常磐津若太夫
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常磐津 若太夫(ときわづ わかたゆう)は、常磐津節の太夫の名跡。
初代
[編集]後の富士岡若太夫。
2代目
[編集]3代目
[編集](生年不詳 - 天保10年12月6日(1840年1月10日))
最初三味線方の3代目岸澤式佐の弟子。太夫に代わり、常磐津和歌太夫が1832年に3代目若太夫を襲名。
定紋が菊菱だったために後世、菊菱派と称す。通称は「露月町」。
4代目
[編集](文化12年(1815年) - 明治32年(1899年)1月22日)
江戸の生まれ、常磐津文字佐喜、3代目若太夫に芸を仕込まれ、初名を初代常磐津和佐太夫、1880年に4代目若太夫を襲名。後に常磐津若翁の名で隠居する。菊菱和佐太夫と称したこともある。
名人・人気を妬んだ誰かに水銀を飲まされ声が出なくなったことがある。
長女が宝集家金之助、長男(次男とも)が講談の2代目錦城斎一山がいる。
5代目
[編集](生没年不詳)本名を萩原熊次郎。
4代目の実の妹の子。2代目常盤津小和佐太夫、1889年に菊太夫、1895年に喜久太夫を経て5代目若太夫を襲名。
6代目
[編集](明治5年(1872年) - 大正9年(1920年))本名を伊藤慶次郎。
4代目若太夫の孫。3代目小和佐太夫、小和歌太夫、若喜太夫を経て、1911年暮に5代目若太夫を襲名。
7代目
[編集]()本名は萩原喜久太郎。
6代目若太夫の甥。