松倉城 (越中国)

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松倉城
富山県
城内にある『松倉城主の碑』
城内にある『松倉城主の碑』
別名 金山城、鹿熊城
城郭構造 山城
築城年 1335年
主な城主 桃井氏椎名氏上杉氏
廃城年 慶長年間
指定文化財 県指定史跡
位置 富山県魚津市鹿熊字城山
北緯36度45分43.9秒
東経137度26分27.1秒
地図
松倉城の位置(富山県内)
松倉城
松倉城

松倉城(まつくらじょう)は、越中新川郡松倉村(現在の富山県魚津市)にあった日本の城山城)である。別名「金山城」。富山県史跡越中三大山城の一つ。

構造[編集]

松倉城址からの眺め

松倉山(鹿熊山)の山頂(標高430.9m)に位置する。本丸には数百本のが植えられていて(富山さくらの名所50選にも指定されている)、展望も良く、新川平野一帯を一望できる。三方は断崖で、5郭を構成し越中最大級である。

歴史[編集]

1335年頃の築城と言われている。城主は普門利清桃井直常と移り、南北朝時代のあとは椎名氏の居城として、越中東部の政治・軍事の中心として栄えた。豊富な産出量を誇った松倉金山を擁していた。 椎名氏は最盛期には富山県呉東地域にまで勢力を広げていたが、1570年、城主の椎名康胤が、宗主の上杉氏から対立する武田氏に寝返ったために上杉勢に攻められた(松倉城の戦い)。その結果戦に敗れ、椎名氏は城から逃亡し、椎名氏による長い統治が終わった。その後は上杉軍の拠点として河田長親が城将を務め、天正8年10月には神保長住による攻撃を撃退している。天正10年6月、魚津城落城直後に松倉城も織田軍の手に落ちたが、本能寺の変後の混乱によってすぐに上杉方に復帰した。しかし1583年に城将須田満親佐々成政に降伏開城した。麓の鹿熊にあった城下町は魚津へ移った。慶長年間に廃城となったと言われている。

支城[編集]

松倉城はいくつかの支城をもっていて、魚津市山間部一帯に山城群を形成していた。尚、支城名は以下に記述する。近くに松倉金山があった。

イベント[編集]

5月下旬には、この地及び升方城跡、北山城跡で「戦国のろし祭り」というイベントが開催される。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]