「尾張四観音」の版間の差分

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2009年2月21日 (土) 06:56時点における版

四観音道(千種区覚王山通にて)
四観音道道標(千種区下方町)

尾張四観音(おわりしかんのん)とは、尾張国の代表的な四つの下記の観音寺

を指す言葉である。いずれの寺も開基から千数百年以上を経た古刹である。

概要

徳川家康名古屋城の築城に際し、城から見て鬼門の方角にある上記4寺を鎮護として定めたとされる。(ちなみに、大須観音は、江戸時代初期に家康の命により美濃から現在地に移転した比較的新しい寺であり、四観音には列しない。)

それぞれの観音を結ぶ道として四観音道があったが、このうち笠寺と竜泉寺を結ぶ道の一部が現存し、千種区内の地名にもなっている。また、道中には明治時代に立てられたと伝えられる道標が一基残っており、「東 やごと ひらばり 西 あらこ 南 あつた かさでら 北 せと りゅうせんじ」と刻まれている。

節分での四観音

名古屋城を中心にほぼ四方に分散する形で立地しており、毎年節分の時期になると(名古屋城を中心として見て)その年の恵方(北北西/甚目寺観音・東北東/竜泉寺観音・南南東/笠寺観音・西南西/荒子観音)にあたる寺では特に盛大な(他の三観音も節分祭(会)は行われる)節分祭(会)が行われる。

恵方の寺か大須観音に参拝に行くと、厄落としになるという風習が名古屋にはある。これは大須観音を「中心」恵方とする主張が戦後に起こり、現在も中心恵方を主張をしているがためで、大須観音と尾張四観音とでは中心点に相違がある。

尾張四観音では旧来と変わらず名古屋城を中心と捉えている(名古屋城の守護観音である大須観音と中心と考えている人もいる)。

外部リンク