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'''清水 ハルマン'''('''しみず はるまん'''、[[1950年]][[9月19日]] - )は、[[長崎県]]出身の[[日本]]の[[洋画家]]。 |
'''清水 ハルマン'''('''しみず はるまん'''、[[1950年]][[9月19日]] - )は、[[長崎県]]出身の[[日本]]の[[洋画家]]。[[宇宙]]の[[イメージ]]や[[曼荼羅]]を[[モチーフ]]とした、「パラダイス界」と銘打たれた独特の世界を押し出した一連の作品で人気がある。 |
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==来歴・人物== |
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*[[1980年]]代初頭、現・[[水彩連盟]]理事長であり[[日展]]評議員・[[光風会]]理事である[[田中 実]]に師事。師の田中をして「教える事は何もない」と言わしめた[[写実]]の[[技法]]にも長けた画家である。 |
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*[[1983年]]ケニア[[画廊]][[新人]][[作家]][[登竜門]]にてプロの[[画家]]に。 |
*[[1983年]]ケニア[[画廊]][[新人]][[作家]][[登竜門]]にてプロの[[画家]]に。 |
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**以後、国際現代美術家協会代表理事審査委員(ⅰ.m.a)、JIAS日本国際美術家協会会員、サロン・デュ・ブラン美術協会委員を経る。 |
**以後、国際現代美術家協会代表理事審査委員(ⅰ.m.a)、JIAS日本国際美術家協会会員、サロン・デュ・ブラン美術協会委員を経る。 |
2007年6月22日 (金) 14:58時点における版
清水 ハルマン(しみず はるまん、1950年9月19日 - )は、長崎県出身の日本の洋画家。宇宙のイメージや曼荼羅をモチーフとした、「パラダイス界」と銘打たれた独特の世界を押し出した一連の作品で人気がある。
来歴・人物
- 1980年代初頭、現・水彩連盟理事長であり日展評議員・光風会理事である田中 実に師事。師の田中をして「教える事は何もない」と言わしめた写実の技法にも長けた画家である。
- 1983年ケニア画廊新人作家登竜門にてプロの画家に。
- 以後、国際現代美術家協会代表理事審査委員(ⅰ.m.a)、JIAS日本国際美術家協会会員、サロン・デュ・ブラン美術協会委員を経る。
- 現在は
など多数のタイトルを保有している。
- 父はアイルランド系ドイツ人、母は日本人のハーフ。(父とは3歳の時に死別)生まれは長崎県だが、育ちは熊本県である。
- 日本人離れした風貌の為、良くフランス人、ロシア人に間違えられるという。1996年から3年間レギュラーゲストを務めた関西テレビ製作のバラエティ「痛快!知らぬは男ばかりなり」では「ドイツ語は全く分からないけれど、熊本弁はばんばん出る」という、外見とは違った親しみ易い素顔を時折披露していた。
- 「美術年鑑」(美術年鑑社)「日本紳士録」(交詢社)の自己紹介欄の趣味の項目に、「TVゲーム」と書く程のゲーム好き。「RPG、アドベンチャーゲームをじっくり謎解きしながらやり込んでいくのが凄く楽しい」と、前述の番組内(「痛快!知らぬは男ばかりなり」)やテレビ朝日系列「徹子の部屋」にて公言している。