宣陽門
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宣陽門(せんようもん)は、平安京内裏の内郭門の1つ。「左兵衛陣」とも。
平安宮内裏内郭の東正面にあり、建春門と相対する。大きさは3間であった。檜皮葺で、東西に1段の石階段があり、東面に条石で囲んだ溝がある。北に嘉陽門、西に延政門があり、これらを左右廂門といった。宣陽門の中央は温明殿の戸口から2尺、北に寄っているという。
門外左右に南舎、北舎が、内記所がある[1]。門内に南腋陣、北腋陣が、北に左兵衛督宿所が、南に左大将直廬、闈司(後宮十二司のうち、内裏内の門の鍵の管理・出納をつかさどった[2]。中務省の典鑰も参照されたい)町がある。
関連項目
[編集]- 覲子内親王:准三宮に叙せられ院号宣下により「宣陽門院」を称した。長講堂領を60年守り通した[3]。
- 新宣陽門院:後村上天皇(あるいは後醍醐天皇)の皇女。院号宣下により「新宣陽門院」を称した。
- 礼子内親王:後鳥羽天皇の皇女。准三宮に叙せられ院号宣下により「嘉陽門院」を称した。最後の斎院である。
- 悦子内親王:後嵯峨天皇の皇女。准三宮に叙せられ院号宣下により「延政門院」を称した。『徒然草』 第六十二段に登場する。
脚注
[編集]- ^ 石村貞吉 嵐義人 校訂『有職故実 上』 講談社学術文庫 ISBN 978-4061588004、164p
- ^ 和田英松、所功校訂『官職要解』 講談社学術文庫 ISBN 978-4061586215、229p
- ^ 黒田俊雄 『日本の歴史8 蒙古襲来』 中公文庫 ISBN 978-4122044661、357p