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池坊専好

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三十二世(二世)池坊専好の立花、六角堂、京都市中京区

池坊 専好(いけのぼう せんこう)は、華道の流派池坊家元およびその継承予定者が名乗る名跡安土桃山時代から現代にかけて4人がこの名を名乗った。

池坊専好(初代)(天文5年(1536年)? - 元和7年6月24日1621年8月11日
華道家元三十一世。池坊専応・専栄によって基本が形成された立花を、より立花感のある構成に発展させた。文禄3年(1594年)、豊臣秀吉の訪問を迎えた前田利家邸において、幅四間(約7m)の床の間に巨大な砂之物(立花の一形態)を立てたといわれる。慶長4年(1599年)に京都の大雲院で催された百瓶華会(ひゃくへいかかい)には弟子100人が作品を飾り、多くの観衆を集めた。生年は1541年(天文10年)ともされる。
池坊専好(二代)(天正3年(1575年)? - 万治元年11月7日1658年12月1日
華道家元三十二世。元の名前は専朝。後水尾天皇に召し出されて宮中立花会に参加し、他の参加者の指導もおこなった。立花の大成者で[1]、優雅で気品のある作風を特徴とする。作品図は華道家元池坊総務所曼殊院陽明文庫などに残されている。生年は1570年元亀元年)、没年は1659年(万治2年)ともされている。
池坊専好(三代)(延宝8年(1680年) - 享保19年5月12日1734年6月13日
華道家元三十五世。先代の専養の例にならい、自らの六角堂住職就任時と幕府の将軍交替時に江戸城へ挨拶に赴き、京都では知恩院における徳川家康百回忌で立花(りっか)を献じるなど、幕府との関係強化に努めた。宝永5年(1708年)の大火で焼失した六角堂を、正徳3年(1713年)、六角形の本堂と長方形の拝堂の組み合わせという、現在とほぼ同じ形式で再建した。
池坊専好(四代)昭和40年(1965年9月20日 - )
華道家元池坊の次期家元。女性。2015年に専好襲名。紫雲山頂法寺(六角堂)の副住職も務める。「いのちをいかす」という池坊いけばなの精神に基づく多彩な活動を展開。また、アイスランド共和国名誉領事として両国の友好親善の促進に尽くす。平成24年(2013年)にはハーバード大学においてワークショップを、またニューヨーク国連本部において世界平和を祈念し献花を行った。

関連項目

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脚注

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  1. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 88頁。

外部リンク

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