森川重政
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長13年(1608年) |
死没 | 寛文3年1月23日(1663年3月2日) |
改名 | 半弥(幼名)、重政 |
墓所 | 千葉県千葉市中央区の重俊院 |
官位 | 従五位下、伊賀守 |
幕府 | 江戸幕府 大坂加番 |
藩 | 下総生実藩主 |
氏族 | 森川氏 |
父母 |
父:森川重俊 母:大久保忠隣の養女(設楽貞清の娘) |
兄弟 |
重政、重名、重頼、妹(溝口宣直室)、 妹(坂部広利室)、妹(服部正勝室) |
妻 |
正室:板倉重宗の娘 側室:小泉氏 |
子 | 重般、重信、重高(三男)、娘(山口重直室) |
森川 重政(もりかわ しげまさ)は、下総生実藩の第2代藩主。
生涯
[編集]慶長13年(1608年)、初代藩主・森川重俊の長男として生まれる。寛永9年(1632年)に父が徳川秀忠に従って殉死したため、家督を継いだ。
寛永11年(1634年)、3代将軍・徳川家光の上洛に従った。寛永18年(1641年)6月から寛永19年(1642年)8月、正保4年(1647年)に大坂加番に任じられ、明暦3年(1657年)12月27日に従五位下・伊賀守に叙位・任官する。寛文元年(1661年)に大坂城修築で功績を挙げた。
寛文3年(1663年)1月23日に死去した。享年56。跡を次男の重信が継いだ。
墓所は千葉市の重俊院にある(森川家累代の墓碑、市指定文化財)[1]。
系譜
[編集]父母
正室
- 板倉重宗の娘
側室
- 小泉氏
子女
出典
[編集]- ^ “森川家累代の墓碑(市指定文化財)”. 千葉市. 2020年3月30日閲覧。