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== 略歴 ==
== 略歴 ==
[[1967年]]、[[東京都]][[蒲田]]に長男として生まれる。両親は当時肉屋を営んでいた。約一年後、[[千葉県]][[柏市]]逆井に引っ越し、父親はタイル職人に転職する。木城は幼い頃から絵を書くことが好きで、小学生の頃には大学ノート15冊に自作の漫画を描いている。[[1982年]]、[[茨城県]]へ引越し、[[茨城県立筑波高等学校|筑波高校]]へ入学、美術部に在籍した。この頃から、漫画家になることを目指し始め、高校在学中に1000頁の原稿を書き上げることと、新人賞に入賞することを目標に漫画を描き始める。高校3年在学時の[[1984年]]、SF漫画『気怪』を小学館新人賞に投稿し、入選する。同作品は漫画雑誌「[[少年サンデー]]」に掲載され、デビュー作となる。
[[1967年]]、[[東京都]][[蒲田]]に長男として生まれる。両親は当時肉屋を営んでいた。約一年後、[[千葉県]][[柏市]]逆井に引っ越し、父親はタイル職人に転職する。木城は幼い頃から絵を書くことが好きで、小学生の頃には大学ノート15冊に自作の漫画を描いている。[[1982年]]、[[茨城県]]へ引越し、[[茨城県立筑波高等学校|筑波高校]]へ入学、美術部に在籍した。この頃から、漫画家になることを目指し始め、高校在学中に1000頁の原稿を書き上げることと、新人賞に入賞することを目標に漫画を描き始める。高校3年在学時の[[1984年]]、SF漫画『気怪』を[[小学館]]新人賞に[[投稿]]し、入選する。同作品は[[漫画雑誌]]「[[少年サンデー]]」に掲載され、デビュー作となる。


高校卒業後の[[1985年]]、新聞奨学生として東京デザイナーズ学院の商業デザイン科に入学するも、学校へは余り行かなくなる。その後、[[同人誌]]活動を一時期行っている。[[1988年]]からは、商業誌に活動の場を移し、読み切り作品を数本描いている。
高校卒業後の[[1985年]]、[[新聞奨学生]]として[[東京デザイナーズ学院]]の商業デザイン科に入学するも、学校へは余り行かなくなる。その後、[[同人誌]]活動を一時期行っている。[[1988年]]からは、商業誌に活動の場を移し、読み切り作品を数本描いている。


この頃の活動を通じて、後に集英社で木城の担当編集になる人物と木城は出会っている。この担当とのやり取りで、[[1990年]]の前半には『銃夢』の原型となる作品のネームが出来ている。その後、『銃夢』の連載が決定し、1990年12月発売の隔週漫画雑誌「ビジネスジャンプ」にて自身初の連載作として連載を開始した。
この頃の活動を通じて、後に集英社で木城の担当編集になる人物と木城は出会っている。この担当とのやり取りで、[[1990年]]の前半には『銃夢』の原型となる作品のネームが出来ている。その後、『銃夢』の連載が決定し、[[1990年]][[12月]]発売の隔週漫画雑誌「[[ビジネスジャンプ]]」にて自身初の連載作として連載を開始した。


漫画以外では、[[広井王子]]のファンタジー小説『[[蜃気楼帝国]]』の挿絵を担当している。
漫画以外では、[[広井王子]]のファンタジー小説『[[蜃気楼帝国]]』の挿絵を担当している。


== 作品 ==
== 作品 ==
* 飛人(ひと) - 初期の読みり作品集。
* 飛人(ひと) - 初期の読みり作品集。[[月刊コミックコンプ]]([[角川書店]])[[1989年]]3月号に表題の読みきりが掲載
* [[銃夢]](1990年 - 1994年、[[ビジネスジャンプ]]、[[集英社]])
* [[銃夢]](1990年 - 1994年、[[ビジネスジャンプ]]、[[集英社]])
* 灰者(1995年 - 1996年、[[ウルトラジャンプ]]、[[集英社]])
* 灰者(1995年 - 1996年、[[ウルトラジャンプ]]、[[集英社]])

2007年11月25日 (日) 02:20時点における版

木城 ゆきときしろ ゆきと1967年3月20日 - )は、日本の漫画家。血液型O型。

代表作はSF漫画『銃夢』(ガンム)。繊細なタッチと大胆なアクション描写で人気を得る。濃密な設定のSF要素は海外にも輸出され、高く評価されている。弟は専属漫画アシスタントの木城ツトム。

略歴

1967年東京都蒲田に長男として生まれる。両親は当時肉屋を営んでいた。約一年後、千葉県柏市逆井に引っ越し、父親はタイル職人に転職する。木城は幼い頃から絵を書くことが好きで、小学生の頃には大学ノート15冊に自作の漫画を描いている。1982年茨城県へ引越し、筑波高校へ入学、美術部に在籍した。この頃から、漫画家になることを目指し始め、高校在学中に1000頁の原稿を書き上げることと、新人賞に入賞することを目標に漫画を描き始める。高校3年在学時の1984年、SF漫画『気怪』を小学館新人賞に投稿し、入選する。同作品は漫画雑誌少年サンデー」に掲載され、デビュー作となる。

高校卒業後の1985年新聞奨学生として東京デザイナーズ学院の商業デザイン科に入学するも、学校へは余り行かなくなる。その後、同人誌活動を一時期行っている。1988年からは、商業誌に活動の場を移し、読み切り作品を数本描いている。

この頃の活動を通じて、後に集英社で木城の担当編集になる人物と木城は出会っている。この担当とのやり取りで、1990年の前半には『銃夢』の原型となる作品のネームが出来ている。その後、『銃夢』の連載が決定し、1990年12月発売の隔週漫画雑誌「ビジネスジャンプ」にて自身初の連載作として連載を開始した。

漫画以外では、広井王子のファンタジー小説『蜃気楼帝国』の挿絵を担当している。

作品

参考資料

関連項目

外部リンク