湯谷神社 (米原市)
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湯谷神社 | |
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所在地 | 滋賀県米原市米原771 |
位置 | 北緯35度18分46秒 東経136度17分43秒 / 北緯35.31278度 東経136.29528度座標: 北緯35度18分46秒 東経136度17分43秒 / 北緯35.31278度 東経136.29528度 |
主祭神 | 大己貴命 |
社格等 | 村社 |
創建 | 創祀年代不詳 |
例祭 | 5月10日 |
ご祭神
[編集]ご神紋
[編集]- 左三ッ巴
- 六ッ槌[1]
歴史
[編集]- 創祀年代は不詳である。古来六所権現と称したが、明治以後地名に因み、湯谷神社と改称した。上古出雲国人が諸国を巡ってこの地に至り、里人に池を掘らせると、霊泉が湧き出、又荒地を開墾したところ、五穀がよく成育したので、出雲の祖神大己貴命を小谷の岩上に奉斎した。温泉は万病に効くと伝えられ、崇敬者が多く、後に水門神、保食神を合祀したと伝えられている。輿地志略に「湯谷は昔此の地に温泉あり諸病を治す。或日葦毛の子を此の湯坪に洗いしより此の湯かるゝ」とある。後白河上皇の御代、日吉の社領となって、当社を山王権現社とも称せられた。今井備中守秀遠は、箕浦庄の地頭職として、当地を治めた故、当社を守護神と崇め、その一族米原氏も社殿を修理し、社領を献じた。文明3年米原山太尾城に激戦があり、当社は焼失したが、天文13年今井氏は、米原氏をして再興せしめ、大山咋命を勧請した。文禄4年岩脇氏は、社殿を修復し神門を寄進した。享保17年彦根藩主井伊直惟は社殿を再興し、手水鉢、木造狛犬を献じ、明治22年には、三条実美が社号額を寄せている。又境内には明治11年明治天皇北陸巡幸の際小休止された北村邸の行在所がある。大正7年村社に列し、同年神饌幣帛料供進指定となる。[1]
祭事
[編集]- 例祭 10月第2日曜 - 曳山子ども狂言
境内社
[編集]- 前光稲荷神社
- 六所神社
- 牛頭天王社
- 金比羅神社
- 春川稲荷神社[1]
アクセス
[編集]脚注
[編集]この節の加筆が望まれています。 |