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'''マリオ・ハース'''(Mario Haas、[[1974年]][[9月16日]]-)は、[[オーストリア]]・[[グラーツ]]出身の[[サッカー|サッカー選手]]である。ポジションは[[フォワード (サッカー)|FW]]。1998年W杯など[[サッカーオーストリア代表|オーストリア代表]]に選出されたこともある。 |
'''マリオ・ハース'''(Mario Haas、[[1974年]][[9月16日]]-)は、[[オーストリア]]・[[グラーツ]]出身の[[サッカー|サッカー選手]]である。ポジションは[[フォワード (サッカー)|FW]]。1998年W杯など[[サッカーオーストリア代表|オーストリア代表]]に選出されたこともある。 |
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[[1993年]]、[[SKシュトゥルム・グラーツ|シュトルム・グラーツ]]に入団。その後、同クラブの監督に就任した[[イヴィツァ・オシム]]の指揮の下で、クラブの黄金時代を築くメンバーの一人となった(一時期、[[フランス]]の[[RCストラスブール]]にも所属)。[[2005年]]からは[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]・[[ジェフユナイテッド市原・千葉]]でプレー。 |
[[1993年]]、[[SKシュトゥルム・グラーツ|SKシュトルム・グラーツ]]に入団。その後、同クラブの監督に就任した[[イヴィツァ・オシム]]の指揮の下で、クラブの黄金時代を築くメンバーの一人となった(一時期、[[フランス]]の[[RCストラスブール]]にも所属)。[[2005年]]からは[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]・[[ジェフユナイテッド市原・千葉]]でプレー。 |
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[[2006年]]、ナビスコカップ決勝で負った靭帯負傷(前十時靭帯損傷)の治療の為、11月14日にオーストリアに帰国。そのまま[[ジェフユナイテッド市原・千葉]]より退団した。 |
[[2006年]]、ナビスコカップ決勝で負った靭帯負傷(前十時靭帯損傷)の治療の為、11月14日にオーストリアに帰国。そのまま[[ジェフユナイテッド市原・千葉]]より退団した。 |
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その後、[[2007年]]に古巣のシュトルム・グラーツに復帰。 |
その後、[[2007年]]に古巣のSKシュトルム・グラーツに復帰。 |
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== プレースタイル == |
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==所属チーム== |
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*1993年-1999年 [[SKシュトゥルム・グラーツ|シュトルム・グラーツ]](オーストリア) |
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*1999年-2000年 [[RCストラスブール]](フランス) |
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*2001年-2004年 [[SKシュトゥルム・グラーツ|シュトルム・グラーツ]](オーストリア) |
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*2005年-2006年 [[ジェフユナイテッド市原・千葉]]([[日本]]) |
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*2007年- [[SKシュトゥルム・グラーツ|シュトルム・グラーツ]](オーストリア) |
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==個人成績== |
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== 備考 == |
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*[[SKシュトゥルム・ |
*[[SKシュトゥルム・グラーツ]]時代、ときおり魅せるスーパープレーから「スーパー・マリオ」と命名された。 |
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*「史上最強の助っ人」と称された[[崔龍洙]]が[[京都サンガF.C.|京都パープルサンガ]]、[[ジュビロ磐田]]へと移籍し、さらに[[村井慎二]]が[[ジュビロ磐田]]へ移籍してしまったとき、「ジェフの得点パターンを(磐田に)丸ごと持っていかれてしまった」とサポーターの憤激は絶えなかったが、その移籍後に加入したハースのプレイスタイルの方が千葉のサッカーには適していたと言えなくもない。しかし、贅沢な望みを持つファンは、「崔とハース、さらに[[巻誠一郎|巻]]が揃っていたら」と考えた。 |
*「史上最強の助っ人」と称された[[崔龍洙]]が[[京都サンガF.C.|京都パープルサンガ]]、[[ジュビロ磐田]]へと移籍し、さらに[[村井慎二]]が[[ジュビロ磐田]]へ移籍してしまったとき、「ジェフの得点パターンを(磐田に)丸ごと持っていかれてしまった」とサポーターの憤激は絶えなかったが、その移籍後に加入したハースのプレイスタイルの方が千葉のサッカーには適していたと言えなくもない。しかし、贅沢な望みを持つファンは、「崔とハース、さらに[[巻誠一郎|巻]]が揃っていたら」と考えた。 |
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[[Category:オーストリアのサッカー選手|はあすまりお]] |
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[[Category:SKシュトゥルム・グラーツの選手|はあすまりお]] |
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[[Category:ストラスブールの選手|はあすまりお]] |
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[[Category:ジェフユナイテッド市原・千葉の選手|はあすまりお]] |
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2008年2月6日 (水) 16:14時点における版
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名前 | ||||||
カタカナ | マリオ・ハース | |||||
ラテン文字 | Mario HAAS | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | オーストリア | |||||
生年月日 | 1974年9月16日 | |||||
出身地 | グラーツ | |||||
身長 | 182cm | |||||
体重 | 82kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | SKシュトルム・グラーツ | |||||
ポジション | FW | |||||
背番号 | 18 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
マリオ・ハース(Mario Haas、1974年9月16日-)は、オーストリア・グラーツ出身のサッカー選手である。ポジションはFW。1998年W杯などオーストリア代表に選出されたこともある。
1993年、SKシュトルム・グラーツに入団。その後、同クラブの監督に就任したイヴィツァ・オシムの指揮の下で、クラブの黄金時代を築くメンバーの一人となった(一時期、フランスのRCストラスブールにも所属)。2005年からはJリーグ・ジェフユナイテッド市原・千葉でプレー。 2006年、ナビスコカップ決勝で負った靭帯負傷(前十時靭帯損傷)の治療の為、11月14日にオーストリアに帰国。そのままジェフユナイテッド市原・千葉より退団した。 その後、2007年に古巣のSKシュトルム・グラーツに復帰。
プレースタイル
- かつてジェフ市原(現千葉)に所属した崔龍洙とは対照的なタイプのFWで、最前線でプレーするより下がり目のポジションでボールを受け、中盤でタメをつくることを得意としている。自ら強引にシュートまで持ち込むというより、チームプレーに徹して味方のチャンスを演出することをいとわない。その能力のおかげで、当時は主力ではなかった巻誠一郎がJリーグで2桁ゴールをあげる事が出来たといっても過言ではない。
- 判断力に長け、足も速く、両足どちらからでも強烈なシュートを打つことができる。簡単なシュートを外してしまうことがあるのでゴール量産とはならないが、難易度の高い、華麗なゴールで見る者を魅了する。
- 試合中、ここぞというときに淡白なプレーをすることが少なくない。また、審判の判定に執拗に異議を唱えたり、相手選手へのラフプレーもやや目立つ。
所属チーム
- 1993年-1999年 SKシュトルム・グラーツ(オーストリア)
- 1999年-2000年 RCストラスブール(フランス)
- 2001年-2004年 SKシュトルム・グラーツ(オーストリア)
- 2005年-2006年 ジェフユナイテッド市原・千葉(日本)
- 2007年- SKシュトルム・グラーツ(オーストリア)
個人成績
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国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
オーストリア | リーグ戦 | リーグ杯 | オーストリア杯 | 期間通算 | |||||||
1993年-1994年 | グラーツ | 28 | 5 | ||||||||
1994年-1995年 | グラーツ | 34 | 13 | ||||||||
1995年-1996年 | グラーツ | 35 | 12 | ||||||||
1996年-1997年 | グラーツ | 14 | 1 | ||||||||
1997年-1998年 | グラーツ | 36 | 17 | ||||||||
1998年-1999年 | グラーツ | 32 | 17 | ||||||||
フランス | リーグ戦 | F・リーグ杯 | フランス杯 | 期間通算 | |||||||
1999年-2000年 | ストラスブール | ディヴィジョン・アン | 16 | 1 | |||||||
2000年-2001年 | ストラスブール | ディヴィジョン・アン | 11 | 2 | |||||||
オーストリア | リーグ戦 | リーグ杯 | オーストリア杯 | 期間通算 | |||||||
2000年-2001年 | グラーツ | 14 | 4 | ||||||||
2001年-2002年 | グラーツ | 30 | 12 | ||||||||
2002年-2003年 | グラーツ | 20 | 6 | ||||||||
2003年-2004年 | グラーツ | 34 | 10 | ||||||||
2004年-2005年 | グラーツ | 16 | 7 | ||||||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2005年 | 千葉 | 10 | J1 | 25 | 6 | 2 | 0 | 2 | 1 | 29 | 7 |
2006年 | 千葉 | 10 | J1 | 23 | 5 | 8 | 5 | 0 | 0 | 31 | 10 |
オーストリア | リーグ戦 | リーグ杯 | オーストリア杯 | 期間通算 | |||||||
2006年-2007年 | グラーツ | 15 | 4 | ||||||||
2007年-2008年 | グラーツ | ||||||||||
通算 | オーストリア | ||||||||||
フランス | ディヴィジョン・アン | 27 | 3 | ||||||||
日本 | J1 | 48 | 11 | 10 | 5 | 2 | 1 | 60 | 17 | ||
総通算 |