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新三十六歌仙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

新三十六歌仙(しん-さんじゅうろく/っ-かせん)は、歌人に関する名数の一種。またその秀歌を集めた集の名。

概要

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藤原公任の撰にかかる三十六歌仙に倣って、重複なく新たに選ばれたもので、現在までに以下の3種が確認されている。

後鳥羽院より藤原秀能まで、新古今期以降鎌倉時中期までの代表的歌人36人を挙げ、その秀歌を10首ずつ選んだものであり、通常「新三十六歌仙」といえばこれを指す。成立年次は不明だが、宗尊親王を「鎌倉宮」としているところから、将軍宣下(1252年(建長四年))以降に成ったものと推測される[* 1]
  • 【3】:撰者不明。フェリス女学院大学蔵 狩野洞雲画 『新三十六歌仙画帖』(江戸時代初期)所収[1]
36人を左右に分け、各1首、18番の歌合形式としたもの。

歌人

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取上げられた歌人は以下の通り(表記・順次は原文のママ)。【2】と【3】に共通する歌人には下線を付している。

【2】 【3】
後鳥羽院 順徳院
土御門院 藤原秀能
順徳院 宮内卿
太上天皇(後嵯峨院 西行法師
六条宮雅成親王 左 後徳大寺左大臣(藤原実定
鎌倉宮宗尊親王 藤原隆祐朝臣
入道二品道助親王道助法親王 西園寺入道前太政大臣
式子内親王 右衛門督通具
後京極摂政太政大臣良経九条良経 皇太后宮大夫俊成
光明峰寺入道摂政太政大臣道家(九条道家 二條院讃岐
西園寺入道前太政大臣公経西園寺公経 後京極摂政殿前太政大臣
後久我前太政大臣通光源通光 小侍従
富小路太政大臣実氏(西園寺実氏 権大納言其家
鎌倉右大臣実朝(源実朝 式子内親王
九条内大臣基家藤原基家 後鳥羽院
衣笠内大臣家良(藤原家良 前大僧正慈鎮
慈鎮和尚慈円 前中納言定家
前大僧正行意 右 前大納言忠良(粟田口忠良
堀川大納言通具源通具 家長朝臣
権中納言定家藤原定家 前内大臣(源通光)
八条院高倉 前大納言為家
俊成卿女 右 土御門内大臣(源通親
女房宮内卿 信実朝臣
藻璧門院少将 源具親朝臣
大納言為家藤原為家 仁和寺宮(道助法親王)
参議雅経藤原雅経 俊恵法師
従二位家隆藤原家隆 左 後九条入道前関白太政大臣(藤原兼実
正三位知家(藤原知家 宜秋門院丹後
大蔵卿有家藤原有家 土御門院
右大弁光俊朝臣(藤原光俊 藤原清輔朝臣
左京大夫信実藤原信実 藤原有家朝臣
左近衛権少将具親源具親 従二位家隆
侍従隆祐藤原隆祐 殷冨門院大輔
前但馬守源家長朝臣 寂蓮法師
鴨長明 参議雅経
藤原秀能 俊成卿女
36人中、23人が共通している。一致しない歌人には、大物である俊成のほか、僧侶や女房が目立つ。

脚注

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注釈

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  1. ^ 群書類従本の序に「于時正元ふたつのとしの中春五日ならし」とあり、1260年の撰であると述べている。また、「かしこき建久のむかしのすへらきよりはしめ奉りて 正元のいまのみこにいたらせおはしますまて」という表現で、概ね後鳥羽院歌壇から後嵯峨院歌壇に至る有力歌人を網羅しようとした意図が窺える。

出典

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  1. ^ フェリス女学院大学附属図書館”. 新三十六歌仙画帖. フェリス女学院大学. 2011年12月6日閲覧。

参考文献

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  • 「新三十六人撰」 『群書類従』 巻第百五十九

関連項目

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