コンテンツにスキップ

当山全信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
当山 全信
生誕 1910年
日本の旗 日本 沖縄県
死没 1945年1月23日
日本の旗 日本 南洋諸島ウルシー近海
所属組織  大日本帝国海軍
軍歴 1933 - 1945
最終階級 海軍中佐
テンプレートを表示

当山 全信(とうやま ぜんしん、1910年明治43年) - 1945年昭和20年)1月23日)は、日本海軍軍人。「伊48」潜水艦長として「回天」作戦中、駆逐艦に乗艦を撃沈され戦死した。最終階級は海軍中佐

生涯

[編集]

沖縄県の出身である[1]沖縄一中[2]を経て1931年(昭和6年)11月、海軍兵学校59期)を123名中32番[1]席次で卒業。運動神経に恵まれ、柔道三段である[2]。当山は潜水艦専攻士官となり、潜水学校甲種を卒業[3]して潜水艦長を歴任する。「伊169[4]、「伊38[5]潜水艦長として歴戦し、「伊48艤装員長となる。同艦は竣工後に第六艦隊に編入となり、1945年(昭和20年)1月8日回天特別攻撃隊金剛隊として4隻の「回天」を載せ出撃した。この作戦行動はウルシー泊地に在泊する米国艦隊を攻撃目標とするものであったが、当山は作戦計画に反対であった[6]。同泊地に対しては、前年の11月に回天菊水隊による攻撃が行われ戦果を挙げたが、1945年(昭和20年)1月11日に攻撃を行い、さらに1月21日に攻撃を行うというもので、当山には21日の攻撃が命じられた。同じ攻撃を三度繰り返す危険を訴えたが受け入れられず、当山は出撃し、同泊地に向かった。しかし、西太平洋における米国艦隊の重要拠点の警戒は厳重であり、「伊48」は離脱することができず撃沈され、当山は戦死した[6]

出典

[編集]
  1. ^ a b 『海軍兵学校沿革』巻末17頁
  2. ^ a b 『人間魚雷』218頁
  3. ^ 『指揮官たちの太平洋戦争』369頁
  4. ^ 『艦長たちの軍艦史』434頁
  5. ^ 『艦長たちの軍艦史』412頁
  6. ^ a b 『指揮官たちの太平洋戦争』374-380頁

参考文献

[編集]

関連書籍

[編集]
  • 恵隆之介著『天皇の艦長 沖縄出身提督漢那憲和の生涯』光文堂 1985年

関連項目

[編集]

リンク

[編集]