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'''吉原 忠男'''(よしわら ただお、[[1935年]][[7月8日]]-)は日本の[[医師]]([[外科学]])、[[推理作家]]。[[博士 (医学)|医学博士]]。埼玉県医師会長。 |
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[[岩手県]][[三戸町]]出身。[[1960年]][[東京慈恵会医科大学]][[医学部]]卒業。[[1962年]][[医師国家試験]]合格(医籍174945号)。[[1968年]][[埼玉県]][[浦和市]](現・[[さいたま市]])に吉原医院開設。[[1970年]]医学博士(東京慈恵会医科大学)。埼玉県医師会常任理事を経て[[2004年]]4月から埼玉県医師会長。[[2006年]][[医療功労賞]]([[読売新聞社]]主催)受賞。現役開業医として地域の保険・医療活動に力を入れながら、その合間を縫って、'''海庭良和'''(かいば よしかず)のペンネームにて豊富な医学知識を用いた社会派ミステリーを中心とした執筆活動を続けている。[[日本ペンクラブ]]会員。 [[1975年]]「走る人たち」にて「[[文學界新人賞]]」候補となり、[[1981年]]「ハーレムのサムライ」にて「[[オール讀物新人賞]]」受賞、また同年「ジーザスの夏祭り」にて「[[野性時代新人賞]]」候補となった。 |
[[岩手県]][[三戸町]]出身。[[1960年]][[東京慈恵会医科大学]][[医学部]]卒業。[[1962年]][[医師国家試験]]合格(医籍174945号)。同大学第一外科学教室助手を経て[[1968年]][[埼玉県]][[浦和市]](現・[[さいたま市]])に吉原医院開設。[[1970年]]医学博士(東京慈恵会医科大学)。埼玉県医師会常任理事を経て[[2004年]]4月から埼玉県医師会長。[[2006年]][[医療功労賞]]([[読売新聞社]]主催)受賞。現役開業医として地域の保険・医療活動に力を入れながら、その合間を縫って、'''海庭良和'''(かいば よしかず)のペンネームにて豊富な医学知識を用いた社会派ミステリーを中心とした執筆活動を続けている。[[日本ペンクラブ]]会員。 [[1975年]]「走る人たち」にて「[[文學界新人賞]]」候補となり、[[1981年]]「ハーレムのサムライ」にて「[[オール讀物新人賞]]」受賞、また同年「ジーザスの夏祭り」にて「[[野性時代新人賞]]」候補となった。 |
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== 主な作品 == |
== 主な作品 == |
2007年1月31日 (水) 10:03時点における版
吉原 忠男(よしわら ただお、1935年7月8日-)は日本の医師(外科学)、推理作家。医学博士。埼玉県医師会長。
岩手県三戸町出身。1960年東京慈恵会医科大学医学部卒業。1962年医師国家試験合格(医籍174945号)。同大学第一外科学教室助手を経て1968年埼玉県浦和市(現・さいたま市)に吉原医院開設。1970年医学博士(東京慈恵会医科大学)。埼玉県医師会常任理事を経て2004年4月から埼玉県医師会長。2006年医療功労賞(読売新聞社主催)受賞。現役開業医として地域の保険・医療活動に力を入れながら、その合間を縫って、海庭良和(かいば よしかず)のペンネームにて豊富な医学知識を用いた社会派ミステリーを中心とした執筆活動を続けている。日本ペンクラブ会員。 1975年「走る人たち」にて「文學界新人賞」候補となり、1981年「ハーレムのサムライ」にて「オール讀物新人賞」受賞、また同年「ジーザスの夏祭り」にて「野性時代新人賞」候補となった。
主な作品
- B型肝炎殺人事件(徳間書店、1989年)
- 巨構の殺意(現代書林、1989年)
- 「おくのほそ道」殺人紀行(徳間書店、1991年)
- ノルウェーの石蟹(森林書房、1991年)
- 禽獣の殺意(徳間書店、1992年)
- トンガル殺人紀行(郁朋社、2002年)
- ニューヨーク小景(郁朋社、2004年)
- 冬の鎖 秩父夜祭殺人事件(埼玉新聞社、2006年)