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蔵賀(ぞうが、延喜17年(917年) - 長保5年6月9日(1003年7月10日))は、平安時代中期の天台宗の僧。父は参議橘恒平。多武峰先徳(とうのみねせんとく)とも呼ばれる。
比叡山で慈恵大師(元三大師)良源に師事して天台教学を学び、963年(応和3年)如覚の勧めで多武峰(奈良県桜井市)に住し、「摩訶止観」「法華文句」を講じ、「法華玄義鈔」「無限念仏観」などを著した。また、毎年四半期ごとに法華三昧を修した。一方不動供(不動明王を供養する修法)などの修法や法華経読誦を行い奇瑞を現したという。高い名誉や利権を嫌い、奇行譚を多く残した。
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