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岩崎勲

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岩崎勲

岩崎 勲[1](いわさき いさお[2]1878年明治11年)2月25日[3]1927年昭和2年)1月18日[2][4])は、日本の弁護士[1]弁理士[3][5]政治家衆議院議員(静岡県第五区選出、当選4回)[2]。族籍は静岡県士族[5][6]

経歴

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静岡県駿東郡清水村八幡の人である[3]三嶋大社禰宜岩崎元功の長男[3]。家は代々八幡神社の社掌だったが、父の代に至って三嶋神社の禰宜を兼ねた[3]

静岡県尋常中学校第一高等学校を経て東京帝国大学に入る[7]。在学中には各大学の同志とともに青年革進協会を組織してその幹部となり、雑誌『革進』の編集主任を務めた[3]

1903年(明治36年)、東京帝国大学法科大学法律学科(仏法)を卒業[6][8]、同年文官高等試験に合格したが、官界には入らず弁護士・特許弁理士となった[3]。弁護士となってより諸所の公会において常に壇上の人となった[3]1906年(明治39年)、東京弁護士会常議員となり、1911年(明治44年)、日本弁護士協会理事に選出された[3]

その他、大日本養殖社長[1]、ヒロネ鉱泉[1]、渥美養魚各監査役[3]、駿豆新聞社取締役[6]などを務めた。また二条公爵家伊藤銀行などの法律顧問も務めた[7]

1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。さらに第13回から第15回まで連続当選を果たした。立憲政友会に所属[1]。立憲政友会幹事長、同会総務を務めた[5]

1926年大正15年)、松島遊廓疑獄に関わったとして起訴されたが、判決前に病死した[9]

人物

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住所は東京麻布本村町[5]、芝伊皿子町[9]

家族・親族

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岩崎家
  • 父・元功1852年 - ?、三嶋大社禰宜[3]、静岡士族[5][6]
  • 妻・とく1886年 - ?、静岡、杉山左門治の二女)[5][6]
  • 男・郁夫(1912年 - ?)[5]

脚注

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  1. ^ a b c d e 『衆議院要覧 下巻』118頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月10日閲覧。
  2. ^ a b c 『議会制度七十年史 第11』64頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年6月16日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k 『大正人名辞典』460頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年9月28日閲覧。
  4. ^ 『官報』第18号、昭和2年1月21日。
  5. ^ a b c d e f g 『人事興信録 第7版』い106頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年9月28日閲覧。
  6. ^ a b c d e 『人事興信録 第6版』い99頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月10日閲覧。
  7. ^ a b 代表的人物及事業 1913.
  8. ^ 『東京帝国大学一覧 從大正6年 至大正7年』学士及卒業生姓名 法学士 法律学科86頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年8月19日閲覧。
  9. ^ a b 『明治大正実話全集 第1巻』479 - 503頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年8月19日閲覧。

参考文献

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  • 東京帝国大学編『東京帝国大学一覧 從大正6年 至大正7年』東京帝国大学、1913 - 1924年。
  • 『代表的人物及事業』時事通信社、1913年。 
  • 五十嵐栄吉『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。 
  • 『衆議院要覧 下巻 大正九年六月』衆議院事務局、1920年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。 
  • 『明治大正実話全集 第1巻』平凡社、1930年。 
  • 衆議院、参議院編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年。