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(ソルト・ヒルで人殺しがあり、容疑者はロンドン行きの一等車の切符を入手し午後7:42にスラウを出たと見られた。脚まで届く茶色のコートでクウェーカー教徒を装っている。前から二両目の一等車の最後のコンパートメントにいる)
(ソルト・ヒルで人殺しがあり、容疑者はロンドン行きの一等車の切符を入手し午後7:42にスラウを出たと見られた。脚まで届く茶色のコートでクウェーカー教徒を装っている。前から二両目の一等車の最後のコンパートメントにいる)
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「Quaker(クウェーカー)」が「Kwaker」とスペルミスになっているのは、当時のイギリスの電信システムで「Q」の文字サポートされていなかったからである。
当時のイギリスの電信システムで「Q」の文字サポート(定義)されていなかっため、「Quaker(クウェーカー)」は「Kwaker」と綴りを変更して使用されている。


=== 世界各国での発展 ===
=== 世界各国での発展 ===

2008年12月25日 (木) 06:13時点における版

電鍵と音響器
日本陸軍九五式電信機

電信(でんしん)とは、符号の送受信による電気通信である。モールス符号による聴覚通信と、テレタイプ端末を用いた機械電信(印刷電信)などがある。電報はもともと電信技術を用いて行われた通信サービスであった。

機械電信はデジタル通信技術の発達にともない様々な情報を送受信するデータ通信へと発展したが、これらは電信とはいわないのが普通である。

歴史

高速に伝送されるという電気の現象が知られるようになって、通信手段にも電気を利用するための実験が数多く行われるようになった。火花、静電気、化学変化、電気ショック、電磁気効果など、当時知られていた電気の性質がさまざまな人によって電気伝送通信に応用されようとした。

1746年にはフランス科学者ジャン・アントワン・ノレーが200人以上の修道士を集め円周約1マイル(1.6km)の輪を作り、それぞれに鉄線で繋いだライデン瓶電池から放電させ、全員がほぼ同時に電気ショックを感じたのを観察し、伝送速度が高速であるのを確認した[1][2]

1753年にはスコット誌(Scots Magazine)の投稿で、一文字ごとに割り当てられた電線でメッセージを送る静電気電信が提案され、相手側で針を偏向させる静電気電信機のアイデアが掲載された[3]。この案は欧州で実演されたが、実用的な通信機に開発されることはなかった。

アレッサンドロ・ボルタが1800年にボルタ電池を発明し、実験用の直流を生み出したことで、当時唯一の電気発生源として知られていた静電気発生器の一時的な放電に比べ、さまざまな効果を生み出す低電圧電流を発生させることが可能になった。

サミュエル・トマス・フォン・ソンメリング(Samuel Thomas von Soemmering)が1809年に電気化学電信機を発明した。デンマークハンス・クリスティアン・エルステッドは1820年に電流は方位磁針を動かす磁界を作り出すことを発見し、また同じ年に、ドイツのヨハン・シュヴァイガー(Johann Schweigger)はコイルと磁針で出来た検流計を発明、電流を測定する感度のいい測定器として利用された。1821年には、フランスのアンドレ=マリ・アンペールが、検流計を一文字あたり一つ備えたシステムで電信は可能と主張し、実際に組み立て実験して見せた。1824年、ピーター・バーロウは上記のシステムでは200フィート(約61m)までの距離でしか電信が成立せず、非実用的だと主張。イギリスのウィリアム・スタージャンは1825年に、ニスを塗った鉄片に絶縁した導線を巻いた電磁石を発明し、電流で磁力を強化することが出来るようになった。1828年、アメリカのジョセフ・ヘンリーは導線をさらに何重にも巻くことによりさらに強力な電磁石が出来、抵抗値の高い長い導線上でも電信が出来る様になった。1832年に電磁石を利用した電信機はロシアパヴェル・シリングによって完成。ガウスとヴィルヘルム・ヴェーバーは1833年にドイツ・ゲッティンゲンでまた電信機を完成。1835年にはジョセフ・ヘンリーリレーを発明し、長導線上の弱電流でも強力な電磁石を制御できるようになった[4] [5]

ガウス・ヴェーバー式電信機

当時地磁気の新理論で影響力の大きかったガウスは、ゲッティンゲン大学物理学の教授をしていたヴェーバーと1833年に共同で電信機を開発した。この時代の最も重要な発明の一つは、一本巻きまたは二本巻きの磁力計で、磁針の小さな揺れでも測定できた。1833年5月6日に許可を得て1000mの導線を町の建物の屋根に設置した。


最初は時間合わせのために電信を使用したが、その後すぐ他の信号にも、さらにはアルファベットにも利用できるようにした。その当時は二進法の信号ではなく、四進法を使用し、この通信は町の発展に貢献すると考えた。同年のその後、ガウスはボルタ電池ではなく電磁誘導起電力を利用し、一分間に7文字の信号を伝送することが出来るようにした。この二人と大学は自分たちのみで電信機を開発するには費用が不足するとして、アレクサンダー・フォン・フンボルトからも基金を得ていた。

その後カール・アウグスト・フォン・シュタインハイルは1835年〜1836年にかけて、ミュンヘンで電信機の設置を行い、1835年に開業された初めてのドイツでの鉄道沿いに電信用電線の敷設を行った。

シリング式電信機

シリングが1832年に発明した電信機は、電流を制御する16個の黒鍵と白鍵のキーボードのある送信機であった。受信機は6個の検流計がついており、その磁針は絹糸で吊されていた。送信機と受信機は8本の導線で接続され、6本はそれぞれの検流計に、また残りの2本は回送電流と信号ベルに接続されていた。送信局でオペレーターがキーを押すと、受信局で対応するポインターが動くしくみであった。黒鍵と白鍵の組み合わせで、文字や数字を表していた。その後改良され、両局を繋ぐ導線は8本から2本に減った。

1832年の10月21日に、シリングは自身のアパートの部屋間での短距離通信を成功させた。1836年にはサンクトペテルブルクの海軍省の本部ビル周辺で、地下や海底ケーブルを使用し5kmの伝送実験をした。シリングはまた信号伝送で二進法を実用に使った最初となった。

商業化

電信の最初の商業化はウィリアム・クック(William Fothergill Cooke)だったとされる。クックは1837年5月にチャールズ・ホイートストンと共に警報機としての電信機の特許を取得。1837年7月25日にロンドンユーストンカムデン・タウン間での実演を成功した[6] 。そのシステムは1839年4月9日にパディントン駅からウェスト・ドレイトンまでの間、約21kmにわたってグレート・ウェスタン鉄道の線路を利用して敷設された。1845年1月1日にパディントン駅からスラウに送られた下記のメッセージで、ジョン・タウェルが逮捕された。これが殺人犯逮捕で電信が役立った最初のケースといわれている。

A murder has just been committed at Salt Hill and the suspected murderer was seen to take a first class ticket to London by the train that left Slough at 7.42pm. He is in the garb of a Kwaker with a brown great coat on which reaches his feet. He is in the last compartment of the second first-class carriage

(ソルト・ヒルで人殺しがあり、容疑者はロンドン行きの一等車の切符を入手し午後7:42にスラウを出たと見られた。脚まで届く茶色のコートでクウェーカー教徒を装っている。前から二両目の一等車の最後のコンパートメントにいる)

当時のイギリスの電信システムでは「Q」の文字がサポート(定義)されていなかっため、「Quaker(クウェーカー)」は「Kwaker」と綴りを変更して使用されている。

世界各国での発展

アメリカ合衆国

1836年にアメリカの科学者デイビッド・オルターがペンシルバニア州エルダートンで電信機を発明した。

日本

1854年、ペリーが持ち込み、日本に電信がもたらされた。ペリーは電線を1km程引き、公開実験をおこなった。このとき、「YEDO, YOKOHAMA」(江戸、横浜)と打った。

電波型式としての電信

  • A1A : モールス符号を用いた聴覚通信。占有周波数帯域幅が狭く、小空中線電力での長距離通信が可能である。
  • A2A : AM(DSB-WC)、トーン信号を使用してモールス符号を送信。
  • F2A : FM、トーン信号を使用してモールス符号を送信。
  • A1B、A2B : テレタイプ端末を用いた機械電信(印刷電信)。

モールス符号を用いた通信は現在では非常時連絡設定用(4630 kHz)、衛星非常用位置指示無線標識アマチュア無線、各国標準電波電波伝搬試験用潮流情報新聞事業用無線防災行政用無線船舶無線漁業無線ラジオブイ気象放送気象庁気象短波帯固定回線海上無線標識局航空無線標識局無指向性無線標識施設コンパスロケータILS海上保安部警察庁警察用短波帯固定回線、国際刑事警察機構自衛隊アメリカ海軍アメリカ沿岸警備隊などで使用されるだけとなった。 なお、アマチュア無線技士のモールス通信能力を非義務化した2003年世界無線会議の決定に伴い、資格審査の際に電信の送受信実技試験を廃止する動きが各国で出ている。

脚注

  1. ^ [1] Tom Standage, The Victorian Internet, Walker Publishing, New York, 1998 ISBN 0-8027-1342-4, pp. 1-2
  2. ^ [2] John Joseph Fahey, A history of electric telegraphy, to the year 1837, Spon, London, 1884, p59
  3. ^ E. A. Marland, Early Electrical Communication, Abelard-Schuman Ltd, London 1964, no ISBN, Library of Congress 64-20875, pages 17-19
  4. ^ Joseph Henry: Inventor of the Telegraph? Smithsonian Institution”. 2006年6月29日閲覧。
  5. ^ Thomas Coulson (1950). Joseph Henry: His Life and Work. Princeton: Princeton University Press 
  6. ^ The electric telegraph, forerunner of the internet, celebrates 170 years BT Group Connected Earth Online Museum. Accessed July 2007

関連項目