカッスル・アポン・タイン]]に家族ごと移住してしばらくたった10代の頃からギターを独学で学びはじめ、大学卒業後は新聞記者や教師をしつつ複数のバンドを掛け持ちしてパブに出入りするようになる。1970年代半ばにロックグループ「[[ダイアー・ストレイツ]]」を結成。その後リーダーとして活動休止までバンドを牽引し、スターダムに押し上げる。
イギリスの[[ニューカッスル・アポン・タイン]]に家族ごと移住してしばらくたった10代の頃からギターを独学で学びはじめ、大学卒業後は新聞記者や教師をしつつ複数のバンドを掛け持ちしてパブに出入りするようになる。1970年代半ばにロックグループ「[[ダイアー・ストレイツ]]」を結成。その後リーダーとして活動休止までバンドを牽引し、スターダムに押し上げる。
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ダイアー・ストレイツでの活動を通して、その独特の[[フィンガー・ピッキング]]奏法によるギタープレイや、トータルな楽曲プロデュース能力が、他の多くのミュージシャンの目にとまることとなり、数多くのセッションに参加。[[ボブ・ディラン]]を筆頭に[[スティーリー・ダン]]、[[エルトン・ジョン]]、[[スティング (ミュージシャン)|スティング]]、[[エリック・クラプトン]]、[[ブライアン・フェリー]]など数多くのミュージシャンと親交を深める。また、ほぼ同時期に映画音楽にも参入。「[[ローカル・ヒーロー (映画)|ローカル・ヒーロー]]」「CAL」「プリンセス・ブライド」「ワグ・ザ・ドッグ」などを手がけて高い評価を得る。
ダイアー・ストレイツでの活動を通して、その独特の[[フィンガー・ピッキング]]奏法によるギタープレイや、トータルな楽曲プロデュース能力が、他の多くのミュージシャンの目にとまることとなり、数多くのセッションに参加。[[ボブ・ディラン]]を筆頭に[[スティーリー・ダン]]、[[エルトン・ジョン]]、[[スティング (ミュージシャン)|スティング]]、[[エリック・クラプトン]]、[[ブライアン・フェリー]]など数多くのミュージシャンと親交を深める。また、ほぼ同時期に映画音楽にも参入。「[[ローカル・ヒーロー (映画)|ローカル・ヒーロー]]」「CAL」「プリンセス・ブライド」「ワグ・ザ・ドッグ」などを手がけて高い評価を得る。


ダイアー・ストレイツの活動休止後、ソロに転向し4枚のアルバムをリリース。特に 2枚目の「[[Sailing to Philadelphia]]/セイリング・トゥ・フィラデルフィア」は全世界で400万枚を超える大ヒットとなる。また、2004年秋には新譜「Shangri-La」を発売。その後は数年来レコーディングを続けてきたカントリー歌手の[[エミルー・ハリス]]とのデュエットアルバム「[[All The Roadrunning]]」の発売と、プロモーションツアーを敢行し好評を得る。現在は新譜「Get Lucky」が完成しプロモーションの準備に入っているとのことである。
ダイアー・ストレイツの活動休止後、ソロに転向し4枚のアルバムをリリース。特に 2枚目の「Sailing to Philadelphia/セイリング・トゥ・フィラデルフィア」は全世界で400万枚を超える大ヒットとなる。また、2004年秋には新譜「Shangri-La」を発売。その後は数年来レコーディングを続けてきたカントリー歌手の[[エミルー・ハリス]]とのデュエットアルバム「All The Roadrunning」の発売と、プロモーションツアーを敢行し好評を得る。現在は新譜「Get Lucky」が完成しプロモーションの準備に入っているとのことである。


一般的にノップラーのギタープレイに関しては、[[J.J.Cale]]からの影響についてだけ語られる場合が多いが、実際にはそれ以上に[[シャドウズ]]の[[ハンク・マービン]]の影響が濃厚である。
一般的にノップラーのギタープレイに関しては、J.J.Caleからの影響についてだけ語られる場合が多いが、実際にはそれ以上に[[シャドウズ]]の[[ハンク・マービン]]の影響が濃厚である。


[[ローリング・ストーン]]誌の2003年8月号のカバーストーリー、「[[ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト]]」に於いて第27位。
[[ローリング・ストーン]]誌の2003年8月号のカバーストーリー、「[[ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト]]」に於いて第27位。
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2010年9月10日 (金) 21:16時点における版

マーク・ノップラー

マーク・ノップラー OBE(Mark Freuder Knopfler OBE, 1949年8月12日 - )は、イギリススコットランドグラスゴーに生まれたミュージシャンギタリストソングライター音楽プロデューサー

概要

父は、ナチスを避けて1939年ハンガリーからオランダを経てスコットランドに移住したユダヤ系ハンガリー人の建築家エルヴィーン・クノップフラー(Erwin Knopfler)、母はアイルランド人。日本では聞き慣れないノップラー(クノップラー) Knopfler というは、父親のドイツ語の姓に由来する。姉一人と弟一人(デヴィッド)の3兄妹の真ん中で長男。

イギリスのニューカッスル・アポン・タインに家族ごと移住してしばらくたった10代の頃からギターを独学で学びはじめ、大学卒業後は新聞記者や教師をしつつ複数のバンドを掛け持ちしてパブに出入りするようになる。1970年代半ばにロックグループ「ダイアー・ストレイツ」を結成。その後リーダーとして活動休止までバンドを牽引し、スターダムに押し上げる。

ダイアー・ストレイツでの活動を通して、その独特のフィンガー・ピッキング奏法によるギタープレイや、トータルな楽曲プロデュース能力が、他の多くのミュージシャンの目にとまることとなり、数多くのセッションに参加。ボブ・ディランを筆頭にスティーリー・ダンエルトン・ジョンスティングエリック・クラプトンブライアン・フェリーなど数多くのミュージシャンと親交を深める。また、ほぼ同時期に映画音楽にも参入。「ローカル・ヒーロー」「CAL」「プリンセス・ブライド」「ワグ・ザ・ドッグ」などを手がけて高い評価を得る。

ダイアー・ストレイツの活動休止後、ソロに転向し4枚のアルバムをリリース。特に 2枚目の「Sailing to Philadelphia/セイリング・トゥ・フィラデルフィア」は全世界で400万枚を超える大ヒットとなる。また、2004年秋には新譜「Shangri-La」を発売。その後は数年来レコーディングを続けてきたカントリー歌手のエミルー・ハリスとのデュエットアルバム「All The Roadrunning」の発売と、プロモーションツアーを敢行し好評を得る。現在は新譜「Get Lucky」が完成しプロモーションの準備に入っているとのことである。

一般的にノップラーのギタープレイに関しては、J.J.Caleからの影響についてだけ語られる場合が多いが、実際にはそれ以上にシャドウズハンク・マービンの影響が濃厚である。

ローリング・ストーン誌の2003年8月号のカバーストーリー、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」に於いて第27位。

アルバムリスト

(ダイアー・ストレイツでのアルバムはダイアー・ストレイツ を参照のこと)

  • ソロアルバム
    • 『ゴールデン・ハート "Golden Heart"』 - 1996年
    • 『セイリング・トゥ・フィラデルフィア "Sailing to Philadelphia"』 - 2000年
    • 『ラグピッカーズ・ドリーム "The Ragpicker's Dream"』 - 2002年
    • 『シャングリラ "Shangri-La"』 - 2004年
    • 『"Kill To Get Crimson"』 - 2007年
    • 『"Get Lucky"』 - 2009年
  • サウンドトラック
    • 『ローカル・ヒーロー/夢に生きた男 "Local Hero"』 - 1983年
    • 『キャル "Cal"』 - 1984年
    • 『プリンセス・ブライド・ストーリー "The Princess Bride"』 - 1987年
    • 『ブルックリン最終出口 "Last Exit To Brooklyn"』 - 1989年
    • "Metroland" - 1998年
    • 『ワグ・ザ・ドッグ/ウワサの真相 "Wag The Dog"』 - 1997年
    • 『栄光のストライカー/スコットランド・カップの奇跡 "A Shot at Glory"』 - 2000年
    • 『"Seeing in the Dark"』 - 2007年