字林
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『字林』(じりん)とは、晋の呂忱(りょしん)によって編纂された部首別漢字字書。『隋書』「経籍志」によると全七巻とされる[1]。およそ12,824字を収め、『説文解字』と同じ540部首を設ける[2]。親字も『説文解字』と同じく小篆であったとされる。佚書であるため、現在は他書に引用された佚文のみが残る。
作者
[編集]作者の呂忱は任城国任城県の人で、弟の呂静(りょせい)は韻書『韻集』(現存しない)の作者として知られる[3]。
内容
[編集]『魏書』江式伝や『法書要録』にのせる江式の上表文、および封演『封氏聞見記』から知られるかぎり、『字林』の体裁は『説文解字』とまったく同じであったようである。また、唐の張懐瓘『書断』によると、親字も小篆で書かれていたらしい[4]。字数は『説文解字』よりかなり増えている。
音を反切を用いて示しているのも『説文解字』との大きな違いである[5]。
注釈・輯逸書
[編集]南朝宋の呉恭『字林音義』という書物があったというが、今伝わらない[6]。
諸書の引用を集めた輯逸書に、清の任大椿『字林考逸』八巻、陶方琦『字林考逸補本』一巻がある。陶方琦の書は日本から逆輸入された『慧琳音義』や『玉燭宝典』からの引用を集めたものである。
唐の陸善経にも『字林』という字書があったが、これも失われた。呂忱のものと区別して『新字林』とも呼ばれる[7]。
脚注
[編集]- ^ 『隋書』経籍志一「『字林』七巻、晋弦令呂忱撰。」
- ^ 『封氏聞見記』巻二「晋有呂忱、更按群典捜求異字、復撰『字林』七巻、亦五百四十部、凡一万二千八百二十四字。諸部皆依『説文』。『説文』所無者、是忱所益。」
- ^ 『魏書』江式伝「晋世、義陽王典祠令任城呂忱表上『字林』六巻、尋其況趣、附託許慎『説文』而案偶章句、隠別古籀奇惑之字、文得正隸、不差篆意也。忱弟静、別放故左校令李登『声類』之法、作『韻集』五巻、宮・商・角・徴・羽各為一篇、而文字与兄便是魯・衛、音読楚・夏、時有不同。」
- ^ 張懐瓘『書断』巻下「晋呂忱、字伯雍、博識文字。撰『字林』五篇、万二千八百余字。『字林』則『説文』之流。小篆之工、亦叔重之亜也。」
- ^ 小川(1981) pp.244-245
- ^ 『隋書』経籍志一「『字林音義』五巻。宋揚州督護呉恭撰。」
- ^ 黄奭「陸善経新字林」『漢学堂経解』 巻28 。
参考文献
[編集]- 佐藤喜代治 編『漢字講座 第2巻 (漢字研究の歩み)』明治書院、1989年。ISBN 4-625-52082-7。
- 簡啓賢著, ed (2003). 《字林》音注研究. 巴蜀書社. ISBN 7-80659-421-3
- 小川環樹 著「中国の字書」、小川環樹、貝塚茂樹 編『中国の漢字』中央公論社〈日本語の世界 3〉、1981年、231-286頁。
外部リンク
[編集]- 任大椿『字林考逸』1782年 。