岐阜県立中津高等学校付知分校

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岐阜県立中津高等学校付知分校
国公私立の別 公立学校
設置者 付知町
設立年月日 1948年昭和23年)
閉校年月日 1974年(昭和49年)
共学・別学 男女共学
課程 定時制
設置学科 普通科
所在地 508-0351
岐阜県恵那郡付知町5758[注釈 1]
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岐阜県立中津高等学校付知分校(ぎふけんりつなかつこうとうがっこうつけちぶんこう)は、かつて岐阜県恵那郡付知町(現・中津川市付知町)にあった公立高等学校分校

概要[編集]

中津高等学校の夜間定時制の分校であった。岐阜県立の高等学校の分校であったが、設置者は付知町であった[注釈 2]

付知中学校に隣接していた。

沿革[編集]

  • 1948年昭和23年)7月12日 - 恵那郡付知町岐阜県立中津工業高等学校付知分校として開校。夜間定時制で木工科、農業科、家政科を設置。校舎は付知中学校の校舎の一部を使用する。
  • 1949年(昭和24年)4月 - 中津工業高等学校が岐阜県立中津高等学校に統合される。同時に岐阜県立中津高等学校付知分校に改称する。木工科、農業科、家政科を廃止し、夜間定時制普通科を設置。普通科には木材工芸、農業、商業、家庭コースを設置。
  • 1954年(昭和29年)4月 - 商業コースを廃止。
  • 1955年(昭和30年)4月 - 付知中学校の隣接地に独立校舎が完成。校舎は付知町立北小学校の旧校舎を転用。
  • 1957年(昭和32年)4月 - 木材工芸コースを廃止。
  • 1970年(昭和45年)
    • 6月 - 恵北高校設立推進協議会が発足。全日制高校の設置にあたり、「中津高等学校の3つの分校(福岡分校加子母分校・付知分校)の廃校」「校地は3町村で用意する」などが決まる。
    • 11月 - 新設される全日制高校の名称が恵那北高等学校に決まり、校地が福岡町田瀬に決まる。校地決定のさいには、付知町は恵那北高校から離れているため反対運動があったため、付知分校の廃校を延期することとなる。
  • 1971年(昭和46年)3月 - 募集を停止する。
  • 1974年(昭和49年)3月 - 廃校。廃校時の生徒数は22名。

脚注 [編集]

注釈 [編集]

  1. ^ 現・岐阜県中津川市付知町5758。
  2. ^ 岐阜県の高等学校の定時制分校は、通称「岐阜県方式」という制度により、分校のある市町村や学校組合が設置者となり、運営と費用負担を行った。指導と教職員の派遣は岐阜県が行った。

出典[編集]

参考文献[編集]

  • 岐阜県定通教育三十周年記念誌 (岐阜県高等学校定時制通信制三十周年記念会 1978年) P.119
  • 付知町史 (付知町 1974年) P.924 - 926

関連項目[編集]