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荒子観音

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
荒子観音
本堂
所在地 愛知県名古屋市中川区荒子町字宮窓138
位置 北緯35度8分11.65秒 東経136度51分29.61秒 / 北緯35.1365694度 東経136.8582250度 / 35.1365694; 136.8582250座標: 北緯35度8分11.65秒 東経136度51分29.61秒 / 北緯35.1365694度 東経136.8582250度 / 35.1365694; 136.8582250
山号 浄海山
宗派 天台宗
本尊 聖観音
創建年 伝・天平元年(729年
開基 伝・泰澄
正式名 浄海山 圓龍院 観音寺
別称 荒子観音寺荒子の観音さん
札所等 尾張三十三観音12番
尾張四観音
大名古屋十二支 恵当寺 申年本尊札所
文化財 多宝塔(重要文化財)
法人番号 2180005000521 ウィキデータを編集
荒子観音の位置(愛知県内)
荒子観音
荒子観音の位置(名古屋市内)
荒子観音
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荒子観音(あらこかんのん)は、愛知県名古屋市中川区荒子町にある天台宗寺院

概要

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奈良時代に創建と伝わる天台宗の古刹。「荒子観音寺」とも称するが、正式には浄海山圓龍院観音寺である。「荒子の観音さん」としても親しまれている。尾張四観音のひとつに数えられる。本尊は聖観音で、33年に1度開扉の秘仏である。山門にある二体の仁王像は円空の作といい、1000体を超える円空仏を所蔵している。多宝塔は市内最古の木造建築物として知られている。

歴史

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寺伝によれば、天平元年(729年)、に泰澄が草創し、天平13年(741年)、に弟子の自性が堂宇を整えたとされる。泰澄は加賀白山の開祖とされる伝説的人物であり、以上の草創伝承がどこまで史実を伝えるものかは不明である。創建当時は七堂伽藍十二坊をもつ大寺であったと伝わっている。 荒子観音の裏の畑地から飛鳥時代のものと推定される提瓶が出土しているが、発掘調査が行われていないため他の出土品は確認されておらず当寺との関係も不詳である[1]

創建当時は現在地の北西にあったと伝わるが、定かではない。旧地については諸説あり、江戸中期の『塩尻』は高畑村地内にあったとし、江戸後期の『尾張国地名考』では高畑村と八田村の境界付近にあったとしている。高畑町にはかつて「本堂」「東大門」「西大門」という小字があったため、鎌倉期までの旧地は現在の上高畑付近であるという説がある[2]。また、「八田の鬼頭屋敷跡」と称された場所から廃寺跡と見られる礎石が見つかっており、これが当寺の遺構という説もある[3]柳田町からも廃寺の礎石らしきものが見つかっている[4]。興廃を繰り返し、中世に現在の場所に落ち着いたと考えられている。

戦乱により古文書の多くが焼失しているというが、中世の遺物は僅かに残っている。特に古いのは、永享元年(1429年)の「尾州一楊御厨観音寺金口 東郷」と銘のある鰐口で、当時の荒子観音が一楊御厨伊勢神宮領)の東郷に所在していたことが分かる。

天文5年(1536年)に賢俊により多宝塔が再建されたという。この多宝塔は名古屋市内に現存する最古の建物で、国の重要文化財に指定されている。熱田大工であった岡部甚四郎吉定により建造されたといい、室町時代後期の禅宗様式を反映している。

寺伝によれば、永禄年間に全運により再興されたという。天正4年(1576年)には前田利家により本堂が再建され、この時自身の甲冑も寄贈している。利家は荒子の土豪の家に生まれ、北陸に所領を与えられるまで寺の近くに荒子城を構えていたとされる。当寺は彼の菩提寺でもある。太閤検地により、30余町あったという寺領は没収され、9反ほどの観音灯明田が与えられたという。

江戸期には密蔵院の末寺となっていた。延宝年間から貞享年間に円空が当寺を数回訪れ、山門の仁王像や1200体を超える木彫仏像(円空仏)を残し、現在も多くの仏像があることは著名である。文化年間などに複数回の火災に遭い、その都度再建された。現在の山門は大正5年(1926年)に完成したものである[5]平成6年(1994年)には本堂が焼失し、平成9年(1997年)に再建された。

荒子観音寺の円空仏

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円空仏の研究は荒子観音寺に始まり、荒子観音寺に終わると言われるほど、荒子観音寺には多種多様な円空仏が存在する。荒子観音寺には2014年平成26年)時点で1255体の円空仏が現存し、移出像11体を含めて1266体が確認されている[6]。2014年(平成26年)時点で日本全国で現存が確認されている円空仏5374体のうち、実に4分の1以上が当寺にあることになる[7]。荒子観音寺十八世・金精法印の『淨海雑記』に拠れば、円空は延宝4年(1676年)に荒子観音寺に滞在しており、様式面からも荒子観音寺の円空仏は延宝4年前後に造像されたと考えられている[6]

荒子観音寺の本堂には釈迦如来・大黒天の二像が安置され、山門には仁王像二体が安置されており、仁王像は最大の円空仏としても知られる[6]1979年昭和54年)に長谷川公茂は荒子観音寺の仁王像を円空が水に浮かべて像を彫ったする推論を発表している[8]。これは技術的な面から棚田家司・山田匠琳[9]、小島梯次らによって否定されている[10]。円空よりも後に同様の造像活動を行った僧に木喰がおり、柳宗悦宮崎県西都市の木喰五智館に伝来する木喰仏を水上に浮かべて彫ったとし、立松和平は木喰が円空が荒子観音寺において水上で像を彫ったことにならい同様の造像を行ったとしている。一方で、小島梯次は荒子観音寺に円空が水上で像を彫ったとする記録・伝承が見られないことから、これを否定している[11]

そのほかの円空仏は客殿に集められており、中でも三体の護法神は円空の代表作として知られ、円空の和歌も添えられている[12]

ほか、不揃いな板切れに目や鼻、口を表現した「木端仏(こっぱぶつ)」と呼ばれる群像31体がある。1972年(昭和47年)、境内六角堂の木箱の中から1024体の円空仏が発見された[13]。これは千面菩薩の諸像で、2006年(平成18年)の調査では千面菩薩は1005体で、黒ずんだ像の混入や、4体の移座が確認された[13]。『淨海雑記』に拠れば円空は(ひのき)の大木からまず仁王像を彫り、余材を用いて諸像を造像し、さらに平材や板切れで木端仏や千面菩薩を作ったという[14]。逗子中には像とともに削り屑が入れられていた[14]

荒子観音寺の円空仏は毎月第2土曜日の午後1時から4時まで公開されている。円空仏の公開日には境内で円空仏を彫る体験教室が開かれている[15]

文化財

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重要文化財(国指定)

愛知県指定文化財

名古屋市都市景観重要建造物

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  • 山門

ギャラリー

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交通手段

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その他

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多宝塔は前述のとおり国の重要文化財に指定されているほか、山門と併せて名古屋市の都市景観重要建築物等に指定されている[17]

脚注

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  1. ^ 中川区制施行50周年記念誌編集委員会 1987, p. 46.
  2. ^ 名古屋市計画局 1992, p. 457.
  3. ^ 名古屋市港区 1963, p. 12.
  4. ^ 加賀宣勝, p. 20.
  5. ^ 名古屋市ホームページ(都市景観重要建築物指定物件・観音寺)
  6. ^ a b c 小島梯次 2014, p. 51.
  7. ^ 小島梯次 2014, p. 123.
  8. ^ 長谷川公茂「編年口絵写真解説」『円空研究・別巻2』
  9. ^ 棚田家司・山田匠琳「技法から知る円空」『美術手帖』2013年
  10. ^ 小島梯次 2014, p. 52.
  11. ^ 小島梯次 2014, p. 53.
  12. ^ 小島梯次 2014, pp. 53–54.
  13. ^ a b 小島梯次 2014, p. 55.
  14. ^ a b 小島梯次 2014, p. 57.
  15. ^ [1] - 円空仏彫刻・木端の会
  16. ^ 文化財ナビ愛知
  17. ^ “名古屋市:都市景観重要建築物等指定物件”. 住宅都市局都市計画部都市景観室 (名古屋市). (2012年9月25日). https://www.city.nagoya.jp/kankou/category/358-1-0-0-0-0-0-0-0-0.html 2012年11月25日閲覧。 

参考文献

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  • 小島梯次『円空仏入門』松尾出版、2014年。ISBN 9784944168378 

関連項目

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外部リンク

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