浄妙寺 (宇治市)
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浄妙寺 | |
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浄妙寺跡碑(宇治市立木幡小学校正門前) | |
所在地 | 京都府宇治市 |
創建年 | 1007年 |
開基 | 藤原道長 |
浄妙寺(じょうみょうじ)は、現在の京都府宇治市木幡にあった寺院。木幡寺とも呼ばれた[1]。1007年(寛弘4年)に藤原道長によって建立され[2]、藤原北家の重要人物を弔う菩提寺だったが、1462年(寛正3年)の土一揆で焦土となり廃絶したとみられる[3]。
開基
[編集]藤原道長は、1005年(寛弘2年)に木幡三昧堂を、その後も多くの建物を建て、1007年に浄妙寺を完成させた[2]。1005年10月の供養会には、道長や中関白家の藤原伊周、藤原隆家など多くの人が参加した[4]。
経過
[編集]発掘
[編集]1966年(昭和41年)に宇治市立木幡小学校建設が予定されることになり、1967年(昭和42年)1月26日から2週間の予定で学校予定地の試掘調査が行われた。終了予定の2日前に礎石1点が発掘されたことをきっかけに、三昧堂跡が発見された。その結果、小学校校舎は寺跡の南端よりさらに南に建設し、寺跡は校庭とし、遺跡全体は校庭地下に保存することとなった。 この後、浄妙寺は2度の再発掘が行われ、1回目は1990年(平成2年)、2回目は2003年(平成15年)度から4か年計画で、いずれも夏休み期間中のみに実施された[5]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 岡本望『やさしい宇治の歴史』2006年
- 杉本宏・荒川史・浜中邦弘・吹田直子『発掘ものがたり宇治』1996年
- 林屋辰三郎・藤岡謙二郎編集『宇治市史1 古代の歴史と景観』1973年