息障院
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息障院 | |
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本堂 | |
所在地 | 埼玉県比企郡吉見町御所146-1 |
位置 | 北緯36度2分57.4秒 東経139度26分53.6秒 / 北緯36.049278度 東経139.448222度座標: 北緯36度2分57.4秒 東経139度26分53.6秒 / 北緯36.049278度 東経139.448222度 |
山号 | 岩殿山[1] |
院号 | 息障院 |
宗派 | 真言宗智山派 |
本尊 | 不動明王[1] |
創建年 | 天平年間(729年 - 749年) |
開基 | 聖武天皇 |
中興年 | 応永年間(1394年 - 1428年) |
中興 | 良慶 |
文化財 | 木造不動明王坐像、絹本着色両界曼荼羅(以上、埼玉県指定有形文化財)、伝範頼館跡(埼玉県指定旧跡) |
法人番号 | 3030005011433 |
息障院(そくしょういん)は、埼玉県比企郡吉見町にある真言宗智山派の寺院。
歴史
[編集]天平年間(729年 - 749年)、聖武天皇の開基である。後に坂上田村麻呂が蝦夷征討の成就を祈ったり、承平天慶の乱の際に平将門調伏を祈ったことから、朝廷より「障りを息(や)めさせる」という意味が込められた「息障院」の院号が与えられた[2]。
元々は「吉見観音」で知られる安楽寺の隣にあり、一つの大伽藍を形成していた[3]。
応永年間(1394年 - 1428年)に良慶が再興した際に現在地に移転した。現在地は元々源範頼の屋敷があったところである。その後は真言宗の「関東総談義所」が置かれ、300もの末寺を擁していた[2]。
境内
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境内
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鐘楼
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山門
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周堀
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境内入り口
文化財
[編集]- 木造不動明王坐像(埼玉県指定有形文化財 昭和29年10月23日指定)[4]
- 絹本着色両界曼荼羅(埼玉県指定有形文化財 平成15年3月18日指定)[5]
- 伝範頼館跡(埼玉県指定旧跡 大正14年3月31日指定)[6]
交通アクセス
[編集]- 東松山ICより車18分。