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'''ウィリー・ディクスン'''('''Willie Dixon'''、[[1915年]] - [[1992年]])は、[[アメリカ合衆国]][[ミシシッピー州]]生まれの作詞・作曲家。[[ブルース]]界を影で支えてきた男。 |
'''ウィリー・ディクスン'''('''Willie Dixon'''、本名:William James Dixon、[[1915年]][[7月1日]] - [[1992年]][[1月29日]])は、[[アメリカ合衆国]][[ミシシッピー州]]生まれの作詞・作曲家。[[ブルース]]界を影で支えてきた男。 |
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== 略歴 == |
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*1940年代後半、ザ・ビッグ・スリー・トリオの[[ベーシスト]]として活動。 |
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*1951年にザ・ビッグ・スリー・トリオが解散した後、[[チェス・レコード]]のスタジオ・ワークに関わる。 |
*1951年にザ・ビッグ・スリー・トリオが解散した後、[[チェス・レコード]]のスタジオ・ワークに関わる。 |
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*1954年、ウィリーが作詞・作曲した「フーチー・クーチー・マン」が、[[マディ・ウォーターズ]]の歌で大ヒット。以後、[[ソングライター]]/[[プロデューサー]]として手腕を振るう。 |
*1954年、ウィリーが作詞・作曲した「フーチー・クーチー・マン」が、[[マディ・ウォーターズ]]の歌で大ヒット。以後、[[ソングライター]]/[[プロデューサー]]として手腕を振るう。 |
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*自分で歌うことは少ないが、[[ブルース・ロック]]の流行を受けて、珍しく自己名義のアルバム『アイ・アム・ザ・ブルース』を発表。 |
*自分で歌うことは少ないが、[[ブルース・ロック]]の流行を受けて、珍しく自己名義のアルバム『アイ・アム・ザ・ブルース』を発表。 |
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*[[ジョニー・ウィンター]]のメジャー・デビュー作『ジョニー・ウィンター』にも、ベーシストとしてゲスト参加した。 |
*[[ジョニー・ウィンター]]のメジャー・デビュー作『ジョニー・ウィンター』にも、ベーシストとしてゲスト参加した。 |
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== 主な提供楽曲 == |
== 主な提供楽曲 == |
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彼の曲は、多くのブルースマンに取り上げられ、その遺伝子は[[ロック (音楽)|ロック]]にも引き継がれた。 |
彼の曲は、多くのブルースマンに取り上げられ、その遺伝子は[[ロック (音楽)|ロック]]にも引き継がれた。 |
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*マディ・ウォーターズ:「フーチー・クーチー・マン」、「アイ・ジャスト・ウォント・トゥ・メイク・ラヴ・トゥ・ユー」、「アイム・レディ」、「ユー・ニード・ラヴ」 |
*マディ・ウォーターズ:「フーチー・クーチー・マン」、「アイ・ジャスト・ウォント・トゥ・メイク・ラヴ・トゥ・ユー」、「アイム・レディ」、「ユー・ニード・ラヴ」 |
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*[[ハウリン・ウルフ]]:「ザ・レッド・ルースター」、「スプーンフル」、「ビルト・フォー・コンフォート」、「アイ・エイント・スーパースティシャス」 |
*[[ハウリン・ウルフ]]:「ザ・レッド・ルースター」、「スプーンフル」、「ビルト・フォー・コンフォート」、「アイ・エイント・スーパースティシャス」 |
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*[[サニー・ボーイ・ウィリアムスン]]:「ブリング・イット・オン・ホーム」 |
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*[[オーティス・ラッシュ]]:「アイ・キャント・クイット・ユー、ベイビー」 |
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2007年3月22日 (木) 04:01時点における版
ウィリー・ディクスン(Willie Dixon、本名:William James Dixon、1915年7月1日 - 1992年1月29日)は、アメリカ合衆国ミシシッピー州生まれの作詞・作曲家。ブルース界を影で支えてきた男。
略歴
- 1940年代後半、ザ・ビッグ・スリー・トリオのベーシストとして活動。
- 1951年にザ・ビッグ・スリー・トリオが解散した後、チェス・レコードのスタジオ・ワークに関わる。
- 1954年、ウィリーが作詞・作曲した「フーチー・クーチー・マン」が、マディ・ウォーターズの歌で大ヒット。以後、ソングライター/プロデューサーとして手腕を振るう。
- 自分で歌うことは少ないが、ブルース・ロックの流行を受けて、珍しく自己名義のアルバム『アイ・アム・ザ・ブルース』を発表。
- ジョニー・ウィンターのメジャー・デビュー作『ジョニー・ウィンター』にも、ベーシストとしてゲスト参加した。
主な提供楽曲
彼の曲は、多くのブルースマンに取り上げられ、その遺伝子はロックにも引き継がれた。
- マディ・ウォーターズ:「フーチー・クーチー・マン」、「アイ・ジャスト・ウォント・トゥ・メイク・ラヴ・トゥ・ユー」、「アイム・レディ」、「ユー・ニード・ラヴ」
- ハウリン・ウルフ:「ザ・レッド・ルースター」、「スプーンフル」、「ビルト・フォー・コンフォート」、「アイ・エイント・スーパースティシャス」
- サニー・ボーイ・ウィリアムスン:「ブリング・イット・オン・ホーム」
- オーティス・ラッシュ:「アイ・キャント・クイット・ユー、ベイビー」
- ボ・ディドリー:「プリティ・シング」
- バディ・ガイ:「ブロークン・ハーテッド・ブルース」、「クレイジー・ラヴ」