「タチバナ」の版間の差分
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*[http://www.geocities.jp/ir5o_kjmt/kigi/tatiban2.htm タチバナの実] |
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*[http://eco.pref.yamaguchi.jp/rdb/html/10/100098.html レッドデータブックやまぐち 「タチバナ」] |
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*[http://eco.pref.yamaguchi.jp/rdb/html/10/100097.html レッドデータブックやまぐち 「コウライタチバナ」] |
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2009年4月20日 (月) 05:09時点における版
タチバナ | |||||||||||||||||||||||||||
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分類 | |||||||||||||||||||||||||||
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学名 | |||||||||||||||||||||||||||
Citrus tachibana (Makino) Tanaka | |||||||||||||||||||||||||||
和名 | |||||||||||||||||||||||||||
タチバナ、ヤマトタチバナ、 ニッポンタチバナ |
タチバナ(橘、学名:Citrus tachibana)は、ミカン科ミカン属の常緑小高木。別名はヤマトタチバナ、ニッポンタチバナ。
概要
日本に古くから野生していた日本固有のカンキツである。和歌山県、山口県、四国、九州の海岸に近い山地にまれに自生する。近縁種にはコウライタチバナ(C. nipponokoreana)があり、萩市と韓国の済州島にのみ自生する(萩市に自生しているものは絶滅危惧IA類に指定され、国の天然記念物となっている)。
樹高は2メートルから4メートル、枝は緑色で密に生え、若い幹には棘がある。
葉は固く、楕円形で長さ3センチメートルから6センチメートル。濃い緑色で光沢がある。
果実は滑らかで、直径3センチメートルほど。キシュウミカンやウンシュウミカンに似た外見をしているが、酸味が強く生食用には向かない(マーマレードなどの加工品にされることがある)。
タチバナの名称で苗が園芸店で売られていることがあるが、ニホンタチバナではなくコウライタチバナと区別されず混同されていることがある。コウライタチバナは、葉や実がタチバナより大きく、実がでこぼこしているのが特徴。
文化
日本では固有のカンキツ類で、実より花や常緑の葉が注目された。マツなどと同様、常緑イコール「永遠」ということで喜ばれた。
記紀では垂仁天皇が田道間守を常世の国に遣わして「時じくの香の木の実」(ときじくのかくのこのみ)と呼ばれる不老不死の力を持った霊薬を持ち帰らせたという話が載せられている。古事記の本文では「是今橘也」(これ今の橘なり)としているが、実際にそれが橘そのものであるかどうかは明らかではない。
橘諸兄を祖とする橘氏が奈良時代に生まれている。橘の常緑にあやかって姓にしたと考えられている。
京都御所紫宸殿の「右近橘、左近桜」で有名。(ただし、この橘は、紀州蜜柑に近いものとする説もある。)
また橘は家紋として使用された(井伊氏など)。また近代では勲章に使用されている。文化勲章は元々桜であったが昭和天皇が「文化は永遠である」と言い、咲いて散る桜ではなく、常緑の橘を勲章にしたという。
京都府八幡市の「石清水八幡宮」では八幡神を勧請した僧・行教のご紋が橘であった為、橘紋と三つ巴が御神紋とされている。また本殿の彫刻には真ん中に橘の実があり、その実の両側から鳩が向かい合っている形のものがある。本殿前には左右共に橘の木が植えられており、授与品としてこの橘の実を使った御神酒も作られている。
家紋
橘紋(たちばなもん)は、タチバナの実と葉を図案化した家紋である。江戸時代には90家余りの旗本が用い、蔦紋や桐紋などともに十大紋の一つに挙げられている。
構図の種類には「橘」、「丸に橘」、「井桁に橘」、「三つ葉橘」などがある。同様の図案で「茶の実紋(ちゃのみもん)」があるが、チャノキの実を図案化したもので橘紋の実の部分に3枚の葉がない構図である。
文様としては平安時代末期ごろに現れ、『法然上人絵伝』に見られる。元明天皇が、葛城王に橘姓を下賜したことにちなみ橘系の氏族が家紋として用いた。『見聞諸家紋』に記された、薬師寺氏、小寺氏が文献上の初見とされる。ほかに井伊氏、黒田氏などが用いた。黒田氏の橘紋の由来は、黒田職高が小寺氏に仕えた際に賜ったとされることからである。井伊氏は、井伊共保が生まれた際の故事にちなむとされる。日蓮宗の寺紋「井桁に橘・日蓮宗橘」は、開祖の日蓮が井伊氏一族の出身であることに由来するという。[1][2]