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* [[1903年]](明治36年)[[札幌農学校]](現在の[[北海道大学]])農芸伝習科に入学
* [[1903年]](明治36年)[[札幌農学校]](現在の[[北海道大学]])農芸伝習科に入学
* [[1906年]](明治39年)札幌農学校を卒業後単身渡米、ウィスコンシン州ウエストアリスのラスト牧場にて牧夫として酪農を実習
* [[1906年]](明治39年)札幌農学校を卒業後単身渡米、ウィスコンシン州ウエストアリスのラスト牧場にて牧夫として酪農を実習
* [[1910年]]明治43年4月ウィスコンシン州立農科大学入学
* [[1910年]]明治43年)4 ウィスコンシン州立農科大学入学
* [[1912年]](明治45年)一旦帰国、渡辺志津と結婚、再度渡米
* [[1913年]]大正2年同校を卒業。
* [[1913年]]大正2年)3月 ウィスコンシン州立農科大学を卒業。
* [[1916年]](大正5年)帰国
* [[1916年]](大正5年)帰国
* [[1917年]](大正6年)北海道石狩町樽川にて[[まちむら農場 |町村農場]]を創業
* [[1917年]](大正6年)北海道石狩町樽川にて[[まちむら農場 |町村農場]]を創業
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* 日本の[[ホルスタイン]]種改良、土地改良等酪農界の指導的役割を果たす<ref>『町村金五伝』 447頁</ref>。
* 日本の[[ホルスタイン]]種改良、土地改良等酪農界の指導的役割を果たす<ref>『町村金五伝』 447頁</ref>。


* [[1945年]](昭和20年)貴族院議員に勅撰される
* [[1945年]](昭和20年)貴族院議員に勅撰される
* [[1947年]](昭和22年)には参議院議員に当選。[[緑風会]]に所属し、1期務める
* [[1947年]](昭和22年)参議院議員に当選。[[緑風会]]に所属し、1期務める
* [[1950年]](昭和25年)吉田内閣農政懇談会に学識経験者委員として参加
* [[1962年]](昭和37年)日本酪農の確立、ホルスタイン種の導入普及など農業界への功績により藍綬褒章を賜る
* [[1963年]](昭和38年)第二回全国農業祭畜産部門天皇杯受賞
* [[1964年]](昭和39年)江別市名誉市民
* [[1967年]](昭和42年)志津夫人逝去
* [[1968年]](昭和43年)オーストラリア、ニュージーランドに於ける酪農事情を視察
* [[1969年]](昭和44年)逝去 享年87歳


== 家族・親族 ==
== 家族・親族 ==

2008年4月25日 (金) 00:27時点における版

町村 敬貴(まちむら ひろたか、1882年12月 - 1969年8月12日)は、日本政治家実業家。元貴族院議員、元参議院議員。正四位勲二等。

町村金弥は父。政治家町村信孝は甥。町村金五(元北海道知事)は実弟。


経歴

  • 1882年(明治15年)12月20日、北海道札幌郡豊平町真駒内に町村金弥・そとの長男として生まれる。父・金弥は前年の明治14年に札幌農学校(ニ期生)を卒業後真駒内牧牛場の主任として経営に当たっていた。[1]
  • 1903年(明治36年)札幌農学校(現在の北海道大学)農芸伝習科に入学
  • 1906年(明治39年)札幌農学校を卒業後単身渡米、ウィスコンシン州ウエストアリスのラスト牧場にて牧夫として酪農を実習
  • 1910年(明治43年)4月 ウィスコンシン州立農科大学入学
  • 1912年(明治45年)一旦帰国、渡辺志津と結婚、再度渡米
  • 1913年(大正2年)3月 ウィスコンシン州立農科大学を卒業。
  • 1916年(大正5年)帰国
  • 1917年(大正6年)北海道石狩町樽川にて町村農場を創業
  • 1928年(昭和3年)に北海道江別町対雁に移転。[2]
  • その後、乳牛の改良に血統の及ぼす影響の大なることを痛感し、米国のそれをつぶさに調査し、私財をもって数次にわたり米国より基礎種牛を購入し、その改良繁殖につとめた[3]
  • 1945年(昭和20年)貴族院議員に勅撰される
  • 1947年(昭和22年)参議院議員に当選。緑風会に所属し、1期務める
  • 1950年(昭和25年)吉田内閣農政懇談会に学識経験者委員として参加
  • 1962年(昭和37年)日本酪農の確立、ホルスタイン種の導入普及など農業界への功績により藍綬褒章を賜る
  • 1963年(昭和38年)第二回全国農業祭畜産部門天皇杯受賞
  • 1964年(昭和39年)江別市名誉市民
  • 1967年(昭和42年)志津夫人逝去
  • 1968年(昭和43年)オーストラリア、ニュージーランドに於ける酪農事情を視察
  • 1969年(昭和44年)逝去 享年87歳

家族・親族

系譜

                 ┏町村善啓
                 ┃
                 ┣町村泰男━━町村泰貴
                 ┃
                 ┣町村鉄雄
                 ┃
                 ┃     ┏町村貴郎
                 ┣町村俊郎━┫
                 ┃     ┗町村英郎
                 ┣婦美子
                 ┃ ┃
                 ┃岩倉規夫
                 ┃
           ┏町村敬貴━╋光子
           ┃     ┃ ┃
           ┃     ┃ ┣━━━美穂
           ┃     ┃ ┃    ┃
           ┃     ┃原文兵衛 中川雅治
町村織之丞━町村金弥━┫     ┃
           ┃     ┗寿美子
           ┃       ┃
           ┃       ┣━━━┳町村敬志
           ┃       ┃   ┣町村謙
           ┃      町村末吉 ┗町村均
           ┗町村金五
             ┃    亀山孝夫
             ┃     ┃
             ┃   ┏康子  
             ┃   ┃
             ┃   ┣町村忠良
             ┃   ┃
             ┃   ┣町村信孝
             ┃   ┃
             ┃   ┣君代
             ┣━━━┫ ┃
             ┃   ┃山本悟
             ┃   ┃
             ┃   ┣ひろ子  ┏てる子
             ┃   ┃ ┣━━━┫
             ┃   ┃秋山進  ┗まり子
             ┃   ┃       ┃
             ┃   ┃     小早川光郎
             ┃   ┗富士江
           ┏二葉     ┃
           ┃      遠山景敏
      桑田熊蔵━┫
           ┃
           ┗千枝子
             ┃
             ┣━━━━河合良一
             ┃
           河合良成

 

参考文献

  • 『町村金五伝』 北海タイムス社 1982年 447、451-452頁
  • 佐藤朝泰 『豪閥 地方豪族のネットワーク』 2001年 10-21頁

関連項目

脚注

  1. ^ 『町村敬貴伝』35頁
  2. ^ 『町村敬貴伝』300頁
  3. ^ 『町村金五伝』 452頁
  4. ^ 『町村金五伝』 447頁
  5. ^ 『町村金五伝』 424-438頁 - 町村家の過去帳にある最古の戒名は「無門院大道善翁居士」で没年は元和6年(1620年)「町村家の先祖」と記されている。天保7年(1836年)の本多家の給帳によると、180人の内、席次27番目に町村次郎兵衛の名があり、10人扶持の禄を受けていた。その嫡男惣助(後の織之丞)は、席次69番目、10俵で御近習をつとめていた。また、天保年間(1830年代)や安政年間(1850年代)の史料によると、もっぱら御目付をつとめていたとされ、本多家においては、中級の武士として遇されていた

外部リンク