森下聖二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
森下 聖二
名前
カタカナ モリシタ セイジ
ラテン文字 MORISHITA Seiji
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1964-11-05) 1964年11月5日(59歳)
出身地 広島県豊田郡大崎上島町
ユース
広島県立大崎高等学校
国士舘大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
????-???? 広島フジタSC
監督歴
1988-1996
1997-1998
1998
1999-????
1999-2011
2012-2013
フジタSSSコーチ
フジタSCマーキュリーコーチ
フジタSCマーキュリー監督
大原スポーツ公務員専門学校監督
大原学園JaSRA総監督
アンジュヴィオレ広島監督
1. 国内リーグ戦に限る。2013年12月31日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

森下 聖二(もりした せいじ[1]1964年11月5日[1] - )は、日本の元サッカー選手、指導者。広島県豊田郡大崎上島町出身[1]

アンジュヴィオレ広島監督。

来歴[編集]

県立大崎高校(現広島県立大崎海星高等学校)、国士舘大学卒業[1]。大学時代はサッカー部に所属した[2]

大学を卒業後、フジタに入社し、広島フジタSCに所属する[2]小滝勇一監督のもと沖野等らとプレーした。

一方で1988年からフジタサッカースクール広島校(フジタSSS)の指導者としても活躍、ジュニアユース監督[3]など各年代指導者を歴任した[1]

1997年、日本女子サッカーリーグ(当時L・リーグ)所属のフジタSCマーキュリーに転身し、結城治男監督[4]のもとコーチとして活躍した[1]。1998年途中から監督に昇格したが、チームは同年度を持ってリーグ撤退している[1]

1999年、学校法人大原学園が運営する大原スポーツ公務員専門学校講師に就任し同校サッカー部監督に就任した[5]。一方で同校内での女子サッカーチーム立ち上げに参加し、2000年に大原学園JaSRA女子サッカークラブ(現AC長野パルセイロ・レディース)が創部し同チーム総監督に就任した[1]。地域リーグからはじめ、3年後の2003年にはLリーグ昇格に貢献している[1]

2011年末~2013年12月、地元広島で立ち上がった女子サッカーチームのアンジュヴィオレ広島監督を務めた[1][6]

JFA公認A級コーチ、47FAインストラクター、キッズインストラクターの各サッカー指導者ライセンス保持者[7]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j 中国新聞2011年11月30日付。
  2. ^ a b アンジュヴィオレ広島セレクション実施”. フレンドリースポーツ (2011年11月15日). 2011年11月30日閲覧。
  3. ^ サッカー中国地区代表に”. 西広島タイムス (1997年1月10日). 2011年11月30日閲覧。
  4. ^ 2008年トップチーム選手名鑑”. 大宮アルディージャ公式. 2011年11月30日閲覧。
  5. ^ 齋藤誠一さん”. Jリーグキャリアサポートセンター. 2011年11月30日閲覧。
  6. ^ 森下聖二監督辞任について”. アンジュヴィオレ広島 (2013年12月25日). 2013年12月31日閲覧。
  7. ^ 【ミズノ主催】冬休み短期Jrフットサル教室が開催”. アンジュヴィオレ広島 (2012年11月27日). 2012年12月1日閲覧。

参考資料[編集]

関連項目[編集]