宗山塁
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 広島県三次市 |
生年月日 | 2003年2月27日(21歳) |
身長 体重 |
175 cm 79 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 遊撃手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
|
宗山 塁(むねやま るい、2003年2月27日 - )は、広島県三次市出身の野球選手(内野手)。右投左打。
経歴
[編集]小学1年生の時に野球を始め、小学6年生の時に広島東洋カープジュニアに選出される[1]。中学時代に軟式の高陽スカイバンズでプレーをし、広陵高校に入学した。高校1年生の夏からベンチ入りを果たし、その高校1年生の夏に背番号17、高校2年生の春に背番号6としてそれぞれ甲子園に出場した[1]。
広陵高校の1年の秋に明治神宮大会に出場し、チーム自体は初戦で奥川恭伸に抑え込まれコールド負けとなったが、自身は2安打を放つ[2]。
宗山の父は自身と同じく広陵高校の出身で、小さいころから一緒に野球の練習をしていたといい、宗山自身も「野球技術のことに限らず私生活の面でも厳しく教えてくれた父のおかげで、今こうやってキャプテンとしてチームを支えられていると思うので、小さい頃は父のことを怖いなと思うこともありましたが、今となっては(あの厳しさがあって)よかったと思います」と話している[3]。
明治大学の1年の春から遊撃手のレギュラーに定着、2年生の春には、首位打者を獲得し、2年生の秋にも全試合3番打者として活躍したが[3]、2024年2月のオープン戦で右肩にデッドボールを受けてしまい骨折した[2]。そのため、選出されていた侍ジャパントップチームに、合流したものの、強化試合を欠場した[4]。それでも、「映像でプロ野球を見ることはありますが、同じグラウンドでプロ野球選手とコミュニケーションをとりながら実際にプレーを見られたことが、自分にとって大きかったです」と述べており、埼玉西武ライオンズの源田壮亮からも、守備のアドバイスを直接受けていたという[3]。ちなみに、侍ジャパンのトップチームに選出された際に販売された宗山自身のグッズは即完売したという[3]。
2024年の春のリーグ戦に間に合わせたものの、その後の第5週前の空き週のオープン戦で右手中指の第一関節を骨折して[4]、その2024年の春シーズンは5試合の出場にとどまる[2]。それに、大学2年生・3年生の頃に選出されていた侍ジャパンの大学代表には選考外になった[4]。右肩のデッドボールによる骨折と右手中指の第一関節をそれぞれ骨折した宗山はそのリハビリの期間中に「体幹の強化やシーズンを戦い抜くための走る力、体力面を集中的にやった」と話すようにボール間走などといった強度の高いランを週3回こなし、それに、「股関節の可動域の左右差をなくす」ストレッチも取り入れていた[1]。
2024年8月18日に行われた、読売ジャイアンツの3軍との交流戦に、「3番・遊撃手」で先発出場し、2打席連続で二塁打を放って、3打席で出塁するといった活躍を見せる[5]。2024年の8月31日と9月1日に行われた「北海道ベースボールウィーク2024」で、東京六大学野球の選抜チームの一員として出場した[2]。8月31日には日本ハムの二軍相手に、途中出場で2安打を放ち、9月1日の東京六大学オールスター戦で「3番・遊撃手」でフル出場を果たし、先制の適時打を含む2安打で、復調ぶりを示した[2]。
そして、2024年9月21日の東京六大学野球リーグの東京大学戦に「3番・遊撃手」で出場し、9回に東大の2人目の投手に対して、本塁打を放ち、リーグ戦での通算99安打を記録した[6]。
2024年10月20日の東京六大学野球の秋季リーグ戦の早稲田大学戦では、7回の二死1塁・3塁ランナーを置き、2球目を打って、同点適時打を記録し、リーグ戦での通算を114安打とし、法政大学出身の小早川毅彦らに並んで、歴代10位になった[7]。
2024年に行われたプロ野球ドラフト会議において埼玉西武ライオンズ、東北楽天ゴールデンイーグルス、広島東洋カープ、北海道日本ハムファイターズ、福岡ソフトバンクホークスより1位指名を受け、抽選の結果、東北楽天ゴールデンイーグルスが交渉権を獲得した[8]。
プレースタイル
[編集]アピールポイントは守備力で、侍ジャパンのトップチーム監督の井端弘和を始めとして、数多くの野球関係者が宗山の守備力を称賛しているという[3]。宗山自身も「多くの試合で色々な場面や打球を経験したことで、プレーにも少し余裕が出るようになり冷静さを保つことができていると思います」と話すように、打撃の面よりも、守備の冷静さを意識しているという[3]。
理想とする選手としては「(巨人の)坂本選手や、(元阪神の)鳥谷さんのように、遊撃で試合に出る中で結果を残している選手は、自分が目指すべき姿。」と話している[1]。
また、プロ入り後の目標については「打率は3割を超える数字を残して、首位打者のタイトルを取りたい。守備面ではゴールデングラブ。好不調の波が少ない選手が1年間、戦えると思う。2000本安打も、自分の中ではプロでの超一流の一つの基準。もちろん、目指したい」と明かしている[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e 児嶋基「【Deep Baseball】明大・宗山塁、大学日本一から日本一のショートに 「ミート力」と「守備」に自信!ドラ1競合願う/今秋ドラフト目玉インタビュー」『サンケイスポーツ』2024年9月18日。2024年9月21日閲覧。
- ^ a b c d e “【週刊ドラフトレポート#23】完全復活なるか、10年に1人の遊撃手・宗山塁 抜群のスピードが武器・庄子雄大”. スポーツナビ (2024年9月12日). 2024年9月21日閲覧。
- ^ a b c d e f “【ドラフト2024 突撃取材日記】その2「明治大学硬式野球部記録更新の立役者なるか!?明治大学からプロ野球界のプリンスへ!」”. スカイA (2024年8月2日). 2024年9月21日閲覧。
- ^ a b c “明大・宗山塁(内野手) 20年後を見据える球界の至宝「『打てるショート』というのが、球界に名を残すショートだと思う」”. 週刊ベースボールweb (2024年9月13日). 2024年9月21日閲覧。
- ^ “明大・宗山を「全力で取りに行くべき」 “巨人粉砕”の衝撃無双「ちょっとレベルが違う」”. fullcount (2024年8月19日). 2024年9月21日閲覧。
- ^ 「明大・宗山塁が9回にホームラン!東大と0-0の均衡破る 今秋ドラフト1位候補」『日刊スポーツ』2024年9月21日。2024年9月21日閲覧。
- ^ 児嶋基「明大・宗山塁が歴代10位タイの通算114安打 ドラフト1位候補が価値ある同点打/東京六大学」『サンケイスポーツ』2024年10月21日。2024年10月23日閲覧。
- ^ 日本野球機構(2024), 2024年 プロ野球ドラフト会議 supported by リポビタンD 東北楽天ゴールデンイーグルス選択選手一覧, https://draft.npb.jp/draft/2024/draftlist_e.html, 2024年10月27日閲覧