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松倉村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
まつくらむら
松倉村
廃止日 1952年4月1日
廃止理由 新設合併
魚津町上中島村下中島村松倉村上野方村下野方村片貝谷村加積村道下村経田村天神村西布施村 → 魚津市
現在の自治体 魚津市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方北陸地方
都道府県 富山県
下新川郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 38.57[1] km2.
総人口 2,724[1]
(1952年)
隣接自治体 片貝谷村、上野方村、上中島村
中新川郡東加積村白萩村
松倉村役場
所在地 富山県下新川郡松倉村大字金山谷村[2]
座標 北緯36度46分10秒 東経137度25分39秒 / 北緯36.76931度 東経137.42742度 / 36.76931; 137.42742座標: 北緯36度46分10秒 東経137度25分39秒 / 北緯36.76931度 東経137.42742度 / 36.76931; 137.42742
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松倉村(まつくらむら)は、かつて富山県下新川郡にあった

沿革

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政治

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村長

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出典→[3]

  1. 武隈重弘(1889年5月25日 - 1896年2月8日
  2. 河崎与三右衛門(1896年5月21日 - 1900年5月13日
  3. 武隈兼良(1900年5月21日 - 1901年11月27日
  4. 森元右衛門(1902年1月13日 - 1903年8月11日
  5. 酒井与吉郎(1903年10月7日 - 1905年3月2日
  6. 高縁五郎右衛門(1905年3月17日 - 1909年12月22日
  7. 谷口廉造(1910年4月12日 - 1913年1月26日
  8. 高縁五郎右衛門(1913年2月22日 - 1917年2月21日
  9. 石崎淳一(1917年3月16日 - 1918年4月30日
  10. 谷口廉造(1918年9月27日 - 1922年4月1日
  11. 木下茂(1922年4月21日 - 1925年10月28日
  12. 堀田善平(1925年11月4日 - 1926年11月27日
  13. 雛形幸次郎(1926年12月16日 - 1930年12月15日
  14. 島沢与作(1931年2月21日 - 1935年2月20日
  15. 酒井源太郎(1935年2月26日 - 1939年2月25日
  16. 川平直作(1939年3月13日 - 1943年3月12日
  17. 高橋与次郎(1943年3月18日 - 1946年12月5日
  18. 河崎浅之助(1947年4月6日 - 1948年4月6日
  19. 清河七良(1948年5月25日 - 1952年3月31日

経済

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産業

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農業

耕作地は西北部にあるのみである[4]。他は概ね森林をなす[4]。農蚕を主生業とし、を主産する[4]。また用材・木炭を産する[4]。『大日本篤農家名鑑』によれば松倉村の篤農家は、「高縁五郎右衛門、石崎榮次郎、谷口麗造、富川清一郎、富川與三右衛門、清河茂助」などがいた[5]。武隈粂次郎は農業を営み、材木商である[6]

この他、大豆小豆サツマイモムシロなどを生産していた[2]

名所・旧跡

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脚注

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  1. ^ a b 『魚津市史 続巻現代編』(2012年3月31日、魚津市教育委員会発行)29頁。
  2. ^ a b 角川日本地名大辞典 16 富山県』(1979年10月8日、角川書店発行)814ページ
  3. ^ 『魚津市史 下巻 近代のひかり』(1972年3月15日、魚津市役所発行)43 - 44頁。
  4. ^ a b c d e f g 『日本地名大辞典 第6巻』5234頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年4月24日閲覧。
  5. ^ 『大日本篤農家名鑑』498頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年1月29日閲覧。
  6. ^ 『富山県壱万円以上実業家資産名鑑と銀行会社便覧 大正11年7月現在』71頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年4月22日閲覧。

参考文献

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  • 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
  • 北日本実業奨励会編『富山県壱万円以上実業家資産名鑑と銀行会社便覧 大正11年7月現在』若越書院、1922年。
  • 『下新川郡治政概要』富山県下新川郡、1926年。
  • 日本書房編『日本地名大辞典 第6巻』日本書房、1938-1939年。
  • 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。

関連項目

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