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歌志内駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
歌志内駅
歌志内駅に停車中のキハ40 184(1986年)
うたしない
Utashinai
歌神 (1.1 km)
地図
所在地 北海道歌志内市字本町1027番地
北緯43度31分18.9秒 東経142度2分25.3秒 / 北緯43.521917度 東経142.040361度 / 43.521917; 142.040361座標: 北緯43度31分18.9秒 東経142度2分25.3秒 / 北緯43.521917度 東経142.040361度 / 43.521917; 142.040361
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
日本貨物鉄道(JR貨物)
所属路線 歌志内線
キロ程 14.5 km(砂川起点)
電報略号 ウタ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1891年明治24年)7月5日[1]
廃止年月日 1988年昭和63年)4月25日[1]
備考 歌志内線廃線に伴い廃駅
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1976年の歌志内駅と周囲約1キロメートル範囲。写真中央より左側に当駅、左が砂川駅方面。当駅より右下へ空知炭鉱の下ノ沢選炭場へ向かう専用線。右上へは道路に沿って住友上歌志内砿への専用線が伸びていたが[2][3]、こちらは既に撤去されている。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

歌志内駅(うたしないえき)は、北海道歌志内市字本町にかつて設置されていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)・日本貨物鉄道(JR貨物)歌志内線廃駅)。

歌志内線の終点であった。事務管理コードは▲131603[4]

歴史

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年表

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  • 1891年明治24年)
  • 1899年(明治32年)下期:転車台設置[7]
  • 1906年(明治39年)6月1日:北海道炭礦鉄道の鉄道路線国有化により、官設鉄道に移管。
  • 1909年(明治42年)10月12日線路名称制定、歌志内線の駅となる。
  • 1914年大正3年):坂市太郎(後に坂炭礦(株)設立、1925年(大正14年)に住友と合併)上歌志内砿開坑[5]。サックシ選炭場までの上歌志内砿専用線(約2km)運用開始[5][6]
  • 不明 - 開北炭礦(後の北炭神威砿開北坑)の選炭工場積込みホッパーへ本線から分岐する専用線を敷設[5][注 1]
  • 1934年昭和9年)12月3日:駅舎改築[5]
  • 1947年(昭和22年)3月:北炭神威砿開北坑閉坑[5]
  • 1953年(昭和28年)1月1日:住友石炭鉱業上歌志内砿が、合理化のため坑内で繋がった住友赤平砿へ統合[5]。上歌志内の設備を廃止し、赤平側の設備へ一本化[5]。上歌志内砿専用線も廃止となる。
  • 1963年(昭和38年):北海道炭礦汽船が空知砿を分離し、空知炭礦(株)設立[5]
  • 1984年(昭和59年)2月1日荷物の取り扱いを廃止[1]
  • 1987年(昭和62年)4月1日国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道・日本貨物鉄道が継承[1]
  • 1988年(昭和63年)
    • 4月10日:石炭出荷の最終日。
    • 4月25日:歌志内線の全線廃止に伴い、廃駅となる[1]

駅名の由来

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鉄道敷設時までこの地には正式な地名がなく、ライマンの空知炭田調査以来「オタシナイ炭山」と呼ばれていた。鉄道開業時になって当駅に「オタシナイ」に当て字した「歌志内」、起点側に「オタシナイ」を意訳した「砂川」と命名されて、その後それぞれ駅名が地域名、自治体名となった[8][9]

駅構造

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単式ホーム1面1線を有していた地上駅。ホームに接して駅舎があった。数本の側線が敷設されており、空知炭礦株式会社の空知炭鉱へ続く専用線も存在した。

駅跡地周辺

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駅の跡地には、郵便局や「郷土館ゆめつむぎ」が建設されている。また、歌志内線の線路跡はサイクリングロードとして整備されており、当駅跡から焼山駅跡までを結んでいる。

近隣にはバス停「歌志内市街」があり、北海道中央バス滝川営業所)の「歌志内線」が発着する。

  • かつては、JR歌志内線のルートに沿った経路の廃止代替路線「焼山線」(上歌新栄町 - 歌志内市街 - 焼山 - 砂川市立病院)も発着していたが、2019年(平成31年)4月1日に廃止された。

2021年から2022年にかけて旧歌志内線のうち歌志内市にあった5駅に駅名標レプリカを駅跡地に設置する事業が行われ、当駅にも設置されている[10](歌志内駅には2022年に設置[11])。

隣の駅

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北海道旅客鉄道(JR北海道)
歌志内線
歌神駅 - 歌志内駅

脚注

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注釈

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  1. ^ 積込ホッパーは神威駅から北に10町(約1.1km)の後の歌神駅の南側、本線横の砂川駅に向かって右手にあった。専用線の分岐位置は昭和3年度線路一覧略図によれば起点約13.1km。大正12年版全国専用線一覧で1哩以下、昭和5年版全国専用線一覧にて作業距離最大1.3km(「開化炭礦線」と書かれているが「開北炭礦線」の誤り)。当坑は明治41年開坑の臼威炭礦が始まりで、本格的操業は大二神威炭礦を名乗った大正2年以降。その後大正7年から開北炭礦を名乗り、経営者も南昌洋行、金沢鉱業などを経て昭和18年より北炭空知鉱業所と変遷した。

出典

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  1. ^ a b c d e f 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、843-844頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 1948年撮影航空写真(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス)
  3. ^ 1948年測量5万分の1地形図「歌志内」
  4. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、222頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362022年12月10日閲覧 
  5. ^ a b c d e f g h i j 新歌志内市史 1994年3月発行。
  6. ^ a b 延長距離は札幌鉄道局発行昭和3年度線路一覧略図。
  7. ^ 『北海道鉄道百年史 上巻』1976年3月 日本国有鉄道北海道総局 編集・発行。
  8. ^ 歌志内市史 P126-131。
  9. ^ 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 別巻〉、2018年11月30日、47頁。ISBN 978-4-88323-114-0 
  10. ^ 歌志内線の駅名標 5駅跡地に再現 市「来訪のきっかけに」”. 北海道新聞 (2022年8月19日). 2022年8月19日閲覧。
  11. ^ 令和4年度 市政執行方針”. 歌志内市. 2022年8月19日閲覧。

関連項目

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